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2024.0419 O.A 「桜は嵐のように去っていった・・・」 [varied stories]

田伏伸次さん(popoさん)
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今年は桜の開花がおそく、そして散り際が早かったそうです。
気温の寒暖差が激しく、やっと咲いたと思ったら、雨が続き、あっという間に散ってしまったと。「いつもならもっと長い期間、桜を楽しめるのですがね〜」と。
今年の桜は全国的にも開花が平年よりも遅い感じみたいですね。釧路はまだまだ先ですが・・・(笑)
大阪は新緑が目立ち始め、芽吹き出した綺麗な緑色があちこちで見ることができるそうです。鮮やかな春の緑は本当に元気を与えてくれますよね。
さて、来月5月3日に石垣島でフェスがあるので、現在、そのポスター制作や景品購入をなさっている最中とのこと。
「島キッズフェスティバル ハグ&タッグ〜vol.5〜」島の高校生のダンス部やバンド等々10組以上が参加し、パフォーマンスを披露するそうです。
そこではゲームコーナー的な場所もあり、おじさま方が大活躍します。輪投げやヨーヨー釣り、今流行りのモルックも。。。
石垣島にもモルックのチームがあるとのことで、そこでのパフォーマンスも楽しそうです。
大阪にはおもちゃ等の問屋街があって、そこではスーパーボールが100個単位で売られていたり、小学生が遊ぶようなマジックのタネがあったり、もちろん駄菓子も、大きなものでは雛人形や五月人形とかも。だからpopoさんが景品担当なのかな・・・
その問屋街ですが、店によっては小売もしてくれるそうです。全国どこでもそうだと思うのですが、子供たちに人気なのはキャラクターもの。
ただ、それはお値段が・・・ということで、選ぶものに苦労なさっている感じでした。
※写真は田伏伸次氏からお借りしました。
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2024.0412O.A 「本当はお芝居がしたかったんです」 [varied stories]

沼田博光さん(ドキュメンタリー映画監督・HTB在籍)

今回からお話しを聞かせてくださる沼田氏は、HTB北海道テレビで30年以上、報道畑で活躍なさっています。
旭山動物園が全国的に有名になったきっかけを作ったのが彼がプロヂューサーとして携わったドキュメンタリー
「14枚の 素描(スケッチ)~密着500日!旭山動物園の奇跡~」
そして、「HTBノンフィクション 聞こえない声~アイヌ遺骨問題 もうひとつの150年~」は第56回ギャラクシー賞を受賞なさっています。
もちろん、それはほんの一部。最近では、ドキュメンタリー映画「奇跡の子」の監督もなさり、上映の時にはご挨拶に釧路にいらっしゃったので、お会いした方もいらっしゃるかもしれませんね。
実は大学の頃はお芝居がやりたくてやりたくて・・・東京に出て、バイトをしながらお金をため、芝居を見てまわったそうです。
「消息不明になった息子を心配したんでしょうね。親が就職先を斡旋?その中にHTBがあったんですよ。その時の髪は金髪。もちろん黒く染められました。運よく受かりまして、そのまま30年といった感じでしょうか・・・」と笑っていらっしゃいましたが、お芝居とテレビの共通項を真面目に教えてくださいました。
映像と音と文章で成り立つもの・・・テレビは総合芸術なんです。
お聞きしていて思わず納得!!説得力ありありのお言葉でした。
金髪が気になったのですが、それは役作りのためなんですね。当時脚本を書いていて外国人の役を金髪にしたところ、自分がやることになったという、お話しでした。
※写真は沼田博光氏からお借りしました。
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2024.0405 O.A 迎賓館 赤坂離宮 [varied stories]

菊田真寛さん(会社役員)

今回は、東京23区唯一の国宝建築の迎賓館 赤坂離宮のお話し。国宝というと、寺社仏閣や仏像、美術品などがありますが、明治以降の建造物で初めて国宝に指定されたのが、迎賓館 赤坂離宮だそうです。東京都の港区 元赤坂で四ツ谷駅に近く、学習院初等科の隣にある荘厳で威風堂々たる西洋建築の建物。
実は、一般公開されるのは最近のことなのだそう。2015年、当時、菅官房長官が観光立国の実現に向け、この迎賓館 赤坂離宮を視察して、一般公開を拡充することを発表し、2016年4月から通年で一般公開されました。「私も、実は一般公開されていることを最近知り、これは是非とも見学したいと思った次第です。国宝ですから、その素晴らしさを写真でお見せすることができなく残念ですが、その歴史と素晴らしさを少しでもお伝えできればと思います。」
国宝に指定されたのは、創建されてから100年を迎えた2009年12月8日。 旧東宮御所(迎賓館 赤坂離宮)として国宝に指定されました。明治以降の文化財としては初の国宝に指定とのこと。かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった場所は、明治を迎えて皇室に献上され、仮皇居などが設けられたそうです。その土地の一角に、1909年、東宮御所として誕生しました。
日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋宮殿が、現在の迎賓館 赤坂離宮の本館です。建物の両翼を前方に張り出し、湾曲させた特徴的な設計。屋根には、阿吽の鎧武者や天球儀があり、当時の欧米の最新技術や流行も取り入れつつ、和の意匠にもこだわりを感じる、明治期を代表する建物。後の昭和天皇が皇太子の時、後の香淳皇后とのご結婚後、数年間、住居たる東宮御所として使用されたそうです。戦後は皇室から国に移管され、国の迎賓施設へと大規模な改修を施し、和風別館の新設と合わせて1974年から迎賓館として、世界各国からの賓客をお迎えする外交の舞台となっています。敷地面積は12万㎡、いわゆる東京ドームの約2.5倍、延べ床面積15,000㎡。当時で、建設費は510万円以上とか。今の価値だと1000億円以上を費やした超巨大プロジェクトの完成だったそうです。
「建物自体は、豪華絢爛、荘厳、重厚感が半端じゃなかったです。本館は、まさに<国宝>の中に入った感じ。歴史と重厚感を肌で感じることができました。」
続いて、外国要人をお迎えしたりする部屋について。大きな部屋は<朝日の間><彩鸞の間><花鳥の間><羽衣の間>の4部屋があるそうです。その中で、最も格式が高い部屋、<朝日の間>(広さは200㎡)について教えていただきました。この部屋は、国賓が天皇皇后両陛下とお別れの挨拶をする部屋だそうです。また、国賓用のサロン、首脳会談として使用され、報道等で見たことがある方も多いと思います。この部屋は2019年4月に2年の改修を経て再公開されたそうです。大きな蝋台が置かれ、当時フランスから輸入された椅子やシャンデリアが存在感を示していたそう。天井には、この部屋の名前のとおり、朝日を背にした女神の絵画があり、四方には西陣織のビロードが張られていて、和風のデザインも施されていたとおっしゃっていました。
「東京のど真ん中 港区にこの様な荘厳で重厚感がある国宝建築物があること自体に驚きもありましたが、言葉にできない素晴らしさ、歴史を感じた一日でした。」
※写真は菊田真寛氏からお借りしました。
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2024.0322 O.A 「今シーズン厳冬期に撮影した・・・」 [varied stories]

逸見光寿さん(写真家)
https://coju.info/

暖冬で大苦戦したと逸見氏。場所を変え、見方を変え撮影にのぞみ、難しいながらも狙った被写体を捉えることができたそうです。
1:雪紋(大空町)
黒澤明監督最後の映画「夢」のロケ地になったオーヴェールの丘。風が強く、畑に積もった雪が雪紋となり、その上に地吹雪が・・・。
夕暮れの太陽の光がドラマティックな場面を演出。
2:日暈(浦幌町)
日暈とは、太陽に薄い雲がかかった時に、その周囲に光の輪が現れる大気光学現象のこと。ハロー現象とも呼ばれる。
新たな撮影地を求めて行った厚内漁港で遭遇した。
3:アイスバブル(根室市)
今年のアイスバブルは本当に撮るのが難しかったと逸見氏。長節湖のコンディションが良さそうなので出かけたが、雪がかぶっていた。
「諦めずに雪を掘っていると発見するコツを見つけたんです。結局、この場所は5回ほど通いました。わかさぎ釣りの人に何をしているのか質問されました。」
4:氷柱(浜中町)
厳冬期の涙岬がどんなものが見たくて出かけた。岬の先端に行く途中で、恐竜が口を開けたかのように見える氷柱を発見。
撮影しているはしから氷柱はどんどん崩れ落ち、その度に辺りには大きな音が響いた。
5:流氷(根室市)
根室の流氷の良いところは、オホーツクほど雪原にならないところ。堤防に打ち付ける波が凍り、流氷とあいまって最果て感が出せたと・・・。
※写真は逸見光寿氏からお借りしました。
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2024.0315 O.A 「フェリーでお出かけ」 [varied stories]

鈴木雅章さん(翻訳者・ライター)

そろそろ秋めいてきたオーストラリア。でもまだ30℃を超える気温の日もあるそう。
最近の鈴木氏の趣味はカエルを見守ること!!お話しを伺っていても彼のカエル愛を熱く感じました。
前回お話しいただいたカエルですが、どんどんおたまじゃくしからカエルになり、彼の元を旅立って行っているそう。1日に30匹くらい?とか・・・。
さて、少し前にクーリンガイ・チェイス国立公園のザ・ベイスンに行ってきたそうです。車で30分ほどのエタロン・ビーチからフェリーを2本乗り継ぎ、クーリンガイ・チェイス国立公園のザ・ベイスンに。シドニー市内から北に40キロほど離れたところにあるそうです。
家から車で30分ほど走り、エタロン・ビーチからパーム・ビーチにフェリーで行き・・・乗船時間は約30分。フェリーの料金は大人$14.7(約1400円)、子ども$7.35(約720円)。 そのパームビーチからザ・ベイスンまで別の小さなフェリーで行くそうです。乗船時間は15分。フェリーの料金は大人$9.5(約930円)、子ども$4.75(約460円)。 ですから片道大人が2300円くらい。
ザ・ベイスンまでは車ではいけないそうです。車で行くためには近くの駐車場に停めて山道を2.8キロ歩かなければならず・・・現在は落石などで閉鎖中とのこと。
水上タクシーで行くことも可能とのことですが、最低料金は65豪ドル(約6400円)。お高めです。
「フェリーを乗り継いでいくようなところなので、1日仕事です。地元の人よりも、休暇でオーストラリアを訪れているようなフランス人とかイタリア人とか、留学生グループとかの外国人が多かったです。」
この国立公園、カフェやレストランはなく、食べ物は持参する必要があり、さらに携帯電話(ネット)がつながらないそうです。
ワラビーがいるそうですが、彼は見なかったそう。<ゴアナ(オオトカゲ)にエサをやらないで>の注意書きがあり、ビーチで和んでいると、近くの木の上にオオトカゲがゆっくりと上っていくのを見かけたとおっしゃっていました。
ザ・ベイスンでは予約制でキャンプができるようになっているとのこと。何もないので、やはり観光客の方が多いそう。「楽しかったです。今度はキャンプしたいですね。」とおっしゃっていましたが、彼が現在住んでいるところも野生の鳥は鳴いているし、カエルはたくさんいるし・・・海も近いし、自然豊かな場所のようなので、自宅の庭でキャンプするのと変わらないかも?と思った私でした。
※写真は鈴木雅章氏からお借りしました。
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2024.0308 O.A 「5キロ痩せちゃった〜」 [varied stories]

田伏伸次さん(popoさん)
https://studio-cooper.jp/

心なしかいつもの元気とは違うかな?と思ってお聞きしたら、なんと体調不良の日々が続いたそうで・・・。
ぎっくり腰手前の段階で「やばいよ〜」と思っていたらジワジワ襲ってきた感じのあれです。翌日から動けなくなったとか。
「今のぎっくり腰のトレンドは、じっとしていないで、動いた方が良いみたいですよ。」本当かな?と思ったのですが、実際に歩いたり普通の生活を送ったそうです。
背筋も伸びたり、腰の調子も良くなったそうですが。にわかに私には信じ難いのですが、真偽のほどは定かではありません。。。
ちなみに家具を組み立てていてなったそうで、急なストレッチをしている感じになったのかな?とおっしゃっていました。
それからしばらくして生牡蠣を大量に食べ、翌日朝方まで飲んだため、内臓が相当ダメージを受けてしまい、トータルで5キロ減ってしまったそう。
飲み過ぎも家で一人で飲んだ結果のようです・・・popo氏は酔うとお料理を作るそうです。トマトソースやカレー、先日は味玉を夜中に時間をかけて作ったとか。
基本お料理をすることがお好きなんですね。酔って料理をしてそのまま食べずに寝てしまうそう。
最近の大阪は寒くても10度弱くらいの気温。暖かくなったり寒くなったり、そんな日々を繰り返しているみたいです。どこも一緒ですね。
梅がちらほら咲いているみたいですが、もう少しで桜が咲き始めるとpopo氏はやはり春を感じるとおっしゃっていました。
※写真は田伏伸次氏からお借りしました。(まだ桜は咲いていませんが・・・)
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2024.0301 O.A お江戸東京ぶらり散歩 [varied stories]

菊田真寛さん(会社役員)

今回は、ぶらぶらとゆったりと散歩していらしたそうで・・・そのお話しです。「最近は、御朱印帳を常に持って出かけて、寺社の御朱印を頂きに行くこともしています。お江戸散歩で、今回3つの展覧会についてお送りしましょう。」
サントリー美術館の織田信長の弟であり、茶人でもある「大名茶人 織田有楽斎」展、東京国立博物館の、特別展「本阿弥光悦の大宇宙」展、そして、平泉の至宝 歴史的に公開された特別展「中尊寺金色堂」展を観てきたそうです。
「残念ながら、全ての展覧会では、展示品のほとんどが撮影禁止。ポスターやチラシの写真しかお届けできませんが・・・。」
まずは、「大名茶人 織田有楽斎」展。織田信長の弟、織田長益は、信長、秀吉、家康の天下人に仕えて戦乱の世を生き抜いた人物。関ヶ原の戦いでは、家康のもとで武功をたてた人物とのことです。また、有楽斎は生涯をつうじて茶の湯を深く愛好したそうです。晩年は、京都の建仁寺の塔頭である正伝院を再興したときに建てた茶室「如庵」は国宝に指定されているそうです。展示品では、直筆の書・茶入れ・抹茶茶碗等 歴史を感じる作品ばかりで、ほっとする感覚だったとおっしゃっていました。
次は、東京国立博物館の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」展。書道や陶芸に大変興味があるので、楽しみにしていた展覧会の一つ・・・と。
まずは、代表作として有名なのは、国宝「船橋絵巻硯箱」木製の漆塗り。縦24cm、横22cm、高さ11cm、硯箱の蓋が丸くなっているのが特徴の硯箱です。この国宝は、観るのは2回目だったそうですが、なぜか、ずっと見入ってしまうと菊田氏。「不思議な感覚ですが、とても気分が落ち着くのです。」
本阿弥光悦・・・本阿弥家は、刀剣の鑑定や研磨を家業としていたらしいですが、光悦は家業よりも、書、陶芸、茶の湯などに携わり、書道では、いわゆる「寛永の三筆」に一人、陶芸では、楽焼茶碗、茶の湯など多彩な総合芸術家となりました。展覧会では、国宝や、重要文化財、重要美術品など多数の作品が展示されて、歴史と美しさや重みを感じたそうです。
最後、三つ目は、特別展「中尊寺金色堂」展。2024年、建立から900年を迎えることから、それを記念して開催されているとのこと。国宝の仏像11体を展示していたそう。圧巻ですね。また、大型のディスプレイで、原寸大に再現された金色堂を8KCGで観ることができたとおっしゃっていました。「展示物はそれほど多くはありませんが、世界遺産でもあり、見応え十分でした。今回は、東京ならではの展覧会、博物館へ行ったお話ですが、博物館へ行って展覧会で本物の美術品を観ることも良いですね。東京は、梅が咲き始めて、もうすぐ桜が咲いてくる・・良い時期になってきました。梅を愛でるのも、桜をめでるのも、また、寺社を巡ったり、ぶらっと出かけて、ぼ〜っとするのも大事ですね。」
※写真は菊田真寛氏からお借りしました。
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2024.0223 O.A「今年の幕開けは大変でした〜」 [varied stories]

那良伊功さん(南の美ら花 ホテルミヤヒラ 取締役統括部長)
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実は那良伊氏の関連会社の工場が全焼してしまったと・・・お聞きしていまして、そこで前回はお休みというカタチをとらせていただきました。
今回は出張先での収録、最近は出張で会議が続いているとおっしゃっていました。
地元、FMいしがきサンサンラジオでパーソナリティもなさっている彼は1月1日から生放送で何時間もスタジオにいらっしゃったのです。
翌2日、林田健司氏と新年会をしていた夜・・・。彼曰く「運命の電話がかかってきたんです。」と。
速攻タクシーで現場に駆けつけたところ、その時は半焼で消防士さんからも「消したからね」と。
ところが、4日にまた火災が起こり、全焼する事態になってしまったそうです。
工場では、ホテルやレストラン等の業務用ベットシーツやタオル等のクリーニングを請け負っていました。
現在は、だいぶ落ち着き、再開に向けてピッチをあげて片付けや次の段階の準備などにも取り掛かっているとおっしゃっていました。
ただ、けが人も一切なかったそうで、それが不幸中の幸いとも言えるのかもしれません。
「いや〜今回のことで、人の優しさに触れて本当に嬉しかったです。ライバル会社の方が助けてくれたり、ボランティアの方が手伝ってくれたり・・・。
いつもはする側だったのですが、こんなにされると本当に嬉しいですね。」
いつも彼が周りになさってきたことが何倍にもなってかえってきた感じだと私は感じました。
さらに嬉しいことに「従業員は誰一人辞めるとは言わずに、今回のことでさらに結束力が増しました。それも本当に嬉しかったです。」
この件で大変なことになったのは事実としては否定できません。ただ、プライスレスの人間としての喜び、感動を覚えた2024年の始まりはこれからの日々になんらかの見えない何かをもたらしてくれることでしょう。来月には海開きも始まります。
※写真は林田健司氏からお借りしました。
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2024.0216 O.A 「この冬の序盤・・・」 [varied stories]

逸見光寿さん(写真家)
https://coju.info/

「厳冬期の北海道は、一年で最も美しい季節、この季節を撮影したいために移住したと言っても過言ではないんです。」ところが今年は少し様子が違う・・・。いつも見れるものが見えない、会えない。ということで、思い切って初めての撮影場所にチャレンジしたそうです。
1:あっけし望洋台(厚岸町)
朝日が厚岸大橋を挟んだ対岸のところから上ってきて、厚岸湾のテクスチャの美しさを狙った作品。
愛冠岬やはるか遠くに霞む大黒島がアクセントになる。撮影時は常に周囲をチェック。他にも素晴らしい光景が広がっている。
2:釧路港(釧路市)
雪紋を撮影しようとしたら、まるで抽象画のようなものに出会う。タイヤについた雪が、地面にへばりついて固まったのか・・・。
無数の軌跡が重なり合い、素晴らしい模様ができていた。
3:益浦岬(釧路市)
釧路市内ではほぼない、人工物の見えない海岸。家からも近く散歩でよく行かれる場所とのこと。
本当は崖に雪が被っている状態で撮影するつもりだった。でもそれは撮れず。岬の先に沈む夕日はこの時期ならでは。
4:姉別(浜中町)
コンディションが狙いと違った時、目的の場所から外れて発見するものは多い。浜中町は広大な酪農エリア。被写体を探すのが楽しいと。
牧草地に雪が積もり白い丘になる。雪原の風景。牧場の柵や佇まい。そして、アールのついた防雪柵。背後の雲がちょうど良い形に入り込む。
5:西熊牛(標茶町)
白い丘、雪原の木、牧場の柵、興味のある被写体がたくさん・・・。一期一会の風景が目の前に広がる。二度と会えないこの時。
※写真は逸見光寿氏からお借りしました。
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2024.0209 O.A 「オタマジャクシとオーストラリアデー」 [varied stories]

鈴木雅章さん(翻訳者・ライター)

オーストラリアでは12月から2月までが夏です。シドニー周辺は1月中旬までどちらかというと涼しい日が多かったそうですが、それ以降は30度超えの日が多くなっているとか・・・。
昨年11月の放送で、自宅の裏庭の水槽にオタマジャクシが大量に発生!という話を伺いましたが、依然として育てているそうです。大半のオタマジャクシは近所の池に放したそうですが、昨年12月の中旬には大きくなって後ろ足が出たオタマジャクシを見つけたと。毎日エサをやり、もうこれは正式にペットだということで、名前をつけたそうです。どんな名前かは放送をお楽しみに!!このオタマジャクシは普段は石の陰に隠れていて、動きがすごく早く、1秒で50センチは進む感じと・・・。その後、もう1匹、後ろ足が出た別のオタマジャクシを見つけ、こちらも名前を付けたそう。ところが、 その直後に3泊4日でタスマニア旅行に行き、帰ってきたら2匹とも前足が出ていたそうです。「これは楽しみ、と思っていたのですが、次の日に1匹がいなくなり、その次にもう1匹も見えなくなってしまいました。まだ外に出るには小さいと思うので、おそらく・・何か他の動物のお腹に入ったのかも〜。まだオタマジャクシがいるので、今後こそカエルにして旅立って欲しいと思っています。」
さて、毎年1月26日の国民の祝日、オーストラリアデー(建国記念日)があります。
この日は、1788年1月26日にイギリス海軍の艦隊がシドニー湾岸に上陸し、オーストラリアを植民地にした日を記念しています。毎年この日は、全国各地でさまざまなイベントや、各自治体でオーストラリア国籍を取得した人たちのセレモニーが開かれ、オーストラリアの国旗やナショナルカラーである黄色と緑を身に付けている人も少なくないそう。季節は夏なので、屋外でバーベキューパーティーをしたり、ビーチでくつろいだりして過ごす人も多いとのこと。
一方で、オーストラリアの先住民アボリジニにとっては侵略された日であり、土地や文化が失われたとして抗議する人たちもいるのも事実としてあるそう。 このような背景から、現在のオーストラリアの与党、労働党(レイバーズ)は、これまで1月26日に行われてきた市民権授与式を、別の日に行えるようにするよう法律を改正したそうです。このため、今年のオーストラリアデーでは、全国でおよそ80の地方自治体が、年に1度の市民権授与式を1月26日から他の日に変更することを決めたとおっしゃっていました。
※写真は鈴木雅章氏からお借りしました。
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