SSブログ
varied experts ブログトップ
前の10件 | -

北極域研究船の名前が決まりました。(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1:米沿岸警備隊砕氷船「ポーラースター」横須賀寄港.jpg写真2:南極観測船「宗谷」東京のお台場エリアで見学IMG_8670.jpg写真3:南極観測船「ふじ」名古屋港ガーデンふ頭で見学.jpg
写真4:南極観測船「しらせ」横浜港一般公開201892_P9020517.jpg再来年、2026年の春に就航を目指して横浜の造船所で建造が進んでいる北極域研究船の名前が2月に決まりました。
現在、北極域から赤道までの海洋や大気などの観測を行っている海洋地球観測船<みらい>の調査活動を引き継ぐことから新船の名称は<みらいⅡ>に決定。一般公募した中から有識者の意見を踏まえて決めたそうです。
公募では<しろくま>という名前が多かったとのことですが、<しろくま>は<みらいⅡ>に搭載される作業艇の名前になったそうです。
就航はまだ先なので船体などは形にはなっていないそうですが、船の動力となる発電機、ディーゼルエンジンや船の外板に使う鋼材などの製造が進んでいると。発電機としては、通常のディーゼルエンジン3基と環境負荷の少ないのデュアルフューエルディーゼルエンジン1基を搭載する予定。デュアルフューエルディーゼルエンジンは、2種類の燃料、この場合は液化天然ガスと通常使われている重油を使いわけることでCO2の排出量を少なくし環境負荷を小さくすることができるので、環境への配慮を考えながら、通常のディーゼルエンジンと使い分けて航行するとのこと。
また、砕氷船で重要なのは海氷と接触する船の外板。そこに使われる鋼材はステンレスクラッド鋼と呼ばれる鋼材で、その製造も進んでいるそう。表面がつるつるのステンレスクラッド鋼は表面の経年劣化が少なく摩擦が大きくなることは無いので、氷海域での航行性能が維持できるそう。
「日本の現役の砕氷船として何があるのか調べてみました。海上保安庁に<てしお>と<そうや>があり、特に<そうや>は釧路海上保安部に配備されているということを知りました。昨年もくしろ港まつりで一般公開が行われていますので、見学された方もいるのではないでしょうか。観測船ではないので船の構成や装備などはJAMSTECの船とは違いますが、改修もされ、美しい形の船ですので是非停泊中の際は気に留めてみてください。船首側にPLH01という型式番号がついています。」
初代南極観測船<宗谷>は東京のお台場に係留されていて、2代目の<ふじ>は名古屋港ガーデンふ頭、名古屋港水族館のすぐ近くに係留されていて、どちらも船内見学ができるそうです。
南極観測<宗谷>は、1936年、太平洋戦争前にソビエト連邦向けの砕氷貨物船として建造され、国際情勢の変化で引き渡しができなくなり、国内の民間の貨物船として就航。戦時中は海軍の特務艦として物資輸送や海底測量などに使われたそう。戦後は外地からの邦人の引揚げ船として活躍し、その後、海上保安庁の灯台の補給船として使われ、1956年に南極観測船となり6回の南極航海で昭和基地の建設を行うなどの成果をあげ、1965年に2代目の<ふじ>に南極観測を引き継いだそうですが、それ以前の1962年から第一管区海上保安部の巡視船として活躍し、1978年に今の<そうや>に引き継ぐ形で引退したそうです。「初代<宗谷>は建造から約40年、人に例えると波乱の人生を送ったと思います。その後継船が<
そうや>で北の海で活躍していることや、初代<宗谷>が今でも見学できるということはすばらしいことではないかと思います。」
ちなみに、初代の<しらせ>は1983年夏、まだ学生だった満澤氏、就航後の訓練とお披露目の航海で寄港した小樽の一般公開で見学して大感激なさったとおっしゃっていました。その体験が海の関係に進もうと思った一つのきっかけになったのではないかとも・・・。
さて、JAMSTECの横須賀本部では5月18日に施設一般公開を行うそうです。事前申込制の抽選で〆切は4月21日。一般公開当日はオンラインでのライブ配信も予定されているので、興味にある方は是非ホームページをチェックしてくださいとのことでした。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真上(左):米沿岸警備隊砕氷船「ポーラースター」横須賀寄港2024/3/15撮影
・写真上(中):初代南極観測船「宗谷」東京のお台場エリアで見学2013/11/10撮影
・写真下(右):2代目南極観測船「ふじ」名古屋港ガーデンふ頭で見学2023/2/26撮影
・写真下   :現南極観測船「しらせ」横浜港一般公開2018/9/2撮影
参考:北極域研究船名称:https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20240222/
参考:北極域研究船建造状況写真:https://www.jamstec.go.jp/parv/j/gallery/
参考:JAMSTEC一般公開ご案内:https://www.jamstec.go.jp/j/pr-event/public-open-yokosuka2024/

耳で楽しむstory〜羽衣(中西 紗織編) [varied experts]

IMG_9300.jpgIMG_9301.jpgIMG_9302.jpg
能一番から、つまり能の一つの演目から何場面か取り上げ、謡本の言葉、いわば台詞、能では詞章といいますが、中西氏が詞章を読み上げたり、謡ったりし、私が現代語で語るという新企画。第1回は再び《羽衣》以前にもこの番組で《羽衣》を取り上げました。上演機会も多く、音楽の教科書にも載っている人気の高い演目です。
《羽衣》
 登場人物:シテ〜天女 ワキ〜漁師はく白龍 ワキツレ〜白龍の仲間の漁師
 場所:駿河の国 三保の松原(現在の静岡県静岡市清水区三保)*「富士山世界文化遺産構成資産」(ユネスコ世界遺産2013年登録)の一つ
 季節:三月 曲柄:三番目
 作り物:松の木 松の枝に美しい衣(ちょうけん長絹という装束)がかけてある。
●最初の場面。風早の三保の浦曲を漕ぐ舟の浦人騒ぐ波路かな これは三保の松原に白龍と申す漁夫にて候。萬里の好山に雲たちまちに起り 一楼の明月に雨初めて晴れり げにのどか長閑なる時しもや春の景色松原の 波立ち続く 朝霞 月も残りの天の原 及びなき身の眺めにも 心そらなる景色かな
●なう その衣は此方のにて候 何しに召され候ぞ これは拾ひたる衣にて候程に取りて帰り候よ それは天人の羽衣とてたやすく人間に与ふべき物にあらず もとの如くに置き給へ
●いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを あら恥かしやさらばとて羽衣を返し与ふれば 少女は衣を着しつつ 霓裳羽衣の曲をなし 天の羽衣風に和し 雨に潤ふ花の袖 一曲を奏で 舞ふとかや 
[地謡]東遊の駿河舞 東遊の駿河舞この時や始めなるらん
●白衣黒衣の天人の数を三五に分つて 一月の夜々の天少女 奉仕を定め役をなす 我も数ある天少女 月の桂の身を分けて仮に東の駿河舞 世に伝へたる曲とかや
●キリの場面。東遊の数々に東遊の数々にその名も月の色人は三五夜中の空に又 満願真如の影となり  御願円満国土成就 七宝充満の宝を降らし 国土にこれを施し給ふ さる程に時移って天の羽衣 浦風にたなびきたなびく三保の松原浮島が雲の 愛鷹山や富士の高嶺 かすかになりて天つ御空の霞に紛れて失せにけり

釧路満喫!!(久保田 裕之編) [varied experts]

ve0405久保田部長.jpg
JRの冬の湿原号に乗車していらしたとのこと。「生まれて初めてのSLは、ゆったりとした速度で釧路湿原などを走り、景観を堪能できて大変すばらしいものでした。車窓からタンチョウやエゾシカが見えると乗客は声を上げて楽しんでいましたよ。」と。湿原号は現在道内で走る唯一のSL。毎年1月から3月までの期間限定で釧路-標茶間を往復します。車齢は今年で84歳。貨物列車として各地を走った後に引退し、一度は標茶の公園で展示保存されていましたが、再び現役で走ることになったそうです。故障が多く、部品がないこともありJR職員の絶え間ない管理・修理の努力で今も現役で活躍しているそうで、そんな説明が車内アナウンスで流れていたとおっしゃっていました。「そういうドラマ性が、旅をより楽しいものにしてくれるのだなと思いました。」さらに、標茶駅に到着後、車輪回りの氷を落としたり、給水したりする作業も間近で見ることができたと楽しそうに教えてくださいました。駅には列車の回転台がないため、客車の前にあった機関車を切り離し、後ろ側の釧路方向に連結し直す作業も迫力があったと。「私は鉄道ファンではないのですが、1時間ほどの作業に時間を忘れて見入ってしまいました。」ただ、少し残念なところもあったそうです。途中の塘路駅に着くと観光バスが横付けされていて、多くの外国人観光客が列車を降りてバスに乗り込んで行ったそう。湿原号は全席指定のため、途中で客が降りると、その先はずっと空席になってしまいます。湿原号は人気のSLで、週末はほぼ満席の予約が入るといいますが、乗りたい人がいるのに何だかとてももったいない感じがしたとおっしゃっていました。
そして、阿寒湖にワカサギ釣りに行ってきたそうです。東京にいるお子様と一緒に。何か釧路らしいことをしたいということで、人生初の氷上ワカサギ釣りに挑戦なさったそう。なんと1投目からいきなり3匹かかって親子で大騒ぎなさったとか。結局、2時間かけ2人で20匹以上を釣り上げ、その場で天ぷらにして食べたそうです。「東京では日ごろ見ることのできない阿寒湖の雄大な自然を楽しめたのも貴重な経験になったはずです。」と。。。ワカサギ釣り、実はお子様が釧路に来る前にインターネットで<釧路 アクティビティ>と検索したら出てきて知ったのだとか。今回は<釧路に来る>という大目的があって、その上で釧路で何ができるかを探して見つけたのですが、逆に<これができるから釧路に来る>という順番になれば、より多くの人を呼び込み素晴らしい体験をしてもらうことができるのだろうなと思ったと久保田氏。テレビの旅番組やSNS等で、釧路の良さをまだ知らない全国の人にもっと情報を発信して、<それがあるから釧路に行きたい>という人を増やせたら良いと感じたとおっしゃっていました。「来れば必ず楽しんでもらえますから。」

良い肖像写真とは・・・(武束 祥子編) [varied experts]

1.jpg2.jpg3.jpg4.jpg5.jpg
金曜日5週目は「かってにアート」と題して、作品の鑑賞の仕方の一つとして、もしくはこんな見方もあったのね・・・と思っていただけるような
美術に興味を持っていただける方が1人でも増えてくれたら良いなという思いを込めて、お送りしています。今回は良い肖像写真とは・・・?。
どうやら写真家だけでは素晴らしい写真は撮れないみたいです。というのは、撮られる被写体となる側にも演技力が求められるとか。
それを幕末時代の写真を見るとよくわかるとおっしゃっていました。日本人としてご紹介くださったのが上野彦馬。坂本龍馬、高杉晋作をはじめとする幕末の志士たちの写真を撮影。横浜の下岡蓮杖とほぼ同時期に写真館を開業したそうです。その下岡蓮杖とともに日本の写真家の始祖と呼ばれているとのこと。
海外ではフランスのフェリックス・ナザール。この人は肖像写真を芸術写真にまで高めたと賞賛されている方だそう。19世紀前半から20世紀初頭に活躍。
風刺画家、気球乗り、発明家、写真家として活躍したそうです。「このラザールはすごいですよね。まるで肖像写真の中から動き出しそうな感じさえしますよね。」
確かに語りかけてきそうです。そこで、肖像写真ですが、写真家と被写体となる人物との協力があってこそ完成するというお話し。
もちろん、第一に構図ありき。そして写真家の演出。被写体にどういうストーリーなのか説明し、そこから演じることのできる雰囲気を作り出す。そして最後は被写体の演技・・・ということなのです。
集合写真は現在と違って、全員が前を見ていません。端の人たちは中心を見ているのです。そこにはストーリーがしっかりと組み立てられていて、それを演出する写真家と演技する被写体がともに作り出す空間があるのです。

月夜牡蠣と江戸前オイスター(中嶋 均編) [varied experts]

01.jpg02.jpg03.jpg
今回は木更津と富津に牡蠣養殖の視察に行かれたお話しです。
木更津では干潟養殖を2018年から始めたそうです。ブランド名の「月夜牡蠣」は、潮の干満を月が引き起こすことから名付けたとか。
沖合に日本最大級の干潟の盤洲干潟に柱を立て、そこにケーブルを張り、カキの稚貝を入れたプラスチック製の籠をつるすのです。揺れて中でカキがぶつかり合うことで殻が厚く肉厚になり、見た目もきれいなカキに育つそうです。
そして、富津の「江戸前オイスター」こちらは、稚貝を集め、専用のかごに入れ、のり養殖場に吊るし、波の力でぶつかり合った牡蠣は小ぶりながら身入りのよい、肉厚のおいしいかきに育つそう。写真でもわかるようにとっても丸くて貝柱が大きいのです。月夜牡蠣に比べると塩味を感じるそうです。
さて、厚岸では4月28日(日)厚岸町生活改善センターで午後1時から牡蠣博士・酪農博士認定試験が開催されます。締め切りは4月17日(水)まで。
問題集を勉強すると大丈夫と中嶋氏はおっしゃっていました。この問題集が一冊1000円、受験料が各2000円。
問い合わせは0153-52-4574(NPO法人 厚岸ネットこれからの町を語る会事務局 西田氏まで)
「どなたでも受験できますので〜。牡蠣のこと、酪農のこと、これを知ってから牡蠣や乳製品を味わうとより美味しく感じますよ〜」とのことでした。
※写真は中嶋均氏からお借りしました。

調査船スタッフの役割や業界用語・・(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1一般公開で子供たちに説明する「よこすか」船長.jpg写真2「新青丸」甲板作業の様子1.jpg写真3「新青丸」甲板作業の様子2.jpg写真4「新青丸」司厨部特性カレー.jpg
現在JAMSTECには大きさの順に地球深部探査船「ちきゅう」〜5万トン級の船で海底をボーリングして調査研究するための掘削船。極域観測研究船「みらい」、海底広域研究船「かいめい」、学術研究船「白鳳丸」、深海調査潜水船支援母船「よこすか」、1600トンの東北海洋生態系研究船「新青丸」の6隻の調査船を運航。「最近は乗船する機会がめっきり減りましたが、私がよく乗船したのは「なつしま」「かいよう」そして「よこすか」「新青丸」です。私は大学で石狩川や天塩川で漁船を使った調査の経験はありましたが、寝泊まりができる船はフェリーぐらいしか乗ったことはなく、船上で調査観測の経験もない状態でいきなりの乗船でした。最初に乗船した時は船長が一番偉いぐらいしか知りませんでした。」船長以外の船員さんとしては、航海士、機関士、通信士がいます。通信士はインターネットなどが普及して無線を使う機会が減ったこともあり、最近JAMSTECの船では電子士と呼んでいるそうです。航海士は船を操船し運転する人たちで一等航海士、二等航海士、三等航海士がいます。機関士は船を動かすための動力や機械を運用したりメンテナンスしたりする役目ですが、機関長が一番偉く、一等機関士、二等機関士、三等機関士と続くと・・。通信士は無線局長、最近は電子長と呼ぶそうですが、その電子長と通信士とそれぞれ階級があるとのこと。航海士は操船するだけでなく甲板の作業なども担当し、船全体の安全管理も。特に一等航海士は船上作業全般の責任者。機関士は、船の後ろ側のエンジンに近い場所にある機関制御室という場所で作業。通信士は無線や衛星電話、インターネットを使って陸や他の船舶と連絡をとったり、その通信に使う機器のメンテナンスを担当。JAMSTEC船舶の場合は船に装備された観測機器、例えば海底地形を調べるために使う装置や、海底の位置を把握するための音響機器、データ処理をするためのコンピュータなどの管理をしているそうです。また、病気や怪我をした時、「ちきゅう」には航海の規模によっては船医が乗ることがあるそうですが、通常は船医は乗船しません。病気や怪我の時は、航海士あるいは機関士で衛生管理者の資格を持つ方が対応。必要に応じて陸上と連絡をとってクスリをだしたり、注射したり、傷口を縫合したり・・。さらに、航海士の補助をしたり船上での作業をしたりする甲板部、機関士のもとでエンジンや発電機などのメンテナンスや修理をする機関部、航海中の食事をつくる司厨部があるとのこと。人数は船の大きさや作業内容で変わるそうですが、甲板部は甲板長の下に5~6人、機関部は操機長の下に4~5人、司厨部は司厨長の下に3人ぐらいの方がいらっしゃるそう。
船の運航は基本的には4時間ごとの3交代制。船長、機関長以外は1日2回4時間の仕事。一等航海士、一等機関士は朝と夜の4時~8時で「ヨンパー」、二等航海士・二等機関士はやはり朝と夜の8時から12時で「パーゼロ」、三等航海士・三等機関士は昼と夜中の12時から4時で「ゼロヨン」で各々2回1日8時間仕事をするそう。
さて、最初に船で困ったのは業界用語と満澤氏。例えば、先ほどの「ヨンパー」「パーゼロ」とか普通の会話にでてくるとか・・。操舵室はブリッジとなんとなくわかりますが、機関制御室のことを「コーンルーム」、船から観測機器を海中に投入することを「レッコ」と言うそうです。「コーンルーム」はコントロールルームの略。「レッコ」はレッツゴーの略。これから派生して物やごみを捨てることも船では「レッコ」と言うそうです。
特に乗船して最初に覚えるのは船員さんの呼び方。船長、機関長、一等航海士、二等航海士、三等航海士、一等機関士、二等機関士、三等機関士、通信長、甲板長、操機長、司厨長・・・。○○さんと名前で呼ぶことはなく肩書あるいはその略称で呼ぶのが普通だそう。確かに覚えるまで大変そうです。。。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真上(左):一般公開で子供たちに説明する「よこすか」船長。制服の肩章には4本の金線が入っています。機関長も金線4本ですが金線の間が紫色。
・写真上(右):「新青丸」での甲板作業の様子。右端でマイクを持って指示している方が一等航海士(チョッサー)、甲板で作業全体をみて各担当へ指示をだす。
・写真下(左):「新青丸」甲板作業の様子。右側手前で背を向けている方が操機長(ナンバン)、この時は一等航海士の指示でウインチ操作をしている。
・写真下(右):「新青丸」司厨部の特製カレー。航海中は食事が楽しみと満澤氏。

能の台詞〜擬音語・音の表現etc.(中西 紗織編) [varied experts]

IMG_9170.jpgIMG_9171.jpgIMG_9172.jpg
IMG_9173.jpgIMG_9174.jpgIMG_9175.jpg
今回は、耳に残るちょっと気になる台詞、音の表現、擬音語の面白さが活きている台詞などについて。台詞の場面を中心にご紹介。
●《清経》
 シテ:平清経 ツレ:清経の妻 ワキ:淡津三郎 
「船よりかっぱと落ち汐の」〜世阿弥作の《清経》という能の最後のほうに出てくる台詞。平清経、その清経の亡霊が妻の夢に出てきて無念の最期を語り、念仏によって成仏するという物語。
清経が最期を覚悟し、腰にさしていた笛を吹き、念仏を唱えて船から飛び込む・・その音や状態を「かっぱと落ち汐の」と表現。この台詞の前後は、「南無阿弥陀仏 弥陀如来 迎へさせ給えと ただ一声を最期にて 船よりかっぱと落ち汐の 底の水屑と沈み行く憂き身の果ぞ悲しき」。
この「かっぱ」は一種の擬音語で、妖怪の河童ではありません。耳で聞いた音から想像されるイメージではユニークな感じさえしてしまいます。
●《松虫》
 前ジテ:男 後ジテ:男の霊 前ツレ:男(三人) ワキ:酒売りの男 アイ:里人
「きりはたりちょう」〜現代人の私たちはめったに耳にしない言葉。能では《松虫》や《錦木》、《呉服》などに出てきます。いずれも、その前後に「虫の音」とか「機織る音」などの言葉が見られると。
能《松虫》は、松虫の音に今は亡き友を偲ぶ、物寂しい物語。能の最後の場面に「きりはたりちょう」が出てきます。その前後には「面白や千草にすだく虫の音の 機織る音の」そして後ジテが「きりはたりちやう」と言うと、地謡が「きりはたりちやう」と繰り返す。《松虫》のこの場面は謡のリズムが特徴的。「(ン)きーりはたり ちょおーおーー」のように。仕舞の場合「きーり」で扇を二回打合せて「はたり」で左・右・左と足拍子を踏むという独特の所作があるそう。音楽的なリズムの要素にも注目してこの能の「きりはたり……」を聞くと面白いかもしれません。
●《羽衣》
 シテ:天女 ワキ:漁師白龍 ワキツレ:漁夫(二人)
「笙笛琴箜篌」〜これは妙なる音楽が聴こえてくる場面で、天女や天人、または、やんごとなき方が登場する時に見られる台詞。能《羽衣》の天女が舞う場面や《須磨源氏》という能では後ジテの光源氏が舞う場面に「笙笛琴箜篌」が出てくる。「笙・笛・琴・箜篌」は楽器の名称。「笙しょう」は雅楽の笙という楽器、「ちゃく」は笛、「琴」はきんの琴の「こと」という楽器、「箜篌」は正倉院に伝わる楽器で現行の雅楽にはなく、ハープの一種。《羽衣》では、天女が天の羽衣を漁師白龍から返してもらい、舞を舞う場面にこの「笙笛琴箜篌」が出てくる。「笙笛琴箜篌 孤雲の外に充ち満ち」つまり、「笙、笛、琴のこと、箜篌などいろいろな楽器の音色が、はなれ雲に満ち満ちて」と、天から妙なる音楽が降ってくるような、耳からも目からも美しいものに満ち満ちた風景というわけです。

政治とカネ(久保田 裕之編) [varied experts]

ve0301久保田氏.jpg
最近の大きなニュースはやはり、昨年から世間を騒がせている「政治とカネ」の問題ですが、今もなお混乱が続いています。この問題は派閥の組織的、継続的な裏金づくりという点で、かなり悪質。ですが、岸田首相は派閥を解散し政策集団に衣替えするなど問題の本質をすり替える対応に終始し、内閣支持率は下がる一方。国民が一番知りたいのは「裏金はあったのか」「何に、何の目的で、いくら使ったのか」ですが、実態解明にはまったく踏み込んでいません。闇の部分が深そうです。
久保田氏は、北海道新聞に入ってから長く政治・行政取材に携わり、そのうち何年かを東京の永田町や霞ヶ関で取材してきました。当時、東京のマスコミ各社は与党担当の場合、政治部の記者がそれぞれ自民党の派閥を担当。いわゆる「番記者」と呼ばれるものです。在京の新聞社やテレビ局、大手地方紙の記者が原則、1派閥1人でつき幹部らを毎日取材し、情報を取ってくる作業を行っていたそうです。「私は当時の橋本派で、今は茂木派になっています。当時は自民党最大派閥で、いずれも亡くなりましたが橋本龍太郎さん、野中広務さん、青木幹雄さんら実力者が幹部でした。私は野中さんや青木さんの議員宿舎をたずねて朝や晩に本人を囲んで取材をしたり、所属議員や派閥事務所を回ったりしていました。」どちらも当時すでに高齢でもあり、日々の生活は質素な印象だったと。議員宿舎の家の中も華美な装飾品などは見なかったそうです。ただ、「政治は夜動く」と聞きますが、夜は赤坂などの料亭に頻繁に通い、党内外の議員や経済人らと会っていたそうです。ドラマに出てくるような黒塀に囲まれた高級料亭等もあったそう。「我々は誰と会って、何を話したかを押さえる必要があるため日程を割り出して料亭まで行きますが、中に入ることはありませんでした。」とても高かそうなイメージですが・・・。「私は入ったことはないですが、相当高いと思います。これは同僚から聞いた話ですが、議員はたまに自分の担当記者を招いて会食をすることもありました。赤坂の天ぷら屋とか、ホテルのレストラン等で会食することもあったそうです。高級な店が多かったですね。中には、秘書から手土産を渡されたなんていう話も聞きました。また、昔の話になりますが、記者が自宅をたずねると、帰り際に押し入れを開け「好きなネクタイを持って行け」と言う議員もいたそうです。」流石にお金がある感じです・・・ただ、それがどこから来たお金で、献金なのかパーティ収入なのか、はたまた党からの政策活動費だったのか。当時は派閥の裏金キックバックという仕組みがあったのは知らなかったそうです。ただ、派閥はトップを総裁選で担いで、総裁・総理を狙うための集団で、「数は力なり」という性格があると。数を集めるにはお金も必要になる。それで権力を握れば、さらにお金が入ってくるという構図。だから、肝心の資金源は極力知られないようにするし、「誰に渡したか」という使途を知られるのはさらにまずい。だから実態解明は阻みたいということなのだと思うとおっしゃっていました。
やはり、政治にはお金がかかるということなのでしょうか。今の政治スタイルを続ければお金はかかるでしょう。よく議員は、「東京や地元選挙区に事務所を構えて秘書を何人も雇う必要がある。だからカネがかかる」と言いますが、そういう仕組みにするからお金がかかるのです。本音は「自分が選挙に勝つためには金が必要なのだ」ということだと思うと・・・。本来そうしないと勝てないような選挙のあり方そのものも見直さなければならないと思います。
この政治とカネの問題は改善されるのでしょうか?「難しいでしょうね。」と即答なさいました。今のおいしい仕組みは手放したくないはずですから。リクルート事件などのときと同じように、少し法律をいじって反省したふりをして、ほとぼりが冷めるのを待つのだと思うとおっしゃっていました。
私たちにできることは選挙で改革を促すしかないのでしょうか・・・。

厚岸の牡蠣はいつから始まった?(中嶋 均編) [varied experts]

IMG_8856.jpgIMG_8857.jpgIMG_8859.jpg
先週お送りした白糠の山の中で見つけた牡蠣礁は今から3800万年前のもの・・・という事が聞いたので、それが気になって仕方がない中嶋氏。
では厚岸の牡蠣はいつくらいから?と調べたそうですが、どうやら、今から4000年前とのこと。
縄文時代中期・・・彼らは牡蠣を食べていたのでしょうか?
「食べてたと思うよ。おそらく煮たり、焼いたりして・・・」殻を開けるものがなかったから、火を使って料理したかも。と二人で勝手なおしゃべりをしていました。
世界中に牡蠣は存在します。その豊富な栄養たっぷりの牡蠣を昔からおそらく人類は食べていたのでしょう。
今の時期の牡蠣は身が白からクリーム色にかわっているそうです。
卵を持っている時のクリーミーというものとは違い、牡蠣本来のクリーミーさを味わうことができるそう。
時期が違うと牡蠣の餌も違うので、味わいが変わるのです。
「だから・・牡蠣は毎月食べないと〜」と笑顔たっぷりの中嶋氏はおっしゃっていました。
※真ん中の写真は中嶋均氏からお借りしました。

長期孔内観測点構築(満澤 巨彦編) [varied experts]

1海底に敷設する10kの細径光電気複合ケーブルの展張ボビンの取り付け作業.gif2無人探査機ハイパードルフィン、内側に展張ボビンを抱えている.JPG3光電気コネクタの接続の様子.GIF
4「新青丸」元旦の夕食、最近はわりと質素.jpg南海トラフの海底地震観測の新たな観測点の構築について。
南海トラフはフィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込んでいるプレート境界となっています。このため南海トラフではプレート境界型の地震が90~240年ぐらいの間隔で繰り返し発生。
この海域で発生する地震は海域ごとに東側から東海沖、東南海沖、南海沖、そして日向灘と別れていて、それぞれ別々に地震が発生することもあり、時間を空けて連動して起きる可能性があることがわかっているそうです。このため、JAMSTECではDONETと呼ばれる海底ケーブルを利用した海底地震津波観測監視システムを紀伊半島沖の東南海沖熊野灘から南海沖東側の紀伊水道沖にかけて整備し、完成した後は、陸域の地震観測網とあわせて防災科学技術研究所が運用。「私もこのDONETの運用には今も係わっています。」
海底をボーリングして掘った孔の中に観測装置を設置した観測も3箇所で行っていて、新たに4箇所めの観測地点を設置。より震源に近い場所で観測できることと、海底の流れや海上を航行する船舶などのノイズが減るので、高感度な観測ができるという大きなメリットがあるとのこと。この観測装置は長期孔内観測システム。「今回海底下に設置した長期孔内観測システムは、孔内間隙水圧計と光ファイバー歪計で構成された新型のシステムです。孔内間隙水圧計はすでに設置されている3箇所の孔内観測システムに導入されていて、海底下500mで地層から染み出す間隙水の圧力、すなわち地層に加わる力を測定する装置。光ファイバー歪計は、今回新たに導入された観測装置で、微小な地震から強い地震まで、振動の帯域としては超低周波から低周波の地動をカバーすることができるとおっしゃっていました。
従来の地震計や傾斜計の変わりに光技術を活用し開発された装置で、前の3箇所と同じように、「ゆっくりすべり」と呼ばれる通常検知するのが難しい地震を検知できるので、海底で観測するよりも高感度な地殻変動の観測が可能となるそうです。
この長期孔内観測システムの海底部分には、DONETと接続するためのインターフェイスが設置され、インターフェイスと海底に展開されているDONETのノードと呼ばれるコンセントの役割をする装置とを接続することで、長期孔内観測システムで得られる海底下の観測データをリアルタイムで見ることができるようになると・・・。長期孔内観測システムの設置場所から一番近いコンセント、ノードまでは8~9kmほどあり、その間を直径6mmほどの光と電気の複合ケーブルで接続。海底ケーブルの敷設と接続は無人探査機「ハイパードルフィン」を使って行うとのこと。
「今回は作業開始から終了まで12時間ほどでした。私は陸上で、船からのメールによる経過報告をトラブルが起きないよう祈りながら読んでいました。接続が終わると接続状況の確認のため、すぐに高知県室戸市にあるDONETの陸上局から長期孔内観測システムを起動しデータの伝送、収集を開始。問題なく起動しデータ収集ができるようになりました。現在、データのクオリティチェックなど行なっています。」
今回の観測点は長期孔内観測点としては4箇所目。今までに構築された3箇所は東海沖震源域にあたる紀伊半島の東側にある熊野灘に設置。今回は南海沖の震源域となる紀伊半島と四国の間にある紀伊水道沖に設置。この場所は、ゆっくりすべりの発生が時々確認されている場所。ゆっくりすべりは時にはM6クラスの地震と同規模の歪が我々の知らないうちに解放されることもあるそうです。このゆっくりすべりの発生を把握することは海底の地殻変動の推移を予測する上では非常に重要であると考えられています。「長期孔内観測システムは、ゆっくりすべりのリアルタイム観測が期待されています。今後観測点を増やしていく計画で、さらに西側の南海トラフや新たな観測網の構築が進んでいる日向灘にも設置を予定しています。」
※尚、写真は JAMSTEC 「新青丸」KS-23-J11航海の首席研究者西田周平氏(JAMSTEC海域地震火山部門地震津波予測研究開発センター観測システム開発研究グループ)より提供いただきました。
・写真上(左):広帯域海底地震計(BBOBS)の投入準備:海底に敷設する10kmの細径光/電気複合ケーブルの展張ボビンの取り付け作業((C)JAMSTEC )
・写真上(中):無人探査機ハイパードルフィン、内側に展張ボビンを抱えている((C)JAMSTEC )
・写真上(右):光/電気コネクタの接続の様子((C)JAMSTEC )
・写真下:「新青丸」元旦の夕食、最近はわりと質素・・・と満澤氏((C)JAMSTEC )
参考:富山湾の斜面崩壊(海上保安庁のサイト):https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/kouhou/post-1066.html
参考:JAMSTECプレスリリース 地球深部探査船「ちきゅう」による長期孔内観測システム観測点の構築
(長期孔内観測システムの概要):https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231129/
※東北海洋生態系調査研究船「新青丸」によるDONETへの接続:https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20240111/
※地震調査研究推進本部HP:https://www.jishin.go.jp/
前の10件 | - varied experts ブログトップ