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南極観測隊〜その歴史2(中山 雅茂編) [fun science]

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今回は、前回に私が質問したことで、色々と調べてくださった内容をお送りします。日本人最初の南極点踏破はいつですか?という問題です。
1820年南極大陸が発見された後、1830年代〜1910年代にかけて、南極・北極の南北‐両極地への挑戦が繰り広げられました。
白瀬矗は、1912年1月に開南丸という船で南極に到着し南極点を目指しますが、南緯80度05分という地点までしか行くことができませんでした。
この地点(南緯80度5分、西経156度37分)実は、南極大陸、陸上ではなく、ロス棚氷という南極大陸から海の上に伸びる氷の上の一部だということが分かっているそう。
ロス棚氷とは、南極最大面積の棚氷で、氷の厚さは200m・陸から600㎞も海の上に伸びている氷。北海道の約5~6倍の面積で、日本列島よりも広い面積。
白瀬たちが南極に行った1912年以降、日本から南極調査は45年後も時間があきます。
1957年7月1日~1958年12月31日の1年半に渡って実施された「国際地球観測年」という国際的な科学研究プロジェクトに日本も参加し、その中の一つの取り組みとして
国際的な南極観測に加わろうと頑張った歴史があるそうです。当時の日本は、第二次世界大戦が終わり、10年ですので、まだ世界からの信頼も低く、
南極観測への参加に対して各国からの反発が大きかったそうです。しかし、1955年5月に国際地球観測年の特別委員会で参加が認められ、
翌年、1956年11月8日に東京晴海ふ頭から「宗谷」が第一次南極観測隊として出航。翌1月にはリュツォ・ホルム湾の東オングル島に昭和基地を設営し、
観測を開始することができました。ただ。南極点はまだ遠い・・・。
日本の南極観測の歴史を調べると、その後の1968年、村山雅美隊長が率いる第9次越冬隊により、日本人が初めて南極点に到達していると!
白瀬たちの挑戦から約50年かかりました。南極観測船「宗谷」で始まった第1次観測隊が昭和基地を建てた1957年から11年かかったということです。
「南極物語」という映画をご覧になった方もいらっしゃると思います。第1次越冬隊と第2次越冬隊の引継ぎが悪天候にはばまれ、タロ・ジロを含む15頭の樺太犬を
昭和基地に残してこなくてはならなかった話。その後、第7次隊まで昭和基地に観測を共にする犬が一緒にいましたが、実は第1次隊から雪上車を南極に持ち込んでいると。
「第1次隊では小型雪上車4台を持ち込んでいるそうで・・当時の苦労や果敢にチャレンジするエピソードがその第1次隊の隊長 西堀栄三郎氏の本に綴られています。」
その後、第9次越冬隊が南極点到達の際に使用していた雪上車ですが、国立極地研究所と白瀬南極探検隊記念館で保存されていて見ることができるそうです。
2014年には機械遺産(日本機械学会)に認定されています。
「西堀栄三郎さんが書かれた本、『石橋を叩けば渡れない』には、当時の苦労と共に何かにチャレンジするときの様々な視点が示されています。
〜雪上車の頭をなでてやれ〜という話は、ものづくりが好きな僕はぐっと来ましたね。〜釧路の製紙工場の病院の話〜などもあります。」と中山氏。

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