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her dream of Paris Fashion Week come true. from now on!-2 [close to you <art編>]

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Dr.Maaya インタビュー第2弾。
それぞれの地域によって反応は違うのでしょうか?エピソードを含め伺いました。
バンクーバーのコンセプトは「glue gun」それで洋服を作ってしまう。
ファッションに感度の高い人たちが、SNSで彼女のショーの模様をたくさん拡散してくださったそうです。
ニューヨークのコンセプトは「The garments on the garment」。
「今日は何を着よう?」クローゼットの中から服を探す楽しみがあります。どれを着るか、迷うもの。時には着たくても、体型が合わなかったり、着こなし方がわからずに、着ることを躊躇うこともあります。そして、迷った挙句、全部着て行こう!ということでたくさんの服が服の上に乗っかってしまった。それがわかりやすく表現されたものでした。とにかくいらした方達はノリが良い人がたくさんだったそうです。
そして、パリのコンセプトは「歌舞伎町」パリもとても受けがよかったとおっしゃっていました。今までとの違いは有名なファッション誌が3社も取り上げてくれたこと。フランスに限らず、海外ではダイレクトに感想を聞かせてくれる・・・それも嬉しかったと。
さて、以前からずっとおっしゃっていたDr.Maayaの夢はパリコレに出ること。
それが叶ってしまったらこれからどうするの?と気になっていたのですが・・・
「まだスタートにも立ってないと思います。まだまだこれからやらなければならない事も、やりたい事もいっぱい。毎回パリコレに出る、出続ける事です。そしてショーが終わった後に2日でも良いから展示をしたいのです。」
いつもいつもお話しを伺った後で元気チャージした気分にさせてくれるDr.Maaya。
今後の彼女からも目が離せない・・・また機会があったらお話しを伺いたいといつも思うのです。
※尚、写真はDr.Maaya氏からお借りしました。
〜写真はバンクーバーとニューヨークでのファッションショーの模様です。

2024.0131 O.A 市立釧路総合病院 院長 森田研氏  [close to you <dr.編>]

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バスやタクシー運転手、建設業、学校関係、農業・漁業関係者などで専門職の成り手が減っているという話を耳にすることが増えました。専門的な技術を身に着けるために訓練する期間が技術の進歩で長期間になる傾向があり、数年・数十年のスパンでかかります。特殊技能になればなるほど、養成には時間が必要。どの職種も高度化・専門化してきているので、多くの特殊技能者の養成が必要になるのです。そんな中、4月から働き方改革が始まります。超過勤務時間は具体的に何時間になれば致死的かという定義があります。勤務時間を1日8時間として、週5日で40時間、月に合計した超過時間勤務が100時間を越えないように残業を認めるかどうかという契約を労使で結ぶ必要が・・・。これは運送業や建設業、医療従事者等、どうしても業務のニーズで超過してしまう職種にも共通に当てはめられ、超過時間勤務で睡眠不足になり健康被害を生じる場合の報道された例では毎月120〜140時間を超える超過勤務をしているケースが殆どだったそう。よって、超過勤務になりつつある人には、交代要員を設けて休ませる等の対応を職場では検討しなければならないのです。その専門職の不在、人材不足のある職場では、例えば長距離トラックの運送業で荷物の到着を遅らせてでも過剰労働を避けるという工夫が必要。ただ、建築が間に合わないのでどうしても超過勤務を要したり、医療現場では患者さんを救うためにはある程度の残業をやむを得ない範囲として、特例が認められる場合があるそうです。これを、医療分野では「暫定特例水準」として研修中の医療スタッフや教育機関の職員、救命救急部門の職員に設けているとのこと。医療では、時間外にどうしても超過勤務で宿直医が働いたり、呼び出されて手術をしたり・・ということが多く、なかなか時間外勤務を削減出来きないというのが現実。「従って、病院にかかる側の意識も今後変えて頂いて、もし翌日の時間内に診察を延期しても大丈夫なケースはできるだけそうしていただき、救急受診や救急車の使用を控える工夫が必要です。消防署の隊員の疲労軽減や救急車の効率的使用にも繋がります。いわゆるコンビニ受診を出来るだけ減らす工夫を皆さんにご協力頂きたいのです。」最近では、その判断がわからない場合、電話で受診をどうしたら良いか病院に相談をすることで、緊急受診の判断を医療従事者に相談したり、他の方法や自宅での観察注意点を連絡したりという事が行われているそうです。単純に医師や看護師をはじめとする専門職の業務を分担し、一般職でも代行できるような業務を分け、専門職にしか出来ない仕事を集中することで多くの患者さんに対応出来るようにする。また、スーパーのレジで電子会計をするようなデジタル化・自動化で、専門職の業務負担を軽減して超過時間勤務を少なくする試みが増えていると・・・。様々な工夫や、業務分担を職場で推進することで、過労死ラインの超過時間(月に140時間以上)となる職員の数は最近2年間の業務改善でかなり減ってきたとおっしゃっていました。「多くの職場で許容範囲とされる月100時間以内に調整できつつあります。それでも特定の職場ではどうしても超過時間が出るんですよね。」一方で、急激な勤務制限を厳格に行いすぎると、必要な方に医療サービスが提供できなかったり、地域医療に支障が出ては困るので、超過勤務負担が生じやすい分野や特定の専門職・個人に、連続勤務が28時間を越えたら18時間を強制的に休ませたり、毎日の睡眠を確保する休息時間が9時間確保できなかった場合は、1週間以内に休息日を追加する等の規制が今年の4月から法制化。「さらに4年後をめどに、必要な人材確保や業務負担整理、病院間の協力や人員配置を進めていくことで、全ての地域で超過時間勤務が許容範囲になることを目指して現在動いている状態です。」

念願の牡蠣礁に(中嶋 均編) [varied stories]

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以前、fun scienceで境氏と牡蠣礁をロケした時のことを中嶋氏に伝えたところ、行ってみたい!!と。
一度行きたいとずっと言われ続けた牡蠣礁。
ただ、場所的に夏は草が多いので難しく、冬は雪が深くて、厳しい。
天気予報は雪マークが入ったり、強風注意報が出そうだったり・・・最後の最後まで迷ったのですが。
今を逃すとまただいぶ行く時がないとのことで決行。境氏に連れて行っていただきました。
ただ、その場所についた時には牡蠣礁に雪が被りほとんど見えない状態でした。
この白糠の山奥の牡蠣礁と海岸の牡蠣が入った地層はほぼ同じものだそうです。
白糠の山奥のこの場所で大量に見えるのです。川の底にも牡蠣・・・。
「いや〜すごいですね。3800万年前の牡蠣礁なんて。」
とにかく愛おしそうに牡蠣の化石を眺める中嶋氏。本当に牡蠣が好きなんですね。
「牡蠣と名前がつくと気になって仕方ないんですよ。さらにここはとても大きな牡蠣礁ですね。」
念願叶い、今度は春にも行ってみたいとおっしゃった中嶋氏でした。

2024.0126 O.A 新年寺社初詣「神頼み」 [varied stories]

菊田真寛さん(会社役員)

今回は、新年ということで、初詣、神頼みのため、寺社巡りについて。
上野のある寛永寺、築地にある波除稲荷神社、府中にある大國魂神社にお参りに行かれたそうです。
まず、東叡山寛永寺。新年は1月2日と3日は、毎年特別拝観の日。ですから本堂である根本中堂の堂内が公開される日なのだそう。寛永寺は、上野にある天台宗関東総本山のお寺で、創立者は徳川3代将軍の徳川家光。徳川将軍家の菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が眠っているそうです。薬師如来が本尊。もともと、徳川家の菩提寺という位置づけではなかったとそう。2代将軍が眠る、芝の増上寺が菩提寺だったのですが、3代将軍がこの寛永寺の開いた初代の住職である天海を大いに帰依して、自分の葬儀を寛永寺で行わせ、その後、寛永寺は増上寺とともに菩提寺になったとか。。。
江戸時代後期の最盛期には、寛永寺は、30万5千坪あり、現在の上野公園のほぼ全域が寺の旧境内。現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺の本坊跡だったそうです。ただ、上野の山は幕末の彰義隊の戦場となり、ほとんどが焼失。明治維新後、没収され、戦災などあり、今に至っているそうです。「大きな本堂である根本中堂ですが、公開されることはなかなか無いそうです。中には、薬師如来とともに徳川将軍15人の肖像画が飾られていて、それぞれに威厳があり興味深く観てきました。当然ながら撮影禁止なので、写真でお見せすることができませんが、天井も高く、凛とした感じがありました。」
続いて、波除稲荷神社。中央区の築地にある稲荷神社。この神社は、金融関係の方には、有名なのだそう。特に、外国為替やトレーディング関係で仕事をする方は、仕事上波を除けることが大切だということで、初詣で行く方は多いのでは?とおっしゃっていました。「江戸時代の明暦の大火のあとに、江戸時代に築地の埋め立て工事が行われていましたが、荒波で工事は難航したそうです。その最中に海面に光を放つ御神体が見つかり、1659年社殿が建ったそう。その後は波もおさまり工事が順調に進んだことから、厄除けなどの信仰を集めることになったとのことです。」
最後に、大國魂神社。東京都の西側、府中にあり、東京五社の一つで、武蔵の国の総社。創建は、西暦111年景行天皇の時代、それから、1900年も経っているのは驚きと菊田氏。境内には、多くの社殿からなっていて、重要文化財の木造の狛犬など文化財が多数あるそうです。参道の馬場大門という入口には、<馬場大門のケヤキ並木>があり、それは天然記念物に指定されているそうです。
「年齢を重ねるうちに、信心深くなり、神頼みをして、健康第一ですよね。凛としたところで、お参りさせてもらって、また今年も頑張ろうと思った次第です。」
※写真は菊田真寛氏からお借りしました。
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2024.0125 O.A BAND [chord 5]

・終わらない歌 / THE BLUE HEARTS
・NO NO NO / THE BLUE HEARTS
・パンク・ロック / THE BLUE HEARTS
・世界のまん中 / THE BLUE HEARTS
・裸の王様 / THE BLUE HEARTS
・君のため / THE BLUE HEARTS
・リンダリンダ / THE BLUE HEARTS
~今回はバンド編です。THE BLUE HEARTS特集 第2弾です。
セレクトは河口氏。出演は、河口氏&midoriでお送りします。

道東周辺ニシンの話:2010年代以降の漁獲量増加(黒田 寛編) [fun science]

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お正月にカズノコを食べた方も多いと思いますが、今回はその親、ニシンのお話しです。明治時代、道東ではコンブ・サケ・ニシン漁が漁業の中心でした。特に、明治30年頃から道東では、春ではなくて初夏にもニシンが獲れていたという記録があり、当時、小ニシン・馬鹿ニシン・油ニシンと呼ばれていたそうです。襟裳の西側から道東に、回遊するグループがいたようです(今はいません)。
明治期以降、1970年中頃までタイムスリップすると、このニシン明治時代ほどは獲れなくなりました。温暖化の影響を指摘する人もいます。そして、これでもう北海道のニシンの時代はもう終わったのか・・・と考えていたら、実は、2010年代中頃から北海道周辺でのニシンの漁獲量は再び増えたそうです。道東で漁獲されるニシンの代表は『地域性ニシン』と呼ばれるグループで、汽水湖沼内の産卵場で産卵、その周辺海域で小さく回遊して生活史を閉じる集団になり、大回遊しないのが特徴。
例えば、近年の厚岸湾・厚岸湖では、ニシンの卵は厚岸湖東側の密集するアマモや海藻に産み付けられ、その後、孵化した仔稚魚は厚岸湖内で生息、水温が20℃を超えると厚岸湖から水温の低い厚岸湾の底層に生息場所を移動することが知られていて、さらにその後は湾外を小規模に回遊する特徴があり、成長段階に合わせて異なる海域を複合的に利用することが報告されているとおっしゃっていました。
さて、最近の北海道周辺の沿岸漁業でとられているニシンの特徴ですが、まず、厚岸湾・厚岸湖の地域性ニシンの漁獲量が2015年から突然増えました。2015と2016年には1000トン越えして、その後はいくぶん減少傾向。増えたのは2012年級群(2012年生まれ)であり、この年のニシンの生き残りが非常に良かったということが指摘されているそうです。「厚岸ニシンの専門家とも2012年級群の増大要因について話をしたことがありますが、正直予想外で、大変驚きだったことと、産卵場や初期成育場周辺の水温と関係があったのでは?ということでした。」ニシンは非常に浅い場所で産卵し、2012年当時、産卵場周辺の水温を観測していなかったため、その真意は未だ明らかではないそう。
最近年、厚岸ニシンの漁獲量は減少傾向ですが、根室海峡周辺、特に標津町や羅臼町周辺でニシンの漁獲量が増えているそうです。根室海峡周辺では風連湖の『地域性ニシン』の漁獲量が2010年代に徐々に増加しはじめ、2018年以降、特異的な豊漁状態にあるということです。特に増えているのが、風連湖の『地域性ニシン』とは異なるグループの漁獲のようで、漁獲量増加の原因は未だ不明・・・と。
また、北海道のオホーツク海沿岸(紋別など)でも2020年の前後でニシンの漁獲量は増えているそうです。でも、どの集団を漁獲しているかがわからないのが現状で、漁獲量増加の原因が特定されていないと。中には国境を越えてくるニシンもいるので、なかなか科学的に理解するのが難しいのが現状とのこと。「いずれにしても道東沿岸周辺では2010年代以降、ニシンの漁獲量が増えているので余裕があれば、輸入物(アメリカ産やカナダ産)よりも少し値段は高いですが、北海道産、特に、道東産を買って頂ければと思います。」
※写真は黒田寛氏にお借りした資料です。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/4aeKDmyORB6FerlhX4HBlv

キタサンショウウオの冬の乗り切り方(照井 滋晴編) [nature treasure]

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キタサンショウウオのような両生類は、こんな寒い時期にはまったく動かず、というよりは動けず・・・じっとして春の訪れを待っています。
では、どんなところでじっとしているのでしょう?「 過去の観察記録では、ヤチボウズの中や防風林のコンクリートブロックの下、大きな石の下、大きな倒木の中や下、ヤチハンノキ林の根元などと報告されています。」 照井氏は10年以上前、教育大学の後輩と一緒にキタサンショウウオに発信機をつけて、その発信機から出る電波を頼りにサンショウウオを探すという研究をしていたことがあるそう。その際にヤチボウズの中に入り込んだ越冬中かな?と思われるキタサンショウウオを確認したそうです。ヤチボウズの中とは言え、確実に氷点下まで温度が下がるのに、よく生きていられるものだと思った記憶があると照井氏。
実はそれはいらぬ心配で、キタサンショウウオを含む両生類は意外に寒さに対する抵抗力をもっているそうです。キタサンショウウオは日本よりも北に位置するロシアにも広く分布していますが、当然ロシアの冬は日本よりも厳しいもの。ロシアでの研究成果ではキタサンショウウオは-50℃もの低温下でも生存する能力を持っていることが明らかになっているとおっしゃっていました。
では、なぜそこまでの低温に耐えることができるのでしょう?例えば哺乳類のヒグマの場合、冬になると冬眠穴の中に入ってあまり動かずにエネルギー消費を抑えて冬眠します。冬眠中は飲まず食わずで心拍数や呼吸数を低く保ち、体の脂肪を代謝しながら過ごすのです。この時のヒグマの体温は通常の状態よりも4~5℃程度下がるだけで、32~33℃をキープしているそうです。これが可能なのは、ヒグマが高度な体温調節能力がある生き物だから。キタサンショウウオなどの両棲類は体温が外気温に左右されてしまうので、外気温が氷点下まで下がればそれに応じて体温も低下します。そして、体温が0℃以下まで下がれば体内の水分が凍り始めてしまうはず。でも、実際にはそうはならないのです。「そのメカニズムですが・・・ まず、キタサンショウウオは冬に向けて肝臓でグリコーゲン(糖質)を合成します。越冬場所の温度が氷点下まで下がった時、このグリコーゲンは、グリセロールという物質に変化して、細胞の内部を含む体内のあらゆるところに浸透。これがとても大事。
普通の水は0℃以下で凍結。ですが、塩を混ぜた水は0℃では凍結せず、もっと温度を下げなければ凍結しません。糖分も同じ働きをするそう。体内に糖分を浸透させることで、体内の水分は不凍液のようになり、キタサンショウウオの体内が0℃以下に下がっても凍結しない状態になるのです。その結果、細胞の縮小と死滅を防がれ、-20℃、-30℃の寒さでも体内を凍結させずに生命を維持することができるようになり、釧路湿原の寒い冬をやり過ごすことができるということ。
ちなみに釧路周辺にも分布していて、日本でポピュラーなアマガエルも凍結に対する抵抗性を持っていることが研究の結果明らかになっているそうです。「静岡大学で耐寒性を確かめる実験が行われました。アマガエルを-40℃で6時間凍結させた後、室温で1時間解凍した場合にどれくらいの個体が生き残るかというもの。結果としては、80%以上の個体が生き延びたのです。アマガエルがキタサンショウウオのような凍結耐性を有する種であることが明らかになりました。そのメカニズムは、キタサンショウウオと同じで、血中のグルコースやグリセロールの濃度が高まり、血中糖度が上がることで不凍液のような役割を果たし、冬期の氷点下の環境をじっと耐えることができるようになるのです。」同じ機能を持つ両生類は海外でも確認されていて、両棲類の寒い冬の乗り切り方としては一般的な方法のようです。ただ、中には冬越しをできずに死んでしまう個体もいるそうで、やはり寒い冬というのはキタサンショウウオにとっても重大な試練なのだろうと照井氏はおっしゃっていました。
※写真は照井滋晴氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/1AyDsyIb3yZhdtwfwE1asy

her dream of Paris Fashion Week come true. from now on!-1 [close to you <art編>]

_DSC0368.JPG_DSC0500.JPG_DSC0698.JPG_DSC1442.JPG_DSC1581.JPG_DSC1800.JPG_DSC2125.JPGスクリーンショット.png歌舞伎町 作品1.png歌舞伎町 作品2.png歌舞伎町作品 3.png歌舞伎町作品5.png
やっとDr.Maaya のお話しを伺うことができました。今までにバンクーバー、そしてニューヨークでランウェイを経験した彼女、去年は夢を叶えてパリコレに・・・。
やはり有言実行。とても意思の強い方だと改めて感じました。
そのパワーの源は、ロンドン時代の反骨精神や今まで応援してくださっている方々がいて培われてきたもの。
今回のテーマは「見え隠れする心~東京・新宿に生きる人々」Maaya 曰く、昼間は一流企業で働くOL、夜は、夜の街で欲に飢えた男たちを相手にする娼婦の顔を持つ女性。会社帰りで同僚と飲み歩くサラリーマン。客引きをするホスト、キャバ嬢。居酒屋店員。その脇で、帰る家もなくこの街で過ごすゴスロリ女性・・・。そんな街を時々覗き見する、夜な夜な自転車で走り回っている風変わりおばさん、この街は昼夜問わず、いろんな人々を包み込む多様性の街なのだ。
まさにカオス。それをファッションというカタチで具現化したのです。
今回のテーマに欠かせなかったのがイラスト。レトロロマンあふれる吉岡里奈氏のイラストとのコラボレーション。
以下、吉岡氏との対談から・・・
吉岡さんの絵には、妙な懐かしさと女性のエロティシズムがあるだけじゃなくて、それを鼻の下を伸ばしてみている男性を「バカだねえ」と思ってみてる、そういう視点も同時にあって、私、そのおバカな男たちの描き方がすごく好きなんです。新宿の持つパワーやギラギラ感、いろんな人が探りながら自分の居場所を求めている、そういう新宿を作品に落とし込みたいと思ったんです。この自分のカラフルの感覚と、新宿のネオンがすごくあってると思ったし。
ご自身もおっしゃっている通り、吉岡氏のイラストとMaayaのカラフルさが絶妙にマッチして雰囲気あるファッションが生まれた感じがします。
現在まで、バンクーバー、ニューヨーク、そしてパリと3つのファッションショーに参戦。それぞれにテーマはあるのですが、そのベースにあるのは「カラフル」「楽しさ」これは変わりません。おそらくこれからもそれは変わらないコア的なものなのでしょう。
夢がかなってこれからどうするのか?とても気になっていたので、お聞きしたのですが・・・・
来週に続く。
※尚、写真はDr.Maaya氏からお借りしました。

2024.0124 O.A 林田クリニック 院長 林田賢聖氏&新潟大学 医歯学総合研究科 榛沢和彦氏~2 [close to you <dr.編>]

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先週の続編です。まずはそもそもなぜ医学の道に榛沢氏がすすまれたのか・・・から伺いました。実は子供の頃、交通事故にあい入院生活を送り、そこから病院というものに興味を覚えたそうです。専門は心臓血管外科。最初は心臓移植や人工心臓等に興味があったそうです。現在もそのような関係のこともなさっているそうです。
榛沢氏は大変お忙しい毎日を送られているのですが、モチベーションはどう保たれているのでしょう?と林田氏。「一つのことをやっていると飽きちゃうというか・・・色々なことをやっている方が良いというか・・・。知っちゃったことは広めなくてはならないというのがあって、災害についても避難所に皆がいけるわけではないし、そこで知ったことはみなさんが経験できるわけでもないので、そこを分かったことを還元していかないとダメかなって。それは医学でも同じだと思うのですが、自分が知ってしまったこと、自分で研究したり、経験したことで判明したことが皆のためになるのであれば、周知していかなくてはならないと思うんですよ。」
収録後、榛沢氏よりメールを頂きました。ここでご紹介させていただきます。
〜10月22日に十日町、11月12日に小千谷でエコー検査したところ、417人中82人に足の静脈に血栓が見つかりました。中には治療が必要な方もおられました。さらに足の血栓による軽度の脳梗塞が疑われる人も見つかり、まだまだ震災直後の車中泊の影響が残っており、今後も継続的な被災地での検診が必要と考えられます。〜ということで、エコノミークラス症候群を発症した方の中には現在も治っていない方、悪化している方もいらっしゃるとのこと。
災害から10年以上経っても、当時の車中泊が原因でカラダに問題が出ている・・・そうならないためにも
まずは、自分たちがその知識を知ることが大事です。
榛沢氏のクラファンhpから(前回の続きです)・・・・・・・・・
私たちの研究アプローチは、災害被災地でDVT検診を行ってデータを検討する現地調査の方法です。新潟県中越地震及び中越沖地震被災地の小千谷市、十日町市、長岡市、柏崎市では20年近く毎年検査を行っており、200人以上の被験者を集めることが可能になっています。また東日本大震災被災地の陸前高田市、大槌町でも100人程度の被験者を集めることが可能です。また災害後のDVTは長く残存するため、災害から時間が経っても発災当時の避難環境を推測することが可能です。地震発災8年後の聞き取り調査結果では、DVTを検診で指摘されたことがある被災者では、脳梗塞は4倍、虚血性心疾患は2倍、肺塞栓症は73倍多いという結果が出ています。またDVTの発症には、環境だけではなく血液が固まりやすい遺伝的素因が関係している可能性があります。そこで複数の被災地の地域住民を対象に血栓症や健康被害についての調査を行いたいと考えています。またDVTが見つかった方には、弾性ストッキングの着用を勧め、重症な場合は病院受診を勧めます。また収集した大規模データをもとに、避難所環境に関連する健康被害を予防することを目指して、災害対策に貢献します。

最近起きた不思議な津波(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1広帯域地震計の投入準備.JPG写真2短周期地震計の投入作業.JPG写真3孀婦岩(「かいめい」から撮影).JPG
今回は最近起きた不思議な津波について。
規模は小さいのですが、原因のはっきりしない津波が最近日本近海で起きています。
10月5日に伊豆諸島の八丈島で0.2mの津波が10月9日には同じ八丈島で0.7mの津波が確認されました。
伊豆諸島は東京のほぼ真南に点在する火山島。有名なのは伊豆大島や八丈島。伊豆諸島最南端の孀婦岩は東京から約650km離れているそう。その孀婦岩の南側が小笠原諸島。今回は、孀婦岩が重要な場所。孀婦岩は高さが99mの岩の柱で、無人島。にょきっと岩の柱が海面から突き出ていて、周囲は360度、海原で他の島はまったく見えないそうです。この岩はマグマが固まってできており活火山という位置づけになっているとおっしゃっていました。
さて、10月の津波が起きた時の経緯ですが・・・。
10月5日11時7分頃気象庁から津波注意報が伊豆諸島に出されたのですが、11時15分ごろに、10時59分に鳥島近海で発生したM6.5の地震によるということが発表されました。この時は12時すぎに八丈島で0.2mの津波が観測されました。その後10月9日の午前5時25分に鳥島近海で地震が発生し、10月5日と同様に伊豆諸島に津波が到達する可能性があるということで、津波注意報がだされました。この時は0.7mの津波が八丈島で観測され、日本の太平洋側各地で弱い津波が観測されました。この時の地震については、地震の規模を示すマグニチュードと正確な震源はわからなくて、また津波を発生させるような規模の地震ではなかったことから、この地震と津波の関係については今もはっきりとはわかっていないそうです。その後、観測データの解析で、海底火山の噴火など海底で発生する振動が音波に変化して遠くまで伝わる「T波」という波動が午前4時ごろから6時台までの間に14回発生したことが判明。この「T波」について満澤氏の所属している海底地震火山部門の研究者らによる解析の結果、発生源は孀婦岩の西側にある孀婦海山周辺の可能性が高いことがわかったそうです。海底火山の噴火などがあると、海面が変色したり、時には噴煙がみられたりするそうですが、今回はそのような現象は観測されなかったと。
解析を進めている間の10月20日に鳥島の西側の海域で軽石が帯状に漂流しているのが確認され、気象庁が採取して解析した結果、軽石の中には専門用語では「伊豆弧火山フロント」だったと。この伊豆諸島火山列の西側にある火山帯の火山活動に起因した新しい軽石の可能性があることがわかったそうですが、今回の地震活動との関係は今のところわかっていないのです。このため、JAMSTECでは、11月に海底広域研究船「かいめい」で、もともと計画されていた伊豆・小笠原諸島の海底火山調査に急遽、今回の津波を起こした「T波」の波源域である孀婦海山を含めた鳥島近海の調査を追加して行うことになったとおっしゃっていました。鳥島近海では「かいめい」の持つマルチビーム音響測深機による海底地形調査を行い、また観測する振動の帯域の異なる「広帯域地震計」「短周期地震計」と呼ばれる2種類の自己記録型の海底地震計を各3台、計6台設置。海底地形調査の結果は、11月21日にプレス発表。「T波」の発生源として推測した孀婦海山の中央付近にカルデラ状の海底地形が確認されたそうです。カルデラ状地形の外輪の直径は約6km、カルデラ状地形の北側には中央火口丘がありその直径は約2kmで中央火口丘の一番浅い場所で、水深900mぐらい。「今のところ、このカルデラと津波を発生させた火山活動、地震活動の関係はわかっていません。「かいめい」の航海で設置した2種類の海底地震計を回収することで、カルデラ周辺の地震活動や火山活動の詳細が把握できるものと期待しています。特に10月9日は、津波が発生するような規模の地震ではなかったにもかかわらず津波が発生していることから、海底地すべりや火山活動による地形の変化について過去の海底地形図と比較して読み取れるかがカギになるのではないかと思います。またカルデラからの岩石採取などを今後行うことで、漂流した軽石との関係も明確になるのではないかと思います。探偵が事件の解明に努力しているような話ですが、この件については、続報がでたらまた取り上げたいと思います。」
ーーーーーーー※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
写真(左):広帯域海底地震計(BBOBS)の投入準備
写真(中):短周期海底地震計(SPOBS)の投入作業
写真(右):孀婦岩 「かいめい」から撮影
※写真は「かいれい」KM23-14航海の首席研究者吉田健太氏(JAMSTEC海域地震火山部門火山・地球内部研究センター固体地球データ科学研究グループ)より提供いただきました。
・孀婦岩の場所など、鳥島近海の地震活動:https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/column-20231030/
・「かいめい」KM23-14調査速報:https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231121/
・地震調査研究推進本部 鳥島近海の地震活動の評価 (令和5年11月10日公表)https://www.static.jishin.go.jp/resource/monthly/2023/2023_torishima_2.pdf
・(参考)地震調査研究推進本部HP:https://www.jishin.go.jp/