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動物を愛するって・・・?(笹森 琴絵編) [nature treasure]

笹森① シャチ 尾びれ.png笹森② シャチと観察者たち.png笹森③ 観察船上.png
「私事ですが、昨夏に生後2か月ほどの子猫を拾いました。避妊手術について検討していたところ、避妊手術の是非について炎上しているコメント欄をネットでみかけたたのです。たとえば、飼い猫をうっかり外に出してしまった場合に、思いがけず妊娠したりする可能性を考えると、飼い主としてはそうならない・させない予防措置は必要と考えるのですが・・。ただ、それに対し、動物の本能をないがしろにしているという意見も。飼い猫の避妊という一つのことでも、ずいぶん異なる意見があることを改めて感じました。」・・ということで、 “動物好き”とはなんだろう?ということを鯨類ウォッチングにからめて考えてみようということに。
ただし、ペットと野生は分けなくてはならず、同じレベルで語ることはできません。
自分の生活とは離れた場所で野生動物たちと出遭う体験は、娯楽としてだけでなく、環境教育の場としても素晴らしいこと。
ただ、遭遇した鯨類を、まるで自分のペットや飼育下の動物のように扱う・接するといった過剰な干渉行為の是非を考えてみることが必要だと思うのです。
自分が好きなのは、クジラではなく、クジラと一緒にいる自分なのでは?なんて考えたことはありますか?と笹森氏。「野生動物、特にシャチやザトウの様な人間のスケールを遥かに超えた存在と間近に触れ合っている自分が好きでたまらないのでは???決して、それが悪いといっているわけではないのです。ただ、もしそうだとすれば、クジラに無関心で見にも行かない・好きでも嫌いでもない方々よりもむしろ、クジラ好きを自称する私たちこそが鯨も生活を妨害し脅かす存在になっているのでは?という疑問もわいてくる・・ということもあるのではと思うのです。」
クジラがいてこそ成立するウォッチング事業は本来、動物と生息域を保護・保全することに積極的であるはず。むしろあるべきなのに、こちらの主観や希望や事情を優先して、観察対象の生活にずかずかと踏み込み翻弄している状況がままにあるそうです。鯨類ウォッチングが、動物の「非消費的」ではなく「少消費的」利用と揶揄される原因はそこにあるとも・・・。ルールがあれば、動物へのハラスメント行為は全て防げるのでしょうか?残念ながらそうではないのです。動物の行動がいつもこちらの想定内とは限らず、また、定めたルールが現場では守られない・守りにくいという現実もあるそうです。周囲に他の船はいない、そんな場面では、船長は客により良い場面を見せたいとルールを無視して近づきすぎたり、やりすぎたりも。たとえ、接近しすぎなどに気づいた客がいたとしても、それを指摘しにくい、誰も止められないということもあると。それは想像に難くないこと。船を走らせることで海を汚し、動物にいらぬストレスを与えている可能性を考慮し、動物との色々な意味での距離感を保つことが、彼らと長く付き合っていける数少ない秘訣の一つだと笹森氏はおっしゃいます。「海を愛するなら、私たちがすべき・できることは、海は私たちの遊び場ではなく、動物たちは私たちの所有物ではないと理解し認め、せめて、その営みを邪魔しない節度を持つことはすべきこと・・・。」
野生動物たちと出遭う体験は、他に換えられない環境教育の場となりうるのはまぎれもない事実。でも、それを理由に海に足を踏み込むのであれば、自然界の秩序や掟に、可能な限り干渉すべきではないことを心すべきなのです。「動物好きなら、なおのこと。これは海を長らく活動舞台にしてきた私自身も戒めとしている事です。」
※写真は笹森琴絵氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/4ePPDAkXIupmjZ8TmPMQ6t

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