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季節による牡蠣の味(中嶋 均編) [varied experts]

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今回から牡蠣の専門家中嶋均さん(牡蠣漁師・カキキン有限会社 代表取締役)が登場します。
牡蠣のことはこの人に聞いたらなんでもわかる!!
今回は季節によって牡蠣の味はどう違う?をメインに。牡蠣にとっての春は4〜6月。夏が7~9月。秋は10~11月。そして冬が12~3月。
牡蠣は冬の氷がとけて水温が上がり、10度くらいから活発に動きだし、餌をとり始めます。
冬の冷たい海にいる時は冬眠している様な状態。餌が取れずに太らない、太れない。
それが水温が上がり牡蠣の餌となる植物性プランクトンも増えてくる時期になると、それを食べてどんどん太っていくのです。
牡蠣が太っていく時は身が太り甘みが増す。それが夏に産卵。
「卵を持つ前の今のシーズンが一番美味しい」と中嶋氏。火を通しても、生でも、鍋でも。どんな料理にしても美味しいそう。
本来の牡蠣のクリーミーだけどそれだけではない牡蠣の旨みを楽しむ事ができる最高な時と。
もちろん、どのお酒とも相性が良いそうで、ワイン、ビール、日本酒、ウイスキー。自分の好みを探して欲しいとおっしゃっていました。
「牡蠣は海水を味わう」というそうです。昔は厚岸の牡蠣というととても大きいイメージでしたが、今は世の中の動きがそれを許してくれない。
最低3年で出荷しているとのこと。「僕は小ぶりのSSサイズが好きです。凝縮されて一口で様々な味わいを感じる事ができるから。」
※写真は中嶋均氏からお借りしました。

2023.0428 O.A 「オペラハウスのこと」 [varied stories]

鈴木雅章さん(翻訳者・ライター)

今回は、オーストラリアのシンボルとも言われるシドニーのオペラハウスについて。シドニー湾にある建築物で、2007年に世界文化遺産に登録されました。
1973年10月に完成し、昨年10月に50周年を迎えました。今年も50周年のイベントがいろいろ用意されているそうです。
オペラハウスといえば、白い貝殻を重ねたようなデザインが特徴。設計者は当時無名だったデンマークの建築家のヨーン・ウツソン氏。
当時38歳で1956年に行われたコンペで世界28カ国から集まった233のアイデアから選ばれたそうです。
建設は1959年3月に始まったのですが、すぐに問題に直面。事前の地質調査が十分ではなく、計画されていた建築物の重さを支えるには地盤が緩すぎたことが判明。
そこで、約700本のスチール製のコンクリートシャフトを打ち込まなくてはならず、予算を大幅にオーバーしたそうです。
また、オペラハウスの特徴であるあの白い屋根の重さがどの程度になるのか、この時点では不明だったそうです。
「本来はこの時点でより慎重な計画を立てるべきだったのでしょうが、建設開始当時68歳でオペラハウスの建設に力を注いでいたニューサウスウェールズ州首相は
政治的な反対によりプロジェクトが妨げられることを恐れ、建設を急いだのです。ところが、建設が進むにしたがって、オペラハウスの特徴である白い屋根の図面が
ウツソン氏がコンペで提出したスケッチから少しずつ離れていったそうです。当初のデザインは、現在のものよりも屋根がもっと尖って突き出てい他のですが、
構造上スケッチ通りに建設するのが難しかったとのことなんです。 」
そして、1963年屋根の建設が始まりました。ただ、この頃になると建設費が膨れがっていることに不満の声が上がり始めました。ですから1965年5月の州選挙で政権交代すると、新しい政府はオペラハウスの予算を削ろうとしたのです。ウツソン氏は予算のことで政府ともめ、結局、辞任。
世界中からウツソン氏の復職を求める手紙が届いたそうですが、決定は覆らず。その後はオーストラリアの若手建築家のピーター・ホール氏が設計を引き継いだそうです。
その後もいろいろあり、1973年10月にオペラハウスは完成。建設費は当初の予算の14倍以上に上ったそう。ウツソン氏は1966年デンマークに帰国し、
完成したオペラハウスを自分の目では1度も見ずに、2008年に90歳で亡くなったとのこと。
さて、このオペラハウスという名前ですが、もちろんオペラだけのための施設ではなく、コンサートホールや劇場もあるそう。
1990年には刑務所から27年ぶりに解放されたばかりのネルソン・マンデラ氏が講演。2016年にはプリンスがコンサートを行ったそう。
「 僕は2006年に、オペラハウスの外装が改修された記念式典に故エリザベス女王が出席した際に取材に行きました。
あと、2019年10月に坂本龍一のコンサートをオペラハウスで見ました。」
※写真は鈴木雅章氏からお借りしました。
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2023.0427 O.A 邦楽 [chord 5]

・月の裏で会いましょう / Original Love
・スキャンダル (ブランニューヘヴィーズ Remix) / Original Love
・サンシャインロマンス / Original Love
・プライマル / Original Love
・接吻 / Original Love
・I WISH / Original Love
~今回は邦楽一般。Original Love(オリジナル・ラブ) 特集です。
セレクトは村田氏。今回の出演は、村田氏onlyでお送りします。

海の環境を調査〜厚岸沖Aライン(黒田 寛編) [fun science]

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黒田氏は船に乗る事があります。海の環境調査が目的で、1回あたり10日から2週間ほど、年に数回。「船は、人との深い関わりや、未知との遭遇、人間ではどうすることもできない自然の力を実感したり、あるいは、自然の中で、突然の閃きがあったりするので止められません。」と。
彼が乗船する船は、長さが65m程、900トン程の船。通常の漁船と比べると圧倒的に大きな船です。
この船を使い、北海道の周辺、オホーツク海と太平洋が調査の対象とした調査を実施しているそうです。太平洋では、厚岸湾から南東沖に伸びる約500kmの
「Aライン」という直線、調査線上に、観測点を30点ほど設けて調査を実施していると。1987年から開始なので、現在35歳。親潮の状態を定期的にモニタリング
しているそうです。「モニタリング」とは「海の健康診断」。かなり地味な調査の様です。
①船から各種センサーを降ろす②海水をとる③各種ネットを曳いて動物プランクトンを採取する、3点セットで観測点を変えながら、同じ様な調査を
ひたすら繰り返す。そして、海の水温や塩分、海流などの物理環境、海の栄養状態(化学環境)を調べ、さらに、そこで生息する植物や動物プランクトンの種類や
密度を調べます。調査を行うことで、今年の海は、通常よりも親潮が弱いであるとか、栄養状態が良くないとか、魚の餌が足りていない可能性があるということを
把握できるのです。さらに35年という長い年月調査を続けてきたことで、例えば、温暖化や気候変動で、親潮周辺の環境は長期的にどのように変化してきたのか?
あるいは、今後、どのように海が変化していく可能性があるのか?等を調べ、社会に提供することができるようになるということ。
親潮を調査するための基本的なセンサーは、水温・塩分・圧力センサーと、蛍光センサー、溶存酸素センサー。親潮の流れはゆっくりですが、根の深い流れなので、
Aラインでは、海底直上か、水深3100mまでセンサーを降ろすそう。各種センサーは船上のパソコンとオンラインでつながれていて、パソコンのモニターで得られた情報をリアルタイムに表示させることができるそうです。さらに、センサーを最深部まで降ろして、引き揚げてくる時に海水を採取。
海水を目的別に分けた後は、その海水を濾過したり、薬品を入れて生き物が腐らないように暗所で保存したり、化学薬品で滴定したり、冷蔵・冷凍したりと、船内での作業が続くのです。さらに、動物プランクトンの種類や密度を調べるネット観測も行うそうで、次々に、サンプルが上がってきて、それらを処理する必要があるとおっしゃっていました。調査項目にもよるそうですが、一つの観測点で数時間~8時間くらい船を止めて調査。そして、調査が終わると1時間ほど移動し、
また、次の調査点で調査をするということを繰り返します。
「様々な生き物との遭遇もあります。魚が跳ねたり、珍しい海鳥や渡り鳥をみたり、イルカやクジラ、オットセイなどは船の近くに寄ってきて、踊ってくれたりすることもあります。さらに、夜の大海原は人工的な光がないので、月の明るさを実感したり、満天の星空はとにかく壮大。移動中に流れ星をみることもありますよ。」
※写真は黒田寛氏にお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/5L88ZaStPf6MYkU8sICVGA

太陽光発電施設の乱立・・・その後(照井 滋晴編) [nature treasure]

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最近は太陽光発電施設の乱立問題、一気に問題意識が世間に広がったように思います。
ただ釧路市はなかなかガイドラインの作製や条例の制定に向けた動きを見せず、2023年2月28日の北海道新聞の記事では「規制に向けた具体的な検討はしていない」というコメントが出ていました。 ところが、3月7日の釧路市議会の際に、事態は急変。定例議会の一般質問で、大越市議の質問に答える形で蝦名市長が、釧路湿原や希少な動植物の保護のため、条例化を視野にガイドラインを策定する方針を表明したのです。
「たった一週間前に規制に向けた検討はしていないと言っていたにも関わらず、180度方向転換したコメントが出て本当に驚きました。釧路湿原の環境や動植物を守っていく上では非常によい方向転換なので、良かったの一言です。といっても、現段階では具体的な方針や内容は全く決まっていない様なので、急いで方向性を
示し策定作業を進めていただきたいと感じています。」ガイドラインの作製や条例の制定をすると公の場で宣言したので、そう遠くないうちに太陽光発電施設の建設に何らかの規制がかかると誰もが考えること。
「私が業者なら、そんな規制が出来上がる前に建ててしまおうと考えますし、それが普通の考え方と思います。では、それまでの間はどうするのかですが、駆け込みの建設ラッシュが起こっても行政として環境への影響調査や保全対策をした方が良いとコメントはできても強制はできないのは仕方がないと思います。」
照井氏は行政にすべてを任せるのではなく、彼のような立場の人や市民の皆がしっかりと現状を知り、問題意識を持ち、地域全体で釧路湿原やそこに住む動植物を守っていこうという雰囲気作りが必要とおっしゃいます。そうすることにより、湿原やその周辺域への建設を躊躇する業者もでてくるのではないかと・・・。
また、3月17日に彼の所属団体を含む9つの団体の連名で釧路市に対して要望書も提出。齋藤慶輔氏が代表をつとめる猛禽類医学研究所や湿原周辺の土地の買取り等の活動をしているトラストサルン釧路、タンチョウの保護・研究活動を行っているタンチョウ保護研究グループなどの団体が名前を連ねたそう。
要望書には、提出団体以外にも趣旨賛同団体の名前も記載され、日本野鳥の会や日本自然保護協会、WWFジャパン(世界自然保護基金)にも加わったそうです。
さらに、要望書の他にも3月10日に開催された釧路湿原自然再生協議会では「今後ガイドラインの策定作業に協議会が関われる様、釧路市に要望書を提出する」と
協議会の会長であり北海道大学 中村太士教授が発表。本当に多くの方々が関わり動いていることを実感することに。
「3月は非常に大きな動きが続きました。でも、現時点では実際に実効性の高い条例が制定されたわけでもなく、キタサンショウウオの生息地がつぶされることが
なくなったわけでもありません。事実、先日キタサンショウウオの生息地へ行ったところ、また新たな太陽光発電所の建設が始まっていました。
今後も、現状のまま時間だけが経過してしまう可能性も十分に考えられます。」太陽光発電施設の建設自体がダメというわけではなく、再生可能エネルギーの導入は大切なことなのは間違いないので、人間と動植物がうまく共生できるようになれば・・・と照井氏はおっしゃっていました。
※写真は照井滋晴氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/04RY5TGPquyLYn5jQiZup9

photos come suddenly from the future [close to you <art編>]

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写真は未来から突然にやって来る。僕の場合は、いつもそうだった・・・
という言葉からすると、彼の写真は感覚的に撮られたものというイメージなのですが、実はそうではなさそうです。
それはあくまで必然だったと福地学芸員はおっしゃいます。「はじめて街を歩いた頃」(1995年)という文章の中でこう書き綴っているそうです。
早稲田大学大学院に在学中に開催した個展『人間の土地』でデビューしました。
その後、発表した作品はその眼差しと精緻な表現力で、日本はもとより海外でも高い評価を獲得。
下界と隔絶された世界に生きる人々、ヨーロッパに長期滞在して制作した作品、そして日本の伝統文化に焦点をあてた作品、
時をテーマにした作品等々・・・様々なシリーズを残した奈良原一高。
カラー作品も残していますが、モノクロの世界がより光と陰と見る人のイメージを膨らませる作品群。
作品はそのまま、あるがままの写真ではなく、表現方法の一つとして作品として言葉とともに残っているそうです。
とげとげしたものではなく、上品な作品として私たちの目の前に現れた時、人は何を感じるのでしょう。
奈良原一高が感動した、心が動いた瞬間が彼のアングルで切り出された世界。
写真だけではない、その奥にある奈良原ワールドに触れることができたら、目の前にある作品はさらに奥深い作品へと昇華されるのでしょう。
※尚、写真は福地大輔氏からお借りしました。
(奈良原一高写真展 時空をこえた光は6/18まで北海道立釧路芸術館で開催中です。)

日本の3大深海湾(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1:相模湾初島沖のシロウリガイ群集.jpg写真2:駿河湾松崎沖のリップルマーク.jpg写真3:富山湾七尾沖のオオグチボヤ.jpg
図:3大深海湾の位置.jpg日本にある深海のある湾、日本の3大深海湾について。
釧路沖には山で言うとヒマラヤ級の深海が釧路から距離にして大雪山とほぼ同じ位の場所にあるというお話しを以前伺いました。
釧路沖は千島海溝なので水深は7000mを超えますが、相模湾は釧路沖ほどは深くはないのですが、湾なのに水深が1000mを超える深海があるそうです。一般的には太陽の光が届かなくなる水深200mより深い場所を深海と言いますが、満澤氏は水深1000mを超えるぐらいからが本当の深海といった感じと。
相模湾の他に有名な深海の湾が2つあります。水深1000m以上の深海があるのは、相模湾の西側、伊豆半島を挟んだ駿河湾、そして相模湾と駿河湾の丁度本州を挟んで反対、日本海側にある富山湾。この3つの湾が日本の3大深海湾。
3つの湾が深いのは日本列島を取り囲むプレートの沈み込みと関連しているそうです。太平洋側の相模湾、駿河湾は湾の中央にプレート境界が通っていますが、富山湾については、プレート境界が少しずれています。
3つの湾について、見どころ等ご紹介いただきました。3つの湾の地形的な特徴として、湾の中央にはトラフと呼ばれる溝状の地形が形成されています。富山湾は湾内では富山トラフと呼ばれその溝は富山深海長谷という名前で日本海盆とよばれる日本海の北部の中央付近まで延びているそう。その距離は1000km位。この様な地形は陸上の河川の跡が沈降したのではなく、海底の乱泥流、海の中で起きる土石流で削られ形成された地形と考えられています。富山湾では海底の流れと堆積物の関係を調べるため「しんかい2000」で潜航したことがあるそうですが、トラフの中央部分は一面堆積物に覆われて、海底付近の視程はあまり良くなかったそう。底層流により形成されるリップルマーク、流紋も見つけらることはできなかったと・・・。
一方で、駿河湾は海底には底層流で形成されるリップルマークが観察されています。
駿河湾も湾内では駿河トラフと呼ばれる溝状の峡谷が、紀伊半島から四国沖の南海トラフにつながっています。相模湾も、同じように湾内には相模トラフと呼ばれる溝状の地形があり、千葉県の房総半島沖で、日本海溝、伊豆小笠原海溝がぶつかる三重会合点と呼ばれる場所につながっています。
この三重会合点は、北米プレートと太平洋プレート、フィリピン海プレートの3つのプレートが海溝で接している非常に珍しい場所で、日本周辺では最も深く水深は9200mほどになるそうです。エベレストの高さより深い場所が、房総半島沖にあるのです。
駿河湾は3つの湾の中では最も深く、湾口で水深が2500mくらい。急峻な峡谷地形が特徴で、深海の流れも速く、流れで形成されるリップルマークが広く観察され、深海でも潮汐に起因し周期的に発生する激しい流れがあることがわかっているそう。
相模湾は駿河湾ほどではないそうですが、中央にプレート境界が通っていて、その境界に繋がっている活断層が関東大震災の震源と言われていると。
さて、この3つの湾に共通する3つの特徴があります。1番目はプレート境界と関係していること。2番目は陸側に山地があること。富山湾は立山連峰、駿河湾は南アルプス、相模湾は丹沢山地。そして3番目はこれら山からの土砂を運び海底で乱泥流を起こす河川があること。
富山湾は庄川や神通川、黒部川、駿河湾は富士川、相模湾は酒匂川。
深海湾の3つの特徴に加え、相模湾は富山湾や駿河湾と一味違う特徴があるそう。それは、海底にシロウリガイで代表される化学合生物群集が見つかっている事。
相模湾西側の初島沖や東側の沖の山堆では海底の断層に沿って冷湧水帯があり、その湧水に含まれる硫化水素やメタンをエネルギー源とする生物群集が分布。
初島沖では水深は1100か〜1200mぐらいになるそうですが、海底一面にシロウリガイと呼ばれる2枚貝を中心とした生物群集が見つかっているのです。
駿河湾でもシロウリガイの生息は確認されていますが、ごく小さな群集で相模湾のように海底一面がシロウリガイという感じではないそうです。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真上(左)は相模湾初島沖のシロウリガイ群集
・写真上(真ん中)は駿河湾松崎沖のリップルマーク
・写真上(右)は富山湾七尾沖のオオグチボヤ
・図は3大深海湾の位置

2023.0421 O.A 「くいだおれ太郎とビリケンさんと・・・」 [varied stories]

田伏伸次さん(レコーディングスタジオクーパー代表)
https://studio-cooper.jp/

大阪のシンボル・・・キャラクターとして有名なくいだおれ太郎。一体あれはどんなものなのでしょう?ずっと疑問に思っていたのでお聞きしました。
道頓堀のシンボル的存在「くいだおれ太郎」。あの赤と白のしましま模様の服とピエロ帽、そして、黒ぶちの丸メガネを身につけているお人形。
そもそもは、道頓堀の飲食店「大阪名物くいだおれ」の看板人形として登場し、2008年の閉店までずっと店先に立ち続けてきたそうです。
今でいうファミレス的な複合飲食店のビルの名前が「くいだおれ」で、そのキャラクター的存在だったと。当初は太鼓を叩き、電動で動いていたそう。
そのデビューは70年以上も前の1949年とか・・・。
一度はいなくなったそうですが、2009年の中座くいだおれビルのオープンに合わせ、再び道頓堀に復帰してお客様を出迎えているとのこと。
「くいだおれ太郎の上にあるシャンデリアみたいなものを見てくださいね。小さなくいだおれ太郎がたくさんいますよ〜」
そして、福の神ビリケンさん。足の裏をなでるとご利益があるということで、幸福の神様として人気を博しているそう。
そもそもはアメリカの女性芸術家、フローレンス・プリッツが夢で見た幸福の神様が起源とか。
現在は、通天閣の福の神として多くの人に愛され、いろいろなところでビリケンさんを見かけることが多いそうです。
このビリケンさんは、物事のあるべき姿を司る神様なのだとか・・。どちらにしても地元大阪人にとっては当たり前にあるもの。
特に出かけてみるということはなさそうですが、popo氏の大阪アテンドコースには入っているとおっしゃっていました。
そして、大阪らしいといえば大きな看板。各種あるので、看板だけを見ていても面白そうです。やはり大阪人は派手好きなのでしょうか?
※写真は田伏伸次氏からお借りしました。
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2023.0420 O.A 洋楽 [chord 5]

・Hold on / Will downing
・A friend / The Winans
・I was you / Brian McKnight
・Heart,mind&soul / El DeBarge
~今回の洋楽編、歌モノ Black男性特集です。
セレクトは今回から洋楽担当アンクルパーカー氏。今回の出演は、アンクルパーカー氏&さとう晴美でお送りします。

今度はラオスで・・・(境 智洋編) [fun science]

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氷点下30度以下の2週間後に40度近いラオスへ出かけた境氏。
今回も理科教育の関係です。以前理科教育の振興コースにいらしていたTOさんのフォローアップで出かけ、ラオスの理科教育の現状を見学してきたそうです。
今回で3回目のラオス、今までは北部のルアンババーンだったそうですが、今回は南部のパクセー。
3月は乾季。最低気温は夜になると25~30度という暑さ。
ラオスの理科教育はトピックで学ぶ形。日本は系統的に学ぶスタイル。自分たちで考える力を育てる問題解決型。
ラオスは以前の日本での教育方法に似ている感じです。
ですから今回でラオスの理科教育の状況がわかり、今後はその課題解決の方法を探ることができるのでは?と思われます。
さて、ラオスの食事はお米(もち米)が主体。そこに肉や魚料理。調理方法は焼いたり、似たり、炒めたいり。いずれも辛いそうです。でも美味しかったと。
特産は南部はコーヒー。北部メインでは織物。ということでスタジオにはお米を炊く?蒸す入れ物とお金と織物とインスタントコーヒーをお持ちいただきました。
物価はものによるそうですが、ガソリン1L200円、コーラが100円くらい。500円くらいで美味しいランチが楽しめるそうです。
教員の月収が2~3万円。それだけでは大変なので、ほぼ副業をしているそうです。
お金の単位はキープ。0がたくさんついているのですが、12000~15000キープで100円くらいだそう。
今回学校訪問も行ったそうですが、子供たちの素直な目、学びたいというその熱意をとても感じたとおっしゃっていました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/67SiqBMo2ERvaCR1PRm2iT