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能の台詞〜名ノリ(中西 紗織編) [varied experts]

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能では、謡本というものが台本でもあり、楽譜でもあり、能を習ったり演じたりする場合の大事な本、ガイドブックの役割のようなものも持っています。
そこに書かれている文章を能の詞章と言いますが、能は演劇なので、登場人物や地謡つまりナレーターまたは役にかわって語る役割を担うのが地謡で重要な「役」。
その人たちの「台詞」に焦点をあててのお話しです。『観世流初心謡本』には上巻・中巻・下巻があり、それぞれに五番つまり五演目が取り上げられています。
今回はその上巻のいくつかの能を中心に「名ノリ」について。「名ノリ」とは、能や狂言で出てくるもの、登場人物が名乗る、自己紹介や自分の身の上や状況を説明、
その後の展開へのきっかけとなる物語の大事な導入をつくるものです。
●《橋弁慶》
 前ジテ:武蔵坊弁慶 後ジテ:前同人 子方:牛若丸 トモ:弁慶の従者 アイ:都の者
若き源義経、牛若丸と弁慶が、京の五条の橋の上で初めて出会った時のエピソードに基づき、弁慶が牛若丸に打ち負かされ、主従の契りを結ぶという結末。
その冒頭の有名な名ノリ。前ジテの弁慶が「これは西塔の傍に住む武蔵坊弁慶にて候。」他の能でも、例えば《船弁慶》で、この能では弁慶はワキ。
やはり「かやうに候者は、西塔の傍に住居する武蔵坊弁慶にて候」という台詞を言います。ですから、弁慶といえば「西塔のかたわらに住んでいる人」。
意味はわからなくても、「サイトウのかたわらに住まいする」ということが、弁慶といえばそうだよねという、共通認識のような感じなっていくという事なのです。
この「西塔」とは? 能《橋弁慶》の前場の舞台は比叡山。比叡山といえば延暦寺。延暦寺の僧房には昔、東塔、西塔、そして横川の三つがあったということ。
弁慶は西塔のそばに住んでいたということなのです。
これに続く弁慶の台詞「我、宿願の子細あって、五条の天神へ丑刻詣を仕り候。今日満参にて候程に、只今参らばやと存じ候。」「宿願」というのは、前々から神仏に祈願を込めること。弁慶といえば怪力無双の荒法師で義経に最後まで忠義を尽した家来としても知られています。この「我、宿願の子細あって……」という台詞も、
名ノリのところでよく出てくる決まり文句の一つ。
●《吉野天人》
 前ジテ:里の女 後ジテ:天人 ワキ:都人 ワキツレ:同行者(2~5人)アイ:吉野の里人または山神
まずワキとワキツレが、桜が満開で雲のように見えるその景色をたよりに、吉野の山奥をたずねてやってきましたと謡った後に、ワキが「これは都方に住居する者にて候」と名乗ります。そして「さても我、春になり候へばここかしこの花を一見、仕り候。中にも千本の桜を年々に眺め候。」「千本の桜」とは、京都、嵐山の桜のこと。
嵐山の桜は、もとは吉野の桜を移植したものだという伝説があるという話も語られます。だから、この吉野の山奥に桜をたずねて、若い人たちもつれて、この都の人は
やってきたというわけです。都の人間が、わざわざ山奥に出かけてくる理由が、桜に関すること。しかも、都の有名な嵐山の桜のルーツとも考えられる、吉野の山奥に桜をたずねるという風流なお話。そこに後ジテとして、天女が登場するわけですから、この能の始まりの名ノリから始まり、前からたずねたかった山奥をはるばるたずねて
やっと思いを果たせた、妙なる音楽とともに現れた天女にも出会えたという大変優美な物語展開。
●《土蜘蛛》
 前ジテ:僧 後ジテ:土蜘蛛の精 ツレ:源頼光 ツレ:胡蝶 トモ:頼光の従者 前ワキ:独武者 後ワキ:前同人 ワキツレ:従者 アイ:独武者の家来
《土蜘蛛》では、ツレの胡蝶という女性が、浮き立つ雲や風の風景と頼光の病の具合はいかがであろうかという心持ちをかけるようにして一節謡った後に名乗ります。
「これは頼光の御内に仕へ申す、胡蝶と申す女にて候。」頼光のお屋敷に仕える、胡蝶という女ですと。頼光が病にふせっているので、「典薬の頭より御薬を持ち、
只今頼光の御所へ参り候」と言います。「典薬の頭」とは、典薬寮の長官のこと、典薬寮とは、その昔宮中の医療に関することを担当していた役所のこと。
源頼光は、大江山の酒呑童子を退治したという伝説で知られる強い武将で、大事な人。そこで胡蝶が「典薬寮の長官」が手配した薬を頼光のもとに届けるというわけです。
●《田村》と《東北》
この二つの能の謡の冒頭部で面白いのは、名ノリのところがほぼ同じ台詞。
どちらも、ワキの旅の僧が名乗るのですが、《田村》の台詞は「これは東国方より出でたる僧にて候。我いまだ都を見ず候ほどに、この春思い立ちて候。」
《東北》では、「これは東国方より出でたる僧にて候」ここまでは全く同じ。その後は「我いまだ都を見ず候ほどに、この春思い立ち都に上り候。」
「この春思い立ちて候」と「この春思い立ち都に上り候。」ほとんど同じなのです。

2023.0414 O.A 「東京散歩、特別編の第二弾~東京国立近代美術館 重要文化財」 [varied stories]

菊田真寛さん(会社役員)

東京散歩 特別編の第二弾「重要文化財」東京国立近代美術館の話題です。
この美術館と今回の特別展のご紹介から。東京国立近代美術館は、東京の中心部で皇居のお堀端にあります。1952年12月に開館、開館70周年。
これを記念して今回の東京国立近代美術館では、明治以降の絵画・彫刻・工芸で重要文化財に指定された68件が一挙に公開されるということで出かけたそうです。
パンフレットによると、「ただの名品展ではありません。いまでこそ「傑作」の呼び声高い作品も、発表された当初は、それまでにない新しい表現だったので、「問題作」でもありました。そのような作品が、評価されて「重要文化財」になる美術史の秘密にも迫ります」「日本の近代美術の魅力の再発見」と。
「重要文化財」について。以前、国宝についてはお話しをして頂きましたが、定義は「文化財保護法によって指定した日本にある有形文化財のうち、歴史上、
芸術上の価値、学術的な価値が高いものを文部科学省が指定するもの」を重要文化財とするそうです。
「重要文化財はいくつあるでしょう? 僕はこんなに沢山あるんだと驚きましたが・・・。美術工芸品で重要文化財が10,820件、うち902件が国宝。
国宝を除くと9,918件。その他に、建造物が、5,373棟、うち国宝が294棟、5,079棟あるそうです。日本文化の名品や歴史上の貴重な作品は後世に残す必要がありますね。今回はその他の博物館や美術館での特別展と違うところは、ほとんどの美術品は写真撮影が許されていることでした。」
本物をじっくり見て、大きさや、色彩、雰囲気などを感じることは、とても貴重な経験です。そして、図録なので、その後見直したことはあったそうですが、
その場で写真を撮影し、思い出すのもとても良かったとおっしゃっていました。
近代美術展として、美術館に行くのは、実は初めてと菊田氏。今までは江戸時代以前、1,600年代の美術品などの観賞に行くことが多かったそう。
また、洋画を観賞することは、なかったかもしれないと・・・。作品はご存じの方も多いと思いますが、なんとなく教科書や、雑誌などで観た記憶?がある作品が多く、
「あ〜っつ、どこかで観たことある」「これこれ」等感じたそうです。
その中で、ご紹介いただいたのは・・・まず、以前にも東京芸術大学美術館で初めて観て感動した作品で、好きになった作品にまた「お会い」できた!とその作品から。
高橋由一作の洋画、1877年、明治10年頃の作、日本で一番有名な「鮭」。油絵で最初の重要文化財に1967年に指定されたもので、それまで日本の技法材料では困難だった
本物そっくりの描写が可能となったことから、質感や、鮭の皮であるとかが表現されていて、縄で吊るしてある鮭のリアルさがとても、好きと教えてくださいました。
「「鮭」のメモ帳、クリアファイル、ブックマークを買ってしまいました。」なんて。
もう一つ、ご紹介いただいたのが、工芸作品 初代宮川香山。1881年の作品で、「褐釉蟹貼付台付鉢」です。高さ50cmほどの焼き物の台付の壺の上に渡り蟹、
本物そっくりの焼き物の渡り蟹がのっています。ある意味グロテスクな作品ですが、妙に不思議で、本物そっくりというところが、驚いたそうです。
作品評価としては、明治工芸の代表作の一つとして2002年に重要文化財に指定されたそう。現在は、「超絶技巧」性として脚光を浴びているそうです。
「今まで、近代美術にはあまり興味がありませんでしたが、明治の近代美術についても、とても素晴らしい作品や質感の素晴らしさを感じることができました。」
※写真は菊田真寛氏からお借りしました。
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