SSブログ

釧路のことあれこれ(黒田 理編) [varied experts]

ve1006黒田部長.jpg
釧路にいらして1年が過ぎた黒田氏。釧路で暮らしていて、釧路の方達からよく聞く言葉があると・・。「釧路はなにもない」。
先日も北海道新聞の記事の中に見つけたと。20年間続いた夕刊の地方面『どどんと』という欄が朝刊に移るのに合わせ、振り返る連載記事が掲載されました。そこで見つけたそう。釧路で生まれ育った記者は学生時代、釧路は何もないと思っていたそうです。ところが、取材で多くの人に会うようになり釧路の魅力を教えてもらい考えが変わっていったそう。たとえば、避暑のために毎夏、釧路を訪れていた愛知県の画家の方との出会い。その方がご自身の目で見た釧路は『フランスの地方都市のような趣がある。なにもないことはない。素敵な風景があるじゃない』。この記者は、通勤で毎日見ている景色が、こんなに魅力的に見えるのかと衝撃を受け、いかに自分が故郷をきちんと見てこなかったのかを反省したそうです。
先日、釧路にいらした黒田氏の知人をヒアガーデンに案内したそう。その人はロンドンに長く暮らしていたのそうですが、弊舞橋から河岸にテントを張り、にぎわっている様子を見て『テムズ河みたいだ』と懐かしがっていたそうです。
10年以上前の全国に釧路をPRする大型ポスターを制作したという記事をご覧になった黒田氏。人々がつぶやく吹き出しがいくつかあり、『何もない街』から始まり『カニやら魚やら美味いモノいっぱい』と魅力を語ります。中には『ゴキブリもいない』という『ないこと』を売りにしたものも。
「釧路の人は実は『なにもない』と言って、本当にはそう思っていないんじゃないかと感じるのです。『魚はおいしいじゃない』『湿原みたいな自然はほかにはないよ』という答えを待っているんじゃないかなという気がしています。どうでしょうか。」
昔の映画とか小説等を読むと、確かに違う釧路があると・・・。「1984年の『男はつらいよ』の33作目『夜霧にむせぶ寅次郎』を見ると、釧路駅前から弊舞橋までの景色がいまと全然違います。40年前、たしかにデパートも映画館もなんでもあったんだと思います。北大通は、人と人の肩がぶつかったというのも本当だと思いました。また、原田康子さんの有名な小説『挽歌』を読むと、もっと時代の流れを感じますよね。1956年の作品。冒頭のほうにこんなくだりがあります。〜繁華街のほうから街のざわめきがきこえてくる。自動車のクラクション、街頭放送のアナウンス、なにかの音楽、通行人たちの足音と会話と衣ずれ。それらの音が全部溶け合い、重なり合った街のざわめきがきこえてくる。あるいは…。街はにぎやかであった。高い百貨店の陰の道路に、風船売りや花屋の車がたくさん並んでいた…(中略)…百貨店の前の停留所からバスに乗り込む。次々とくるバスの車体には行先が書いてあった…〜。目に浮かんでくる風景は、いまの北大通や末広のものとは違いますよね。そういう景色と比べて『釧路はなにもない』『なくなった』というのかもしれませんが、実は釧路の人は心のどこかで、そんなことはないと思っているような気がするんです。」と黒田氏。黒田氏は釧路に来るまで12回、転勤。色々なまちに住み、そこの暮らしぶりを知っているつもり・・・と。その中でも釧路は印象に残るまち、大好きなまちとおっしゃっていました。廃墟ビルや廃墟のような飲み屋街は困りものだなとは思うそうですが、それでもどことなく情緒があると。
「実は私、会社を退職するので、今回の収録が最後になります。近く釧路を離れます。残念だなと思います。でもまた戻ってきたいと思っています。」
短いおつきあいでしたが、とても興味深いお話しをたくさんお聞きすることができました。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。

Facebook コメント