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はじめまして・・・(久保田 裕之編) [varied experts]

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10月の人事で室蘭支社報道部長から釧路にいらした久保田部長。実は釧路、道東は初とのこと。「まだ、会社の外にほとんど出ていないので、まちの状況が分かっていませんが、黒金町にある釧路支社からの海の眺めは最高です。夕方になると会社の窓から太平洋を見ては心を癒やしています。西側の沖の先には十勝や日高の山並みが一望できるのも驚きでした。」北海道新聞に入って30年ほど、これから釧路の魅力をたっぷり感じていただければと思います。
久保田氏は東京生まれの東京育ち。入社試験で初めて北海道に。入社は1989年、最初に配属されたのは函館支社。次は本社の整理部。ここは取材したり原稿を書いたりはせず、出てくる原稿に見出しをつけ、記事をレイアウトして紙面を作るのが仕事。その次は本社政治部に移ったそうです。
新聞の編集部門には、おおざっぱに言うと「硬派」と「軟派」という区分けがあるそう。硬派は政治部や経済部、軟派は主に社会部。「私は政治や行政に興味があったので政治部を希望しました。担当は道庁と道議会、道内選出の国会議員や労働組合などです。道庁担当は合計で6年に上りました。これは社内でも長い方になります。最初の知事は堀達也さん、次が高橋はるみさんでした。」
その後、東京支社の政治経済部で政治担当。北海道新聞は地方の新聞社では珍しく、東京に100人近い記者を置いていたそうです。今は少なくなりましたが、海外にも駐在記者を配置。久保田氏は東京で最初に自民党担当となり、いわゆる「番記者」をなさったそうです。亡くなった野中弘務さんや青木幹雄さんの担当。その後、小泉純一郎首相の時代になり、外務省や総務省、国土交通省を担当なさったそうです。それから本社に戻り再び政治部で道庁を担当。現場の記者が書いた原稿を見たり紙面構成を決めたりするデスクとなり、室蘭、滝川を経て本社に戻り、編集本部委員という役職に就きます。その日の新聞の編集長のような仕事。各部署が全道版に出してくる記事や通信社の記事を見て、今日の一面はこの記事、社会面はこの記事、などと決めて紙面を作る司令塔のような役職とのこと。多い日で1日5000本の記事を読んで判断していくそうです。「朝刊を担当すると、昼から翌日の明け方まで休憩なしで16時間ぶっ通しの勤務になり、次々と事件や事故、さまざまな出来事が起きるため席を離れることも出来ません。責任も重大で、振り返ると、よくこんな仕事に耐えられたものだと思います。」
釧路の前は室蘭勤務。釧路はやはり規模が大きく漁業もケタが違うという印象・・・と。「港にずらりと係留されている大型の漁船団も壮観な眺めですね。釧路報道部は釧路、根室管内が取材エリアですが、まだ市外は回れていないため酪農などの農業にも触れられていません。観光名所も多いですが、これもほとんど手つかずです。これから地域の人たちの話をたくさん聞いて道東、釧路の全体像をつかんでいきたいと思っています。」
実は釧路には仕事では何度かいらしたことがあるそうですが、いわゆる観光地には行かれていないそう。例えば釧路湿原とか阿寒湖温泉とか・・・。お出かけになった時にはその感想もお聞きしてみたいと思っています。

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