SSブログ

2021.1013 O.A 市立釧路総合病院 泌尿器科 森田研氏 [close to you <dr.編>]

1013 moritadr.jpg
コロナもそうですが、長い歴史の中で人類と感染症の戦いはずっと続いてきました。釧路ももちろんそう。そこで今回は「災害や感染症によって釧路の医療はどの様な危機を乗り越えてきたのか?」という様なお話しを伺いました。「僕は釧路出身ではないので、医師会の資料や大きな病院のことを語っている本等を探してみたのですが、これが結構あるんですよ。」明治時代から振り返ってみました。天然痘やコレラ、腸チフス、肺結核といった病気が繰り返し流行っていた様です。明治の時代はその戦いだっということがよくわかります。これらは新型コロナウイルスと同様に、他の地域から船で入ってきたり、兵隊さんが入ってきたりする事で流行した様子。スペイン風邪もそうですが、どこからか持ち込まれるといった感じです。呼吸器の感染症、大勢の人が集まり移動するとうつる感染症の他に、性行為感染症等も流行ったそうです。明治の時代は梅毒が定期的に何度も流行るので、繁華街等で流行るのを抑えようという事で病院の近くに検梅所を作ったりしたみたいです。人間の生活を全て制限することは難しいという現実もみえてきます。大正7年にはスペイン風邪の流行で釧路でも1000人を超える方が亡くなったそうです。翌年には釧路港の外来船からコレラが発生したそう。感染症のほかにも釧路から発生したのではと当時言われたのがスモン病。釧路で発生が早かったので釧路の風土病ではないかと言われた時期もあったそうです。ただそれは後から原因が判明。「多分この時代は現在みたいな抗体検査もないですから、大きく流行ると1000人単位という方が亡くなる様な状況があり、原因もなかなかわからないという大変な状況だったと考えられますね。」ところが昭和に入ると、津波、地震、不発弾爆発といった文字が並びます。歴史から何かを学ぶとすれば、衛生面の対策をすること。災害に備えなければならないということ。「これって一つの団体とか病院だけでやっていても立ちいかないので、今回のコロナでも本当に学びましたけれど、皆で協力するしかないですよね。例えば行政も、保健所も、病院でも各病院でどういう治療をするのかを分担しないと難しいかなと感じました。これからの新しい医療を考えた時に、感染症に対する予防というものもいつでも対応できる様にしておかなければ・・・というのが今回の教訓でしょうか。感染症学というのが今後非常に重要になってくるのではないかと思います。」

Facebook コメント