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バルパライソ緊急沖だし事件(満澤 巨彦編) [varied experts]

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写真4.JPG過去の調査航海でのちょっとした事件についてのご紹介。
今まで、主としてプレートの沈む場所について、例えば日本海溝や南海トラフ、また太平洋側に敷設されている海底ケーブルを使った観測について紹介していただきました。ただ、満澤氏は、過去には日本周辺のプレートの沈み込む地域だけではなく、プレートが生まれる場所での調査観測に参加してきたそう。
特に太平洋プレート、太平洋の海底は、北米沖のファン・デ・フカ海嶺や南米沖の東太平洋海膨、East Pacific Riseという場所、海嶺と同じで、海洋プレートが生まれる場所になるそうです。
このEast Pacific Rise、EPRは南米チリの4000~5000km沖に南北に連なって存在。海底が生まれる場所は、
定期的か不定期かまだはっきりしていませんが、海底から溶岩が噴き出しており、周辺には高温の熱水が噴き出している場所が海嶺に沿って確認されていると。EPRの調査は、1997年の9月~10月にかけて「しんかい6500」を搭載した「よこすか」で行われ、1998年は米国ウッズホール研究所の「アトランティス」という調査船で「アルビン」という有人潜水調査船を使った調査が行われました。
航海は、南太平洋のタヒチから南米チリのバルパライソまでの前半約1ヶ月、バルパライソからタヒチまでの後半
約1ヶ月と、前半、後半で2つのレグ(航海)に分かれ、調査航海では割と長い航海だったそう。研究者の大半が前半と後半で入れ替わったそうですが、彼とO氏の2名が
通しで乗船。この航海の中間で港町バルパライソに「よこすか」で入港した時の苦い経験。25年前はまだ携帯電話やメールが一般には殆ど普及していませんでした。
前半の航海が終わり、チリのバルパライソに寄港時、出港前日に時間があり、通しで後半も乗船することになっているO氏と、後半の乗船のために来たI氏の3人で、
バスで2時間位の首都サンチアゴの博物館等に見学に行くことに・・・。
実はこの間にバルパライソの天候が急変したことで「よこすか」が急遽沖だしすることになったのです。「沖だし」とは、台風や津波などの時に船が岸壁に着岸していると岸壁にぶつかり破損するおそれがあり、それを避ける為に、安全な沖合に船をだすこと。そうとは知らず、日が暮れてバルパライソに戻ると、バルパライソは大雨。
ずぶぬれで岸壁に戻った時には船はなく、ただただ大波が打ち寄せていて、3人で岸壁に呆然と立ち尽くしたことを覚えていると・・。
翌日出港する予定だったので現金はほぼ全てサンチアゴで使い果たし、3人とも若干の小銭しか持っていなかったのです。公衆電話からクレジットで「よこすか」に電話
しようとしても、衛星電話にうまくつながらず、またJAMSTECに国際電話してもつながらず・・。その他色々試しても結局船にはつながらず。
船に電話するのをあきらめ、まずは港の近くの安そうなホテルに泊まろとしたそうですが、クレジットカードが使えず、見るからに怪しい東洋人3人という事もあったのか、宿泊を断られたそうです。とにかく宿泊施設を確保するため、バルパライソの近くにビーニャデルマールというリゾート観光地があると聞いていたので、クレジットカードでタクシーに乗り、ドライバーに頼み適当なホテルに連れて行ってもらったそう。さすがに観光地のホテルなのでクレジットカードで宿泊でき、ビショビショにぬれた服を
乾かしつつ、ホテルの電話でも船への連絡を試み、結局つながらず。最後の手段として日本の実家に電話し、「よこすか」にファックスしてもらう様に頼んだそう。
夜中の12時をまわっていたはずですが、「よこすか」の船長からホテルに電話があり、船と連絡がとることができたそうです。
翌日、他の乗船できなかった数人と合流し、夕方には沖に停泊している「よこすか」に代理店のチャータ―したボートで乗船することができたとおっしゃっていました。
「天候の急変による思わぬ経験でしたが、最近は、笑い話では済まない様な激変も起きていますので、天候の急変には日頃から十分気を付けていただきたいと思います。」
今回のお話しは、JAMSTEC公式インスタグラムの漫画ジャムコミ(ジャムコミ16話)に昔話として掲載されているそうです。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。(横須賀本部岸壁に着岸中の「よこすか」、後ろから見た「よこすか」青いのは「しんかい6500」の着揚収の
ためのAフレームクレーン、有人潜水調査船整備場の「しんかい6500」、整備場の中から見た「よこすか」目の前が岸壁):2022年7月21日撮影


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