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カキえもんヒストリー(中嶋 均編) [varied experts]

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今回はカキえもんについて・・・。
昭和58年・59年と地蒔き養殖場の牡蠣大量斃死により厚岸の環境で育つ種が欲しいとなり誕生したカキえもん。
寒い夏が続き、牡蠣が育たなかったために起こった現象のようです。
そこで、人工種苗に着手することになりました。中嶋氏はオーストラリア タスマニアに研修に行かれたそうです。アメリカやオーストラリアは人工種苗が盛んに行われていたそうです。日本は宮城という大産地があるので、そこに依存している状況だったのです。
厚岸に種苗センターができたのは日本初のこと。ブランド牡蠣にしたのも厚岸が初。
カキえもんはシングルシード方式で育てられています。0.35mmくらいになると牡蠣は他のものについて育つそうです。そしてそれくらいに育ったものをバスケットに入れて干潟に移動します。より自然に近い形で育った牡蠣が美味しくないわけがありません。
牡蠣は本来そのような場所が好きなのだそう。ずっと水の中にいるのとは訳が違うのです。やはり美味しいものは手間暇をかけないと・・・と中嶋氏。
はじめはシングルシードと呼ばれていた牡蠣に名前が付きます。全国から応募し4400くらいの候補があがりました。
子どもから大人、国民に親しみのある「ドラえもん」全国的な人気で誰からも愛されていること。そして、高級陶磁器 有田焼の「柿右衛門」のように美しく豊かな姿を持ったカキの高級品ということで名前が決まったのです。
※写真は中嶋均氏からお借りしました。

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