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クリスマス・イブの思い出(満澤 巨彦編) [varied experts]

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今年3月、国産のH3ロケットの打ち上げが、残念なことに失敗したことを覚えている方は多いと思いますが、実はその前に開発され現在も使われているH2Aロケットの前のH2ロケットも種子島宇宙センターから打ち上げられ、エンジンのトラブルで落下したことがありました。1999年11月15日の出来事。その場所は小笠原諸島北西側の水深約3000の海域。「当時、私はディープトゥ、深海曳航式のカメラやソナーを使って深海調査に深く関わっていました。2000年1月の正月明け早々にはマリアナ海域での海底熱水活動域で調査船<よこすか>でのディープトゥ調査が計画されていたので、その準備を始めたタイミングで打上失敗のニュースが入ってきました。」当時JAXAの前身の宇宙開発事業団NASDAからJAMSTEC上層部に調査依頼があり、急遽、無人探査機<かいこう>を搭載している<かいれい>を使った探査を行う事になったそうです。落下の原因を究明するためにはロケットのエンジン本体を見つけることが必要で、探査のターゲットはエンジン本体。エンジン本体はそれほど大きなものではなく軽自動車位の大きさで頑丈に作られているので、本体がバラバラになることはないだろうとの事。<かいれい>は慌ただしく準備をして落下から4日後の11月19日に出港。<かいれい>の調査ではエンジンの一部が見つかったものの、予定していた日までにエンジン本体が見つからなかった事から、探査は<よこすか>ディープトゥに引き継がれることに・・。「つまり私がもともと乗船するマリアナ海域の調査の前に、エンジン探査の2次調査を実施するという事に・・。予定では正月明けにグアムで乗船することになっていた事と、エンジンの探査航海の責任査が上司だった事から、急遽、海外出張中だった私も呼び戻され乗船することになり、航海が長引けばそのままグアム入港でマリアナの航海になると。乗船者は皆パスポートを持って年越し覚悟で乗船しました。」
<よこすか>は12月19日に出港。海域までの移動中、大しけで激しく揺れて、揺れの中で調査準備を行いひどい船酔いになったことを覚えていると満澤氏。最初は海底の地形や起伏を広範囲で調べることができるディープ・トゥソナーによる調査を実施。このソナーは音波を使い、一定の範囲の海底表面の音波の反射強度を調べることができるもの。人工物や硬い岩などは反射強度が強くなるので、人工物や海底地形等の探査に使われるそうです。このサイドスキャンソナーでロケットの部品らしき反射が確認されたら、カメラに切り替えその反射を目視で確認し、違った場合は、再度ソナーで次の候補範囲を探査してカメラで確認するという方法を繰り返したそう。調査は24時間体制、満澤氏は夜班の班長。班長はディープトゥの観測状況をブリッジで首席と船長に報告するのが役目。詳細な観測データはブリッジでは見る事ができなかったため、怪しい反射が出るたびに、データを記録している格納庫まで4階分ぐらいの階段を降りて記録を確認する必要があったそう。距離にすると40~50m位。格納庫の担当者は満澤氏が降りたり登ったりするので、わざと適当な反射をみて「満澤さん、エンジンらしき反射でています」と呼び出され、反射を確認して大きさが大きすぎるとか、これは地形だとか、判断することに。画像は見慣れていないとなかなか解釈が難しく、毎回呼び出され確認していたそうです。何回か繰り返されいい加減頭にきていた時に「満澤さん、今度は絶対に本当です。エンジン見つかりました。」というので格納庫に・・・。反射範囲が広かったので、これは違うと・・。ただ、その横にシミにように小さな反射があったので、このほうが怪しいので、マークしておいてと指示してブリッジに。「このような状況を繰り返していましたが、例の格納庫に呼び出されて、これが怪しいと言ってマークしていたエコーが実はエンジン本体だったのです。」12月24日、クリスマスイブの昼前に、ディープ・トゥカメラで水深2913mでエンジン本体が見つかったのです。その後、年明けに調査船<なつしま>と無人探査機<ドルフィン3K>により再度メインエンジンの海底調査が行われ、最後は、民間のサルベージ会社によりエンジン本体が引き揚げられたそう。<よこすか>によるエンジン発見は、NHKのプロジェクトXで取り上げられました。「私を格納庫に毎回呼び出した研究者、今は大学の教授になっていますが、調査中『お前はオオカミ少年か』と言われていたことから、放送の中でも<オオカミ少年>と紹介され、本人は折角テレビに出たのに家族に言えないとボヤいていました。」
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
写真(左):12月23日朝、ディープ・トゥソナー揚収
写真(中):12月24日朝。ディープ・トゥカメラ投入(この後にエンジン発見)
写真(右):船内に掲示された発見を喜ぶ陸上からのファックス「連日の昼夜を分かたぬ探索作業 誠にご苦労様です。また、今日は折しもクリスマスイブに相応しくロケットエンジン本体の発見の報に接し、・・・」手書きで「ハッピー、ハッピークリスマス大きな大きなプレゼントありがとうございます。・・・」
当時のプレス発表:「よこすか」2次調査:最初の航海で機体の一部が見つかったことから「よこすか」で調査を引き継ぐことになった。
https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/1999/199912021/ 〜当初の予定なので出港は横須賀、入港はグアム。ディープ・トゥについても紹介。
https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/1999/19991224/ 〜メインエンジンの発見(1999年12月24日 エンジンの画像も見ることができます。)


能の台詞〜暫く(中西 紗織編) [varied experts]

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現代語でも、「しばらくお待ちください」だと少しの間という意味で、「しばらくですね」だとある程度の時間を経たその年月というような意味で、よく使われる言葉。能でもそのような意味で出てくることもありますが、今回は「しばらく!」と、そこで区切られている言い方。「ちょっとお待ちを」のような意味の台詞に注目。
●《箙》
 前ジテ:里の男 後ジテ:梶原源太景季の霊 ワキ:旅の僧 ワキツレ:同行の僧(2,3人) アイ:生田の里人
旅の僧の一行(ワキ、ワキツレ)が生田の森に着き、美しく咲く梅の花を眺めていると、里の男が通りかかります。その男は、この梅は「箙の梅」と呼ばれていて、源平の合戦で活躍した梶原源太景季ゆかりの木だと僧たちに語ります。そして、景季がこの梅の花を箙に挿して戦ったという「箙の梅」の由来を教え、さらに語るうちに、実は自分こそ景季の幽霊だと明かし、姿を消してしまいます。夜も更け、梅の木陰に臥して休んでいる僧の夢に、若武者の姿の景季が箙に梅を挿して現れます。そして、激しい合戦で戦い続ける様子を見せ、僧たちに弔ってほしいと頼むのですが、なお苦しみ続けるのでした。そこでこの台詞「暫く」と景季が言います。「暫く。心を静めてみれば、ところは生田なりけり」ちょっと待てよ、心を静めて冷静になってみたら、ここは梅の花の盛りの生田の里ではないか、と。再び力を尽して敵を倒し、夜が明けていくと「よくよく弔ってください」と言い、景季の霊は消えていくのでした。
●《安宅》
 ジテ:武蔵坊弁慶 ツレ:義経の家来たち(9人) 子方:源義経 ワキ:関守 富樫某 オモアイ:義経一行の従者 アドアイ:富樫某の従者
歌舞伎の《勧進帳》のもととなっている能。能《安宅》は出演する人数が多く、舞台狭しと演者が活躍しドラマチックな展開もあり、見どころの多い能。関守の富樫(ワキ)が「義経たちが十二人の作り山伏」つまり義経も含めて主従12人の山伏に変装してこの安宅の関を通るという情報が入ったというところからこの能が始まります。平家討伐に大手柄を立てた義経は、兄の頼朝から謀反の疑いをかけられ追われる身となり陸奥の国へ逃れていく途中。富樫は頼朝の命により、もし義経の一行が通ったら捕らえるようにと言われています。安宅の関に近づくと、義経の家来たちは「こんな関は武力で打ち破って通ればよい」と言うのですが、ここでシテの弁慶の台詞です。「暫く」「ちょっとお待ちなさい」というわけです。この先も次々関があるので、事を起こさず穏便に通過するのが肝心だと弁慶が言うと、義経も、弁慶の考え通りに取り計らうのがよいだろうと言うのでした。この後に有名な勧進帳を読み上げる場面。弁慶は、私たちは東大寺再建のための寄付を募る山伏の一行だと言い、通行手形でもある勧進帳をスラスラと読み上げるのでした。ところが、富樫が強力に変装した義経を呼び止めます。義経の家来たちは、もはや運がつきたと武力で通ろうという勢い。ここで再び弁慶の台詞「ああ、暫く」「いやあ、ちょっと待て」慌てて事を仕損ずるな、と言い、家来たちの先頭に立って皆を止めます。そして決死の覚悟で一芝居打ちます。弁慶は義経を金剛杖で打ち据え「お前のせいで疑われた」と怒り狂うふりをするのでした。その振る舞いに圧倒された富樫は通行を許可。その後、晴れて関を通過した一行を富樫が追いかけてきます。富樫は「先ほどは大変失礼しましたと」詫び、酒宴へ。
●《大佛供養》
 前ジテ:悪七兵衛景清 後ジテ:同人 前ツレ:景清の母 後ツレ:頼朝の従者(5~7人)  子方:源頼朝 ワキ:頼朝の臣下 アイ:能力(無しの場合も)
平家の武将悪七兵衛景清(シテ)は、東大寺大仏再建の供養に源頼朝が参詣することを知り、人目を忍んで頼朝の首をとって敵討ちをしようと企んでいます。源平の合戦で焼け落ちた大仏殿などの再興に力を尽したのが頼朝。さて、景清には母がいて、奈良の若草の辺りに住んでいるので立ち寄っていこうと・・。ちょうどその頃、景清の母親は景清の消息を心配していて、もう一度会わせてくださいと仏様に祈っているのでした。そこに景清が訪ねてくるのですから、母親は外でわが子の声がする!「景清か」と喜んで迎えるのでした。そこでこの台詞「暫く」「ちょっとお待ちください」と。景清は「辺りに人がいないだろうか。私の名をおっしゃらないでください」と言うのです。母親に再会できたのは嬉しいけれど、暗殺を企む身、誰が聞いているかわからないというわけです。前場の最後は母と子の涙の別れの場面。
後場は大仏再建供養の場から始まり、子方の頼朝が登場。頼朝の家来に何者かと問われた景清は、春日大社に仕える「宮つ子」つまり神職の位の低い者ですと名乗り、庭を掃き清める役人として参りましたと答えます。ところが、衣のすき間から武具が光ったことを怪しまれ、ついに平家の侍悪七兵衛景清と自ら名乗り、太刀を抜き、警護の者たちと斬りあいに。。。景清は強く、あざ丸という名刀で直ぐに敵を討ち取ってしまったのですが、警護の者たちはまだまだ大勢います。今回は頼朝の首をとることはできないとあきらめるのでした。魔法の力のある名刀あざ丸をさしかざすと、霧が立ち、「次の時節を待とう」という声とともに景清は姿を消すのでした。

地球温暖化による海水温上昇の影響(久保田 裕之編) [varied experts]

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今回は、地球温暖化による海水温上昇の影響について。最近は北海道新聞でも海水温の上昇や、それに伴って獲れる魚が変わってきたという話題がよく載ります。
11月7日は朝刊一面で大きく取り上げられた記事がありました。その記事によると、これまで北海道で獲れなかった南方の魚のカマスが一気に11トンも漁獲されたり、ハワイ等にいる魚のシイラも漁獲量が前年の30倍近くに増えたりしているそうです。「さらに驚いたのが、西日本の魚だと思っていたフグ。実は既に都道府県別の漁獲量で北海道が全国一になっているそうです。これまでもブリが獲れるようになった等騒がれてきましたが、さらに状況は進んでいるようです。実際、道南海域の夏場の海水温は今年、平年より5~6度ほど上がっていたようです。」
やはり、釧路やその周辺にも影響は出ています。もちろん釧路周辺も同様ですが、水産業が主体の釧路周辺ではマイナスの影響が深刻になるかもしれませんと久保田氏。道東でもブリのような、本来は本州が中心だった魚は増えています。一方で海水温の上昇によって獲れなくなった魚が多いことの方が影響は大きいと。皆様ご存知の・・サンマやサケ。それぞれ道東の主力魚種で獲る漁師さんや漁業会社だけでなく、市場や流通業者、加工業者、小売業者など裾野が広い分だけ影響は大きくなっているのです。ただそれは、魚に限ったものではありません。今年は11月に開催になった厚岸牡蠣祭り。今年は高水温でカキの身入りが悪く、開催を1ヶ月ずらしました。今回は開催までに生育が間に合い、無事に開催できましたが、今後も高水温が続けば来年はどうなるか分かりません。厚岸や周辺でカキは重要な水産物ですので、水揚げが低迷すれば地域経済への影響はかなり大きくなります。道内で大きなシェアを占める厚岸産のアサリも同様。カキと並んで厚岸の主力産品になっていますが、本州では不漁でした。仮に、今後道内も同様の状況になれば地域への打撃は甚大なものになるかもしれません。
「既存魚種が獲れなくなっても、新たな魚種が増えて穴埋めできれば良いのかもしれませんが、事情はそう単純ではありません。例えが極端ですけれど、代表的なのはフグ。フグは毒があるため特別な免許がないと調理することができません。これまで道内ではフグが獲れなかったため、その免許を持つ人が非常に少なく、いくら獲れても捌いて流通させることができないのです。なので、獲れても、そのまま本州に送っていると言われています。」以前、ブリが獲れ始めたときも、道民になじみの薄い魚だったため価格は上がりませんでした。今年、太平洋沿岸で大量に獲れて話題になったオオズワイガニも同様。店頭には大量のオオズワイガニが安値で山積みされていたものの、調理法が分からず、なかなか売れなかったそうです。どれも、道内ではあまり「儲からない魚」ということのようです。
釧路ではほかにも南方の魚が獲れているそうですが、どれも流通には回らないそうです。やはり、コストを掛けて漁獲しても黒字になるような単価の高さと、まとまった漁獲量がなければ流通には乗らないということなのです。「ただ、これまでも魚種交代は繰り返されてきた歴史があります。新しい魚種が広く定着し、需要が増えて価格が安定し、量も獲れるようになれば、新たな主力魚種になるかもしれません。サンマやサケの不漁が続く中、新たな”稼ぎ頭”に育ってくれることを期待したいところです。地球温暖化による海水温の上昇はこれからも続くと思います。その意味では、釧路の水産業も大きな岐路に立っているのかもしれません。」と久保田氏はおっしゃっていました。

名付けてk2 project ?(中嶋 均編) [varied experts]

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「牡蠣って植物ブランクトンの珪藻のどの種類を食べているのか?」
「厚岸湖と厚岸湾でのプランクトンの違い、そこでも何を食べているのか?」
という質問を中嶋氏からもらい相談したのが、いつもfun scienceでお世話になっている黒田寛氏。
彼は他の研究者にも声をかけてくださって、とりあえず顔合わせを・・・と思っていた私。
初回から4人のプレゼンテーションでスタート。
「あれ?おおごとになってきた」というのが率直な感想です。
珪藻の種類がものすごく多いということと、そう簡単には物事を考えることができないということ。
なぜなら、そこにある現実は様々な要素が絡み合って最終的に生み出された結果であるから。
1回目からすでにわかったことは、厚岸湾と厚岸湖では珪藻の種類が違うということ。
そこに関わるアマモの存在も何かありそう。厚岸湖でも場所によって季節によって変化するということ。
海の海流の流れもそこにはもちろん影響を与えているということ。
ただ、厚岸湖は非常に稀に見る素晴らしい条件が重なっているということは事実のようです。
今後はどうこれを発展させていくのか?立ち返っての目的、そして最終ゴールを考えるという宿題付きで3時間以上にわたる密度の濃い時間を終えたのでした。

北極域研究船の建造(満澤 巨彦編) [varied experts]

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今回は、特に温暖化の影響を大きく受けている北極域を観測調査する船の建造が進んでいるというお話しです。
南極については、南極観測船「しらせ」が毎年、昭和基地への物資輸送やその航海で周辺の観測調査を行っていて、ご存じの方も多いと思います。一方、北極は日本では専用の観測船はありませんでした。かといって調査がされていないというわけではありません。JAMSTECで海洋地球観測船「みらい」が主に夏場、北極海に行き海洋や気象、大気の観測を行っているそうです。ただ「みらい」は耐氷船。砕氷船ではないので、海氷で覆われている場所での観測はできないのです。このため、北極関係の研究者からは大分前から砕氷能力のある研究船建造の要望がでていたそうですが、なかなか実現しなかったそうです。
さて、今建造中の北極域研究船、2年ぐらい前に設計等建造が始まり、2026年の就航を目指して、横浜の造船所で建造が始まっていると・・・。船の大きさは、全長が128m、幅は23m、総トン数は13000トン。JAMSTECでは「ちきゅう」についで2番目に大きな船とのこと。重要な要素となる砕氷能力は、厚さが1.2mの氷海を3.0ktの船速で連続砕氷ができるということです。
海洋の調査観測は海水を採取したり海底までの水温を測ったり、海底の生物や岩石の採取やカメラで海底を観察する場合など、同じ場所に泊まって作業することや、人が歩く速度より遅くゆっくりと移動する必要があるそう。この点が船長泣かせ。でも最近では同じ場所にとどまることができる定点船位保持の機能が向上しているとおっしゃっていました。ダイナミックポジショニングシステム、略してDPSとかDP。普通の船は前後に進むためのプロペラが後ろについていますが、船が横にも動けるようにスラスタと呼ばれる推進器を船の前側と場合によっては後ろ側にもつけて、前後左右の推力をうまく制御して同じ位置にとどまるようにする仕組みとのこと。JAMSTEの船では、飽和潜水の海域実験のために1985年に就航した「かいよう」に国産初のDPSが装備され、その後「新青丸」や「かいめい」「ちきゅう」に装備されているそうです。北極域研究船にもこのダイナミックポジショニングシステム、定点保持機能が装備されることになっているそう。
次に北極域研究船のミッションです。地球温暖化の影響は極域で大きく、特に北極海は温暖化の影響が顕著で、大きな変化がでています。急激に変化が進む北極域で、海洋観測、気象観測、生態系の調査、それぞれの相互関係や、過去の環境履歴やその変遷、また、氷海域の航行の安全性や経済効果、海氷の下の観測技術開発などが主なミッションとして掲げられているそうです。海洋観測では、海の中の水温や塩分、酸性化の指標となるpHを測るCTDと呼ばれる観測装置や深さ毎に海水を採水する採水器が装備され、これで、地球規模の深層循環の大元である北極海での冷たく重い海水の生成規模や状況、その変化の把握を期待しているとおっしゃっていました。
気象や大気の観測では雲の構造や雨や雪の状態などを観測するドップラーレーダーや高層の大気の状態を調べるラジオゾンデの放球システム、広い範囲の海氷状況の確認や安全確保のためのヘリポートも装備されるそうです。また、海底の生物や地形、地質を観察し採取する無人探査機や海氷の下を航行する航行型の無人探査機や海氷下の観測を目的とした水中ドローンも装備される予定と。さらに航行しながら海底地形や地磁気や重力を計測する最新の観測機器等も搭載される事になっているそう。
そして、海洋・地球観測を多角的に観測するための最新の機器が搭載される研究船なので、それらの装置を確実に運用するための船の運航や観測のプロ、観測技術者の協力が必要となります。「私自身は直接このプロジェクトには係わっていませんが、JAMSTECが長年培ってきた経験と実績が求められる国際的なプロジェクトを担う研究船になるので、これからも機会を見て建造状況などお伝えできればと思っています。」
※尚、写真・イラストは JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真上(左)は北極域研究船の模型:全体、船首の下側の穴は横に移動する時に使うスラスタが格納されている。
・写真上(真ん中)は北極域研究船の模型:船首部分。
・写真上(右)は北極域研究船の模型:後部にはヘリポートがある。
・写真中(左)は北極域研究船の氷海域航行のイメージ
・写真中(右)は北極域研究船の氷海域航行時の横からのイメージ
・写真下は北極域研究船の砕氷航行のイメージ
参考:北極域研究船パンフレットPDF:https://www.jamstec.go.jp/parv/j/overview/pdf/parv_ja_202108.pdf
北極域研究プロジェクト紹介サイト:https://www.jamstec.go.jp/parv/j/
気象庁海氷域面積の長期変化傾向(北極域):https://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/shindan/a_1/series_arctic/series_arctic.html

能の台詞〜よくよく物を案ずるに(中西 紗織編) [varied experts]

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物語がある程度進んできて「よくよく考えてみたら、こういうことですよね」と改めてわかったり気づいたりする・・・そんな場面で出てくる台詞。
●《自然居士》
 シテ:説教者 自然居士 子方:少女(または少年) ワキ:人商人 ワキツレ:人商人の仲間 アイ:雲居寺門前の男
シテは自然居士、この能のタイトルとなっている説教師、仏の教えを説きながら修行している若者。その自然居士が京都の雲居寺で七日間かけて人々に仏の教えを説いています。最終日、少女が一枚の小袖を自然居士に捧げ、亡き両親を弔ってくださいと頼みます。けなげな姿に、居士も人々も涙します。するとそこに人商人が登場し、あっとういう間に少女を連れ去ってしまう。少女は、両親の追善供養をしたいために、自分の身を売り、小袖を手に入れたのでした。自然居士は少女の救出に向かいます。やがて琵琶湖のほとりで一行に追いつきその船に乗り込み、人商人たちからどんなに脅されようと、少女を返すようにと言って一歩もひきません。少女の解放をしぶしぶ決めた人商人たちは、そのままでは気持ちがおさまらないので、かの有名な自然居士の舞を見せろと要求。舞を舞わせながらさんざんいじめてやろうと、人商人同士でしめし合わせます。舞台上で烏帽子を着けた自然居士がまさに舞を舞おうという時に、この台詞を言います。「よくよく物を案ずるに」と。そしてこんな台詞が続きます。少女を救い出したけれど、人商人にしてみれば、ただ放してやるのでは不満がおさまらない。だから私をさんざんいじめて恥をかかせてやろうというのだな。あまりにもひどいことではないかと。自然居士は人商人の企みをわかっていて、その上で、無理難題を次々クリアし芸尽しの舞を舞っていく。わが身を捨ててでも人を救おうというその思いは揺るがないのです。ついに少女を無事解放させ、ともに都へ帰っていくという清々しいエンディング。
●《源氏供養》
 前ジテ:里の女 後ジテ:紫式部の霊 ワキ:安居院法印 ワキツレ:同伴の僧(2.3人)
「源氏」とは、『源氏物語』のこと。最初に、安居院の法印と名乗る僧とその一行が登場。この人は平安から鎌倉時代に実在した聖覚というお坊さんで、安居院法印の通称で知られる人物。安居院法印は、仏法を説いて人々を仏の道へと導く「唱導)」の名手として活躍し、この能の冒頭部で「今日は、信仰する石山観音にお参りするところです」と言います。そこに一人の女が登場し、「私はその昔この石山寺にこもり『源氏物語』を書き上げました。しかしその物語の供養を怠ったため、成仏できずにいます。どうか供養をして私を救ってくださいと安居院法印に頼むのでした。この女の正体は『源氏物語』の作者、紫式部の幽霊。夜が更けると、安居院法印の一行は『源氏物語』の供養をし、紫式部の霊を弔います。すると、後ジテの紫式部の幽霊が本来の姿で現れ、感謝を込めて舞を舞うのでした。この能の最後の場面で地謡が言うのが「よくよく物を案ずるに」という台詞。続いて、紫式部こそ、かの石山観音なのだと。その観音様がこの世に現れて、そこに綴られた物語は夢の世のような儚いものなのだと人々に伝えようとしたのだというような言葉でこの能が終わる。
●《草子洗小町》
 前ジテ:小野小町 後ジテ:同人 ツレ(後):紀貫之 ツレ(後):壬生忠岑 ツレ(後):凡河内躬恒 ツレ(後):官女(二人) 子方:天皇 
前ワキ:大伴黒主 後ワキ:同人 アイ:黒主の下人
物語は、大伴黒主の悪事、陰謀が中心。大伴黒主という人は、平安時代の歌人、歌舞伎でもなぜか悪者として描かれている。能《草子洗小町》では、大伴黒主が宮中での歌合せに勝ちたいという思いから、歌合せの相手の小野小町の家に忍び込み、小町が詠んだ歌を盗み聞き。その歌は古歌だと主張するために、黒主は『万葉集』の草子にその歌を書き入れるのでした。歌合せ当日、帝の前に紀貫之、壬生忠岑、凡河内躬恒といった錚々たる歌人が勢ぞろいし、小町の歌が読み上げられる。すると黒主がこれは古歌の盗作だと主張し、万葉集の草子を差し出します。ところが、その歌のところだけ筆の様子が他と異なっていることに小町が気づき、草子を洗ってみてくださいと言うのでした。すると、その歌だけが洗い流されて消えてしまい、あとで書き入れたものだということが判明。企みがばれてしまった黒主がこの台詞を言います。「よくよく物を案ずるに。恥辱よもあらじ。自害をせんとまかり立つ」よくよく考えれば、これほど恥ずかしいことはない。自害をしようと席をたつと・・・。すると小町が止めます。これも歌の道への強い思いのためだからと小町がとりなし、黒主の罪は許されるのでした。歌合せはめでたくおさまり、小町が春の景色の中美しい舞を舞い「和歌の道こそめでたけれ」と、能は締めくくられる。

はじめまして・・・(久保田 裕之編) [varied experts]

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10月の人事で室蘭支社報道部長から釧路にいらした久保田部長。実は釧路、道東は初とのこと。「まだ、会社の外にほとんど出ていないので、まちの状況が分かっていませんが、黒金町にある釧路支社からの海の眺めは最高です。夕方になると会社の窓から太平洋を見ては心を癒やしています。西側の沖の先には十勝や日高の山並みが一望できるのも驚きでした。」北海道新聞に入って30年ほど、これから釧路の魅力をたっぷり感じていただければと思います。
久保田氏は東京生まれの東京育ち。入社試験で初めて北海道に。入社は1989年、最初に配属されたのは函館支社。次は本社の整理部。ここは取材したり原稿を書いたりはせず、出てくる原稿に見出しをつけ、記事をレイアウトして紙面を作るのが仕事。その次は本社政治部に移ったそうです。
新聞の編集部門には、おおざっぱに言うと「硬派」と「軟派」という区分けがあるそう。硬派は政治部や経済部、軟派は主に社会部。「私は政治や行政に興味があったので政治部を希望しました。担当は道庁と道議会、道内選出の国会議員や労働組合などです。道庁担当は合計で6年に上りました。これは社内でも長い方になります。最初の知事は堀達也さん、次が高橋はるみさんでした。」
その後、東京支社の政治経済部で政治担当。北海道新聞は地方の新聞社では珍しく、東京に100人近い記者を置いていたそうです。今は少なくなりましたが、海外にも駐在記者を配置。久保田氏は東京で最初に自民党担当となり、いわゆる「番記者」をなさったそうです。亡くなった野中弘務さんや青木幹雄さんの担当。その後、小泉純一郎首相の時代になり、外務省や総務省、国土交通省を担当なさったそうです。それから本社に戻り再び政治部で道庁を担当。現場の記者が書いた原稿を見たり紙面構成を決めたりするデスクとなり、室蘭、滝川を経て本社に戻り、編集本部委員という役職に就きます。その日の新聞の編集長のような仕事。各部署が全道版に出してくる記事や通信社の記事を見て、今日の一面はこの記事、社会面はこの記事、などと決めて紙面を作る司令塔のような役職とのこと。多い日で1日5000本の記事を読んで判断していくそうです。「朝刊を担当すると、昼から翌日の明け方まで休憩なしで16時間ぶっ通しの勤務になり、次々と事件や事故、さまざまな出来事が起きるため席を離れることも出来ません。責任も重大で、振り返ると、よくこんな仕事に耐えられたものだと思います。」
釧路の前は室蘭勤務。釧路はやはり規模が大きく漁業もケタが違うという印象・・・と。「港にずらりと係留されている大型の漁船団も壮観な眺めですね。釧路報道部は釧路、根室管内が取材エリアですが、まだ市外は回れていないため酪農などの農業にも触れられていません。観光名所も多いですが、これもほとんど手つかずです。これから地域の人たちの話をたくさん聞いて道東、釧路の全体像をつかんでいきたいと思っています。」
実は釧路には仕事では何度かいらしたことがあるそうですが、いわゆる観光地には行かれていないそう。例えば釧路湿原とか阿寒湖温泉とか・・・。お出かけになった時にはその感想もお聞きしてみたいと思っています。

厚岸湖で異変??!!!(中嶋 均編) [varied experts]

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厚岸湖で異変が起きたんですよ・・・となんだか嬉しそうな中嶋氏。実は地種が厚岸で見つかったそうです。
9月中旬に厚岸湖で牡蠣をあげていた時に、牡蠣の上に牡蠣がついたり、フロート(浮き)の上に牡蠣がついていたり・・・。
相当な数の牡蠣が育っていたそうです。今まで、他の地域ではその様な現象があっても、現地の人はどうしてそれをとらないのか不思議とおっしゃっていたのですが、なんと厚岸でもとうとう。
ということは、今までのマルえもん、カキえもん、弁天カキ、ナガえもんとは違ったネーミングを考えなくては・・・になるかもしれません。
今年は水温が高かったためなのか?しっかり調査をしないとわかりませんが、これが毎年続くのか?はたまた今年だけで終わってしまうのか?誰にもわかりません。
ただ、厚岸産の牡蠣ということには間違いないのです。
この水温と牡蠣の関係、以前は中嶋氏は牡蠣にとっては良いと思うとおっしゃっていたのですが、今年は牡蠣まつりが延期になりました。実入りが悪いから、きちんとした牡蠣が提供できないということで。通常、卵が出ない様に温存させ、並行して、卵が出てしまった牡蠣は外に出して、栄養を身につけるという方法で牡蠣を育てています。それが水温が高いことで少し調子が狂ってしまった感じです。外に出しても水温が高いことで、エサもあまりとれない。ということは牡蠣も予定していた牡蠣まつりの時までにもとに戻らなかった・・・という事なのです。
「牡蠣の数が少ないとか、死んでしまったということではないのです。もうすでに少し身がしっかりしてきているものもあります。
牡蠣まつりの行われる来月になれば、最高に美味しい牡蠣になると思いますよ。」
※写真は中嶋均氏からお借りしました。

地球規模の深層循環(満澤 巨彦編) [varied experts]

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図_深層循環.jpg今年の7月に国連事務総長が『地球温暖化 Global Warming』から『地球沸騰化 Global Boiling』の時代に入ったと言っていましたが、まさにそれを裏付けるように全国的に猛暑が続きました。
気象庁の異常気象分析検討会でも、今年の猛暑は『異常気象』というお墨付きがでています。
満澤氏は『地球沸騰化』という言葉を耳にしたことで、本来ならほとんど変化することがない
北太平洋の水深約4000mより深い深海で水温が微小ですが上昇したという報告があった事を思い出したと。
そこで、今回は北太平洋の深層海水の水温の上昇に関して地球規模の深層循環との関係も含めて紹介いただきました。地球規模の深層循環は、北大西洋のグリーンランド沖と南極大陸の周りで海水が冷やされることで海水の密度が高くなること、海氷(氷)が生成されることで海水の塩分が濃くなること、この2つの要因から密度の高い、つまり重く冷たい海水が生成され、その海水が北極と南極で沈むことで始まります。
深層水の形成がなぜ北太平洋ではなく北大西洋なのかわかりますか?と満澤氏。実は、北太平洋にはベーリング海峡があり、海峡の水深が42mと浅く、北極海が大西洋側に開いているので北極海で生成された深層水が太平洋側に入ってくることはないと。このため、北太平洋は深層循環の終着域となるのです。「ざっくり言うと、北大西洋グリーンランド沖で沈降した海水は北アメリカ、南アメリカ大陸に沿って大西洋の深海を南下し、南極周辺で生成され沈降した深層水と合流。オーストラリアの南側を通り、ニュージーランド東側の比較的深い海域から太平洋に入ってきます。その後、太平洋を北上して釧路の東側に広がる北太平洋で表層にでてくるのです。」
北大西洋グリーンランド沖と南極大陸周辺で生成された低温で高塩分の海水がゆっくりと沈降。その沈降する海水が、その前に沈んだ海水をポンプのように押すことで、循環が成り立っているそうです。この地球規模の循環はウォーレス・ブロッカーが1980年代に、深層水や海底表層の堆積物の年代測定を行い公表したので、ブロッカーのコンベアーベルトと呼ばれていると・・・。このコンベアーベルトは、ざっくりと1000年から2000年かけて一巡すると言われているそう。ということは、平安時代かそれより前にグリーンランド沖で沈んだ海水が、ようやく北太平洋にたどりつき表層にでてきているということになるのです。
さて、地球温暖化の影響でこのポンプの基になる重い海水が減少しているという報告があるそう。この点については、温暖化の影響として理解いただけるのではないでしょうか。ただ、深層水の素になる海水が減ってその影響が深層海水の終着域、北太平洋の深層にでるのは、深層循環の周期が1000年から2000年ということから1000年以上は先なのではと想像できます。確かにその沈んだ海水が北太平洋にたどり着くのは1000年先かもしれませんが、深層循環はベルトのようにつながっているので、大元のベルトを推すポンプの力が弱くなれば、ベルト全体の勢いが弱くなります。周囲の暖かい海水を推す力も弱くなり、北極や南極で生成された冷たい海水の勢いも相対的に弱くなり、それより少し暖かい周囲の海水の影響をうけることになり水温があがると考えられていると満澤氏。
北太平洋の深層水の水温の変化については、気象庁のHPでも継続的に公表され、1990年代から0.004℃から0.007℃上昇。これはポンプの力が弱くなっていることの指標であり、温暖化の影響を継続的に受けていると考えて良いとおっしゃっていました。
「過去10万年の気候変動からは寒冷化の時は、深層循環が弱まるということはわかっていますが、今起きている深層海水の水温上昇が、今後の温暖化にどのように影響するか、まだよくわかっていないのが実状かと思います。深層水の水温上昇の影響については良くわかっていませんが、今年の夏の猛暑を思うと、地球温暖化の対策はまったなしの状況になっているのではないかと思います。」
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真(左)は深層循環実験の写真(その1)〜表層の水をインクで色付けし、北極あるいは南極を想定して手で氷を入れているところ
・写真(中)は深層循環実験の写真(その2)〜氷により冷やされた水が沈み始めたところ
・写真(右)は深層循環実験の写真(その3)〜水槽の底(深海を想定)に冷やされた水が拡がっていくところ
・図はブロッカーのコンベアーベルトに基づく深層循環
参考:○WEB記事:深層の水温上昇についてキッズ向けに作成した解説
https://www.jamstec.go.jp/j/kids/press_release/20100625/
○北西太平洋の底層の水温変化(気象庁のホームページ)
https://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/shindan/b_1/deep/137e_deep.html

能の台詞〜急ぎ候ほどに〇〇に着きて候(中西 紗織編) [varied experts]

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IMG_8057.jpg急いで来ましたら、どこどこ(ここに地名などが入ります)に着きました、という意味。
能でよくある所作の表現の仕方に、例えば一足、つまり一歩前に踏み出すことで、
空間・時間を一気に飛び越えてしまうというものがある。
能の特徴的な表現方法の一つと言えるかも・・・。
●《玉鬘》
 前ジテ:里の女 後ジテ:玉鬘内侍 ワキ:旅の僧 アイ:初瀬寺の門前の者
『源氏物語』の「玉鬘」に題材をとった物語。最初に、旅の僧(ワキ)が奈良の「霊仏霊社」つまり寺や神社をくまなくまわったので、今度は「初瀬詣で」をしようと言う。初瀬詣でとは、奈良の長谷寺へのお参り、現在の奈良県桜井市の長谷寺へお参りをすること。この寺は古くからご本尊の十一面観音菩薩で知られ、古典文学の中にもよく登場し、
平安貴族もあこがれた霊場。
この能の最初に「これは諸国一見の僧にて候」と名乗ったワキのお坊さんは、霊場巡りをして初瀬川に到着し、この台詞。「急ぎ候ほどに 初瀬川に着きて候」。急いで来ましたら、ついに目的地の初瀬川に着きましたと喜びいさんで言う。するとそこに、一人小舟を操り初瀬川をのぼってくる女が現れる。女は長谷寺の「二本の杉」にお坊さんを案内。『源氏物語』に登場する玉鬘の内侍ゆかりの杉の木だとその女は言い、だんだん正体を現し、ついに、私は玉鬘の幽霊だと明かすと姿を消す。
玉鬘という人は、数奇な運命をたどった美しい女性として『源氏物語』に描かれている。後場では、玉鬘の霊が妄執の念によって苦しむ様子で現れる。お坊さんの弔いによってようやく過去の妄執から逃れることができたというエンディング。
●《富士太鼓》
 シテ:富士の妻 ワキ:萩原院の臣下 子方:富士の娘 アイ:臣下の従者
萩原院の御代、萩原院とは花園天皇のこと。その御代に宮中での管絃の太鼓の役をめぐり、浅間と富士という楽人が争い、富士が殺害されるという事件が起こったというところから物語が始まる。夢見が悪く胸騒ぎを覚えた富士の妻(シテ)、そして子方の富士の娘が二人そろって都にやってくる。そこでこの台詞「急ぎ候ほどに 都に着きて候」急いで参りましたので、早くも都に着きました、と。富士の妻の台詞に「私は摂津国住吉の楽人、富士の妻です」というのがあるので、摂津国住吉、現在の大阪市住吉、住吉大社の楽人の妻ですということ。萩原院の臣下の男性が、富士の妻がやってきたと聞き、富士が非業の死をとげたことを伝え、形見の装束を富士の妻に渡す。舞台中央には、太鼓がすえられた美しい作り物が置かれ、富士の形見の装束を身に付けた妻が、太鼓をかたきとみなし狂乱して太鼓を打つ。なかなか恨みは晴れず・・・日没となり、ようやく心に平穏を取り戻した富士の妻は名残り惜しみながら静かに帰っていく。
●《安達原》
 前ジテ:里の女 後ジテ:鬼女 ワキ:山伏祐慶 ワキツレ:同行の山伏 アイ:能力
観世流だけこの名前で呼ばれ、他の流儀では《黒塚》と呼ばれていて、歌舞伎にもある演目。今の福島県二本松市のあたり、安達原というところに山伏修行の僧、お坊さんの一行がやってくる。一行を率いるのは、祐慶(ワキ)という高僧。山伏修行を積んで、陸奥の安逹原にやってきた。そこで、この台詞、「急ぎ候ほどに これははや陸奥の安達が原に着きて候」急いで参りましたので、はやくも陸奥の安逹原に着きました、というわけ。ところがそこで日が暮れてしまい、人里もないなあと困っていると、遠くにあかりが見える。そこへ行って宿を借りようということに。一行が一軒の庵にたどり着くと、中から歳たけた女(前ジテ)が出てきて、こんな粗末な庵でよいならと、宿を貸す。山伏の一行と語りながら、女性は糸車を回す。女は孤独な身の上を嘆き、昔語りをしながら涙にむせぶ。この能では、夜更けとなりあまりに寒いので、庵の主の女は薪を取りに山に行ってきましょうと告げ、「私が出かけている間、私の寝室の中は決して見ないように」と言い残し、出かける。実は、不審に思った者が見てしまう。すると、そこには人間の死体が積み上げられていた。「恐ろしや」これは鬼の住みかだ!と気づく。全員あわてふためいてその場から逃げ出す。すると、背後から鬼の正体を現した女(後ジテ)が追いかけてくる。鬼女は怒り狂い、山伏たちに迫り一口に食おうと襲い掛かって来るが、修行を積んだ山伏、法力により、つまり強力なお経を次々唱えることで、鬼女の力を奪う。そしてついに鬼女は祈り伏せられ、消えてしまう。