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厚岸の牡蠣はいつから始まった?(中嶋 均編) [varied experts]

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先週お送りした白糠の山の中で見つけた牡蠣礁は今から3800万年前のもの・・・という事が聞いたので、それが気になって仕方がない中嶋氏。
では厚岸の牡蠣はいつくらいから?と調べたそうですが、どうやら、今から4000年前とのこと。
縄文時代中期・・・彼らは牡蠣を食べていたのでしょうか?
「食べてたと思うよ。おそらく煮たり、焼いたりして・・・」殻を開けるものがなかったから、火を使って料理したかも。と二人で勝手なおしゃべりをしていました。
世界中に牡蠣は存在します。その豊富な栄養たっぷりの牡蠣を昔からおそらく人類は食べていたのでしょう。
今の時期の牡蠣は身が白からクリーム色にかわっているそうです。
卵を持っている時のクリーミーというものとは違い、牡蠣本来のクリーミーさを味わうことができるそう。
時期が違うと牡蠣の餌も違うので、味わいが変わるのです。
「だから・・牡蠣は毎月食べないと〜」と笑顔たっぷりの中嶋氏はおっしゃっていました。
※真ん中の写真は中嶋均氏からお借りしました。

長期孔内観測点構築(満澤 巨彦編) [varied experts]

1海底に敷設する10kの細径光電気複合ケーブルの展張ボビンの取り付け作業.gif2無人探査機ハイパードルフィン、内側に展張ボビンを抱えている.JPG3光電気コネクタの接続の様子.GIF
4「新青丸」元旦の夕食、最近はわりと質素.jpg南海トラフの海底地震観測の新たな観測点の構築について。
南海トラフはフィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込んでいるプレート境界となっています。このため南海トラフではプレート境界型の地震が90~240年ぐらいの間隔で繰り返し発生。
この海域で発生する地震は海域ごとに東側から東海沖、東南海沖、南海沖、そして日向灘と別れていて、それぞれ別々に地震が発生することもあり、時間を空けて連動して起きる可能性があることがわかっているそうです。このため、JAMSTECではDONETと呼ばれる海底ケーブルを利用した海底地震津波観測監視システムを紀伊半島沖の東南海沖熊野灘から南海沖東側の紀伊水道沖にかけて整備し、完成した後は、陸域の地震観測網とあわせて防災科学技術研究所が運用。「私もこのDONETの運用には今も係わっています。」
海底をボーリングして掘った孔の中に観測装置を設置した観測も3箇所で行っていて、新たに4箇所めの観測地点を設置。より震源に近い場所で観測できることと、海底の流れや海上を航行する船舶などのノイズが減るので、高感度な観測ができるという大きなメリットがあるとのこと。この観測装置は長期孔内観測システム。「今回海底下に設置した長期孔内観測システムは、孔内間隙水圧計と光ファイバー歪計で構成された新型のシステムです。孔内間隙水圧計はすでに設置されている3箇所の孔内観測システムに導入されていて、海底下500mで地層から染み出す間隙水の圧力、すなわち地層に加わる力を測定する装置。光ファイバー歪計は、今回新たに導入された観測装置で、微小な地震から強い地震まで、振動の帯域としては超低周波から低周波の地動をカバーすることができるとおっしゃっていました。
従来の地震計や傾斜計の変わりに光技術を活用し開発された装置で、前の3箇所と同じように、「ゆっくりすべり」と呼ばれる通常検知するのが難しい地震を検知できるので、海底で観測するよりも高感度な地殻変動の観測が可能となるそうです。
この長期孔内観測システムの海底部分には、DONETと接続するためのインターフェイスが設置され、インターフェイスと海底に展開されているDONETのノードと呼ばれるコンセントの役割をする装置とを接続することで、長期孔内観測システムで得られる海底下の観測データをリアルタイムで見ることができるようになると・・・。長期孔内観測システムの設置場所から一番近いコンセント、ノードまでは8~9kmほどあり、その間を直径6mmほどの光と電気の複合ケーブルで接続。海底ケーブルの敷設と接続は無人探査機「ハイパードルフィン」を使って行うとのこと。
「今回は作業開始から終了まで12時間ほどでした。私は陸上で、船からのメールによる経過報告をトラブルが起きないよう祈りながら読んでいました。接続が終わると接続状況の確認のため、すぐに高知県室戸市にあるDONETの陸上局から長期孔内観測システムを起動しデータの伝送、収集を開始。問題なく起動しデータ収集ができるようになりました。現在、データのクオリティチェックなど行なっています。」
今回の観測点は長期孔内観測点としては4箇所目。今までに構築された3箇所は東海沖震源域にあたる紀伊半島の東側にある熊野灘に設置。今回は南海沖の震源域となる紀伊半島と四国の間にある紀伊水道沖に設置。この場所は、ゆっくりすべりの発生が時々確認されている場所。ゆっくりすべりは時にはM6クラスの地震と同規模の歪が我々の知らないうちに解放されることもあるそうです。このゆっくりすべりの発生を把握することは海底の地殻変動の推移を予測する上では非常に重要であると考えられています。「長期孔内観測システムは、ゆっくりすべりのリアルタイム観測が期待されています。今後観測点を増やしていく計画で、さらに西側の南海トラフや新たな観測網の構築が進んでいる日向灘にも設置を予定しています。」
※尚、写真は JAMSTEC 「新青丸」KS-23-J11航海の首席研究者西田周平氏(JAMSTEC海域地震火山部門地震津波予測研究開発センター観測システム開発研究グループ)より提供いただきました。
・写真上(左):広帯域海底地震計(BBOBS)の投入準備:海底に敷設する10kmの細径光/電気複合ケーブルの展張ボビンの取り付け作業((C)JAMSTEC )
・写真上(中):無人探査機ハイパードルフィン、内側に展張ボビンを抱えている((C)JAMSTEC )
・写真上(右):光/電気コネクタの接続の様子((C)JAMSTEC )
・写真下:「新青丸」元旦の夕食、最近はわりと質素・・・と満澤氏((C)JAMSTEC )
参考:富山湾の斜面崩壊(海上保安庁のサイト):https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/kouhou/post-1066.html
参考:JAMSTECプレスリリース 地球深部探査船「ちきゅう」による長期孔内観測システム観測点の構築
(長期孔内観測システムの概要):https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231129/
※東北海洋生態系調査研究船「新青丸」によるDONETへの接続:https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20240111/
※地震調査研究推進本部HP:https://www.jishin.go.jp/

能の台詞〜かかりける處に(中西 紗織編) [varied experts]

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IMG_8852.jpg「このような所に、これこれこういう所に」というような意味。登場人物が、さあこれから物語を語りましょうという、その始まりの場所であるこういう所に、誰々という人がいて、こんなことやあんなことがあって……と、大事なことを語り始めるきっかけとなる台詞。
●《碇潜》
 前ジテ:尉 後ジテ:平知盛の霊 ワキ:旅の僧(ツレ二人は観世流の通常の演出では登場せず金剛流のみ登場) 
後ツレ:二位の尼の霊 後ツレ:大納言の局の霊 アイ:浦人
旅の僧が長門の国にやってきます。現在の山口県下関市。このあたりの海は平家が船戦で滅んだ場所として有名な壇ノ浦の戦いの場所。旅の僧は、私は平家に所縁ある者なので、一門の霊を弔いたいと思いこの地を訪れたと言います。そこへ、船頭の老人が船でやってきます。お坊さんたちは、船に乗せて渡してほしいと頼むのですが、船頭は、それなら船賃が必要だと。船賃のかわりにお経を読誦しましょうとお坊さんが申し出ると、それは有難いご縁だと船頭が大変喜び、読経に耳を傾ける・・・。無事向こう岸に着くと、船頭が壇ノ浦の合戦の様子を語りはじめます。そしてこの台詞「かかりける處に」とシテ(船頭)が謡うと、地謡が「かかりける處に」と繰り返し、壇ノ浦の激しい船戦の様子が語られ・・・船頭は実は自分は平家一門の者、先ほど語った平教経だと言い、弔ってくださいとお坊さんに頼み姿を消す。後ジテは平知盛。長刀を持って現れ、船の上からたくさんの源氏の兵を薙ぎ払い倒したけれども、源氏の方がだんだん優勢に。知盛は最期を覚悟し、鎧兜を二重に身に付け重しとし、船の碇の綱を引き上げ、「かぶと兜の上に碇をいただ戴き 兜の上に碇を戴きてかいてい海底に飛んでぞ入りにける」碇を兜の上にいただき、そのまま海の底に飛び込んで沈んでいったという最期を見せる。
●《夜討曽我》
 前ジテ:曽我五郎時致 後ジテ:同人 前ツレ:曽我十郎祐成 前ツレ:団三郎
 前ツレ:鬼王 後ツレ:古屋五郎 後ツレ:御所五郎丸 後ツレ:郎等(二人) オモアイ:大藤内(祐経の家来) アドアイ:狩場の者
曽我兄弟の仇討ちの物語は大変有名。父の仇 工藤祐経を討ち取ろうと、曽我の十郎(前ツレ)、五郎(前ジテ)兄弟は、源頼朝主催の富士の裾野での巻狩(獲物を追い込んで仕留める狩り)に参加することに。死を覚悟して仇討ちにのぞむ兄弟は、里に残してきた母のことが心配。そこで、忠実な家来二人に形見の品を母のところへ届けるように命じる。家来たちは、自分たちも命を捨てる覚悟がありますと、互いに刺し違えて死のうとするが、兄弟が急いで止める。そして主従の道の礼節を聞き、涙にむせぶ家来二人は曽我の里へ向かうのでした。後場で、曽我の十郎、五郎兄弟は、工藤祐経を見事に討ち果たす。このあと二人は頼朝の家来と戦うことになり、激しい斬り合いの様子が地謡によって迫力いっぱいに表現される。そこにこの台詞「かかりける處に かかりける處に」と繰り返され、兄弟の奮戦の様子が語られる。そしてついに力尽きて、兄の十郎は討たれ、五郎も縄にかかってつかまってしまうという結末。
●《龍虎》
 前ジテ:尉(木こりの老人) 後ジテ:虎 前ツレ:木こりの男 後ツレ:龍 ワキ:僧 ワキツレ:同行の僧 アイ:仙人または所の者
スペクタクル的な能を得意とする観世信光作とされていて、華やかさ・ダイナミックさもたっぷりの話。この能には、龍と虎にまつわる中国の故事も出てくる。
日本各地で修行を積んだ僧が、仏法流布のあとをたずねて船で唐土に渡るというところから物語が始まる。無事唐土に到着すると、ある山で木こりの老人(前ジテ)と若者(前ツレ)に出会います。遠くに見える竹林を、にわかに雲が覆い強い風が吹いて不思議な景色となるので、お坊さんが木こりの老人にたずねると、あれはり龍虎の戦いだと。虎は嵐のような風を起こし、龍は雲を呼び雨や雷を起こすのだと教えてくれます。後場となり、舞台には、一畳台が運ばれ、その上に虎が住む竹林の岩の洞窟をあらわした作り物が置かれる。お坊さんたちが待っていると、急に雨が降り始め、あたりに雷が鳴り響き、光る稲妻の中に金色の龍(後ツレ)が現れる。すると、岩の洞窟にこもっていた虎が姿を現し、龍が呼び出した雲を強風で吹き返します。「恐ろしかりける気色かな」と、お坊さんたちはその様子を見守る。そこでこの台詞。「かかりける處に かかりける處に」続いて、金の龍が雲から下りてきて虎に飛びかかり、お互いに一瞬のすきもない激しい戦いとなりますと地謡が謡う。後ジテの虎が作り物の中から登場し、龍は虎に巻きついて覆いかけるようにして殺そうとしますが、虎も負けていません。身をかわし龍を追い詰めて食い殺そうとします。決着がつかないまま、龍は雲の彼方に飛び去ると、虎は岩の上に上って無念の様子。虎はまた竹林に飛び帰りそのまま岩の洞窟に入ってしまう。

地震のこと・・あれこれ(久保田 裕之編) [varied experts]

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お正月から大変な災害と事故が続きました。特に石川県の能登半島地震は死者が200人を超える大惨事になってしまい、避難者もなお1万人を超えています。特に今回の地震は1月の厳冬期に起きた災害で、寒さや雪が避難生活や復旧作業に重くのしかかっています。「もし釧路で1月に大地震が起きたら…などと考えてぞっとしましたが、かつての釧路沖地震も1月の発生でした。」
ということで、30年以上前の釧路沖地震を少し・・・。釧路沖地震は1993年1月15日午後8時6分に発生。釧路地方気象台で観測史上初めて記録した震度6の大きな揺れ。地震の規模を示すマグニチュードは7.8で、死者は2人、けがは968人、住宅被害は全壊53棟を含め5618棟に上ったそうです。当時の記事を振り返ると、家の中では本棚や仏壇が倒れ、テーブルの上の食器が真横に吹っ飛んだとあったそう。
そのほかにも被害が多数でました。国道は釧路・根室管内9路線230カ所で崩落や沈下、陥没などが起き、JRでも150カ所以上で盛り土崩壊、沈下が起きました。釧路港の被害も大きく、ほぼ全域で埠頭の地盤に亀裂や段差が発生し、液状化現象も確認され、被害総額は550億円に上ったとのこと。
さらに、ガス管の被害が大きかった。破損被害は317カ所に上り、武佐や緑ヶ岡を中心に全供給戸数の13%に当たる9391戸へのガス供給が停止。ガス管の接合部分が揺れで外れて漏れるケースが目立ったようです。ただ、地面が凍結していて重機を使っても掘削するのに時間がかかり、全面復旧は発生から22日後の2月6日。能登半島も厳しい寒さですが、被害の大きかった輪島市の1月の平均気温は3.3度なのに対し、釧路市は氷点下4.8度。釧路で同様の被害が起きたら、被害はもっと深刻になることが予想されます。その後、ガス管は釧路ガスが耐震性の高いものにかなり交換したそうです。水道の方も市が給水車を増やしたりしていますが、水道管は総延長も長いため費用面の問題もあって大きく進んではいないようです。市などは毎年2月の厳冬期に避難訓練を行って、冬場の避難所開設や避難などを行っています。
また、今回の能登半島地震では住宅倒壊が多かったのも特徴の一つ。ニュースでも屋根が家を押しつぶしている家屋の映像などをよく見ます。建物の下敷きになった犠牲者も多いと聞きます。特に能登半島地域の耐震化が遅れていたようで、報道によると1981年に導入された新耐震基準を満たした住宅の割合は、全国平均が90%近いのに対し、被害の多かった珠洲市や輪島市では半数程度にとどまっていたそうです。高齢化が進み、耐震工事をすることに抵抗を感じる住民が多かったためとみられています。今回は1981年以前の旧耐震基準で建てられた木造住宅が多数倒壊しているそうです。釧路も木造住宅がたくさんあります。釧路沖地震の際の住宅の全壊は53棟でした。全道の住宅の平均耐震化率は2020年時点で90%を超えていますが、高齢化が進む地域ほど高額な耐震化工事への抵抗もあって耐震化率が下がる傾向にあるようです。「能登半島地震のニュースでは、倒壊しかけた自宅に住めず、庭のビニールハウスで寝泊まりしている高齢夫婦の話が出ていました。ビニールハウスには石油ストーブ1台しかなく、寒さが厳しい中で困り果てていました。住宅を守ることは命を守ることに直結すると実感しました。」
さらに、釧路の場合は津波被害も想定されています。道が公表した試算では、釧路市は日本海溝・千島海溝沿い地震で津波などにより、最大約8万4千人が犠牲になるとされています。東日本大震災の際も釧路川を津波が逆流しまちの中心部も浸水被害を受けました。厳寒の釧路で真冬の大地震、さらに津波まで押し寄せるとなると甚大な被害が予想されます。日ごろからできる範囲でそれぞれが対策を講じて備えておく・・・まずはそこから動き出さないといけないのだと思います。

最近起きた不思議な津波(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1広帯域地震計の投入準備.JPG写真2短周期地震計の投入作業.JPG写真3孀婦岩(「かいめい」から撮影).JPG
今回は最近起きた不思議な津波について。
規模は小さいのですが、原因のはっきりしない津波が最近日本近海で起きています。
10月5日に伊豆諸島の八丈島で0.2mの津波が10月9日には同じ八丈島で0.7mの津波が確認されました。
伊豆諸島は東京のほぼ真南に点在する火山島。有名なのは伊豆大島や八丈島。伊豆諸島最南端の孀婦岩は東京から約650km離れているそう。その孀婦岩の南側が小笠原諸島。今回は、孀婦岩が重要な場所。孀婦岩は高さが99mの岩の柱で、無人島。にょきっと岩の柱が海面から突き出ていて、周囲は360度、海原で他の島はまったく見えないそうです。この岩はマグマが固まってできており活火山という位置づけになっているとおっしゃっていました。
さて、10月の津波が起きた時の経緯ですが・・・。
10月5日11時7分頃気象庁から津波注意報が伊豆諸島に出されたのですが、11時15分ごろに、10時59分に鳥島近海で発生したM6.5の地震によるということが発表されました。この時は12時すぎに八丈島で0.2mの津波が観測されました。その後10月9日の午前5時25分に鳥島近海で地震が発生し、10月5日と同様に伊豆諸島に津波が到達する可能性があるということで、津波注意報がだされました。この時は0.7mの津波が八丈島で観測され、日本の太平洋側各地で弱い津波が観測されました。この時の地震については、地震の規模を示すマグニチュードと正確な震源はわからなくて、また津波を発生させるような規模の地震ではなかったことから、この地震と津波の関係については今もはっきりとはわかっていないそうです。その後、観測データの解析で、海底火山の噴火など海底で発生する振動が音波に変化して遠くまで伝わる「T波」という波動が午前4時ごろから6時台までの間に14回発生したことが判明。この「T波」について満澤氏の所属している海底地震火山部門の研究者らによる解析の結果、発生源は孀婦岩の西側にある孀婦海山周辺の可能性が高いことがわかったそうです。海底火山の噴火などがあると、海面が変色したり、時には噴煙がみられたりするそうですが、今回はそのような現象は観測されなかったと。
解析を進めている間の10月20日に鳥島の西側の海域で軽石が帯状に漂流しているのが確認され、気象庁が採取して解析した結果、軽石の中には専門用語では「伊豆弧火山フロント」だったと。この伊豆諸島火山列の西側にある火山帯の火山活動に起因した新しい軽石の可能性があることがわかったそうですが、今回の地震活動との関係は今のところわかっていないのです。このため、JAMSTECでは、11月に海底広域研究船「かいめい」で、もともと計画されていた伊豆・小笠原諸島の海底火山調査に急遽、今回の津波を起こした「T波」の波源域である孀婦海山を含めた鳥島近海の調査を追加して行うことになったとおっしゃっていました。鳥島近海では「かいめい」の持つマルチビーム音響測深機による海底地形調査を行い、また観測する振動の帯域の異なる「広帯域地震計」「短周期地震計」と呼ばれる2種類の自己記録型の海底地震計を各3台、計6台設置。海底地形調査の結果は、11月21日にプレス発表。「T波」の発生源として推測した孀婦海山の中央付近にカルデラ状の海底地形が確認されたそうです。カルデラ状地形の外輪の直径は約6km、カルデラ状地形の北側には中央火口丘がありその直径は約2kmで中央火口丘の一番浅い場所で、水深900mぐらい。「今のところ、このカルデラと津波を発生させた火山活動、地震活動の関係はわかっていません。「かいめい」の航海で設置した2種類の海底地震計を回収することで、カルデラ周辺の地震活動や火山活動の詳細が把握できるものと期待しています。特に10月9日は、津波が発生するような規模の地震ではなかったにもかかわらず津波が発生していることから、海底地すべりや火山活動による地形の変化について過去の海底地形図と比較して読み取れるかがカギになるのではないかと思います。またカルデラからの岩石採取などを今後行うことで、漂流した軽石との関係も明確になるのではないかと思います。探偵が事件の解明に努力しているような話ですが、この件については、続報がでたらまた取り上げたいと思います。」
ーーーーーーー※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
写真(左):広帯域海底地震計(BBOBS)の投入準備
写真(中):短周期海底地震計(SPOBS)の投入作業
写真(右):孀婦岩 「かいめい」から撮影
※写真は「かいれい」KM23-14航海の首席研究者吉田健太氏(JAMSTEC海域地震火山部門火山・地球内部研究センター固体地球データ科学研究グループ)より提供いただきました。
・孀婦岩の場所など、鳥島近海の地震活動:https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/column-20231030/
・「かいめい」KM23-14調査速報:https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231121/
・地震調査研究推進本部 鳥島近海の地震活動の評価 (令和5年11月10日公表)https://www.static.jishin.go.jp/resource/monthly/2023/2023_torishima_2.pdf
・(参考)地震調査研究推進本部HP:https://www.jishin.go.jp/

能の台詞〜いかに申すべき事の候(中西 紗織編) [varied experts]

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IMG_8680.jpg「あの、申し上げたいことがございます」というような意味。登場人物が改めて言いたい事があるという大事な台詞。
そして、この言葉を聞いた相手が、「何事にて候ぞ」と返すことが多い。
言いたいことは何ですかと、さらなる発言を促すわけ。物語はさらに、重要な場面に迫っていく展開へ。
●《雲雀山》
 前ジテ:乳母の侍従 後ジテ:前ジテと同人 子方:中将ひめ姫 ワキ:右大臣藤原豊成 ワキツレ(前);豊成の従者 ワキツレ(後):中将姫の従者 
アイ:鷹匠、勢子(狩猟の場で鳥獣を追い出したり逃げるのを防いだりする役)、いぬびき犬引(猟犬使い)
最初に右大臣藤原豊成の従者(ワキツレ)が登場し、中将姫の身の上について次のように語る。中将姫(子方)は、豊成公の娘ですが、「さる人の讒奏により」「讒奏」つまり、天皇などに対して讒言を奏する、他人をおとしいれるために偽りの誹謗中傷を言う。豊成は、この偽りの言葉を真に受け、従者に、姫を雲雀山の山奥に連れていって殺すようにと命じる。ところが従者は殺すことなどできず、姫に仕えるめのと乳母の侍従(シテ)とともに、雲雀山の庵に姫をかくまう。乳母は、草花を摘んで里へ行って売り、細々と暮らしています。豊成の従者がここまで状況を語ったところでこの台詞。従者は乳母に対して「いかに申すべき事の候」と。すると、乳母は「何事にて候ぞ」と答えます。従者は「今日もまた里へお出かけください」と花を売りに行くように促す。さらに乳母は「では、姫君に行ってきますと申し上げてきます」と言います。そして再びこの台詞。今度は乳母から姫君へ「いかに申すべき事の候」それに続いて、今日もこれから里へ出かけて行って、用が済んだら直ぐに帰ります・・・と。そして後場となり、乳母が里へ向かう途中で、雲雀山に狩りにやってきた豊成公とその従者たちと遭遇。乳母は花売りとして、花にちなんだ漢詩や和歌を巧みに引きながら、自らの境遇を語る。そのうち豊成は、この女性こそわが娘に仕えていためのと乳母だと気づき、自らの行いを後悔し、涙を流しながら、姫君と会わせてほしいと言う。最後はめでたく親子の再会が果たされ、豊成が姫を連れ帰るというハッピーエンド。
●《三井寺》
 前ジテ:千満の母 後ジテ:同人 子方:千満丸 ワキ:三井寺の僧 ワキツレ:従僧(三人)
オモアイ:門前の者 アドアイ:能力
京都の清水寺の観音様に祈る女(シテ)が登場。この女性は生き別れになった息子千満丸との再会を祈っている。すると三井寺へ行きなさいという夢のお告げがあり、女性は三井寺へ旅立ちます。後場となり、三井寺の場面。寺の住職(ワキ)と僧たち(ワキツレ)が、最近寺に仕えることになった少年とともに月見をしている。先ほどの女性は、物狂となって登場。ここは女人禁制の寺。能力、寺の下働きの男(アイ狂言)の手引きで、女性は寺に入り込み、鐘の音を聴いて益々興に乗り、鐘楼にあがり鐘をつく。舞台上には小さな鐘が吊られた鐘楼の作り物が置かれている。そして、少年がこの台詞「いかに申すべき事の候」と。するとワキの三井寺の僧が「何事にて候ぞ」。さらに少年は「これなる物狂の国里を問うて賜り候へ」。この物狂の女性の郷里はどちらなのかおたずねになってくださいと言います。そして、女性が「駿河の国、清見が関」と答えると、少年は「なんと、清見が関の人ですか!」。その声を聞いた女性は、声の主こそわが子の千満丸ではないかと気づくのでした。再会がかない、二人連れだって故郷へ帰るという結末。
●《野守》
 前ジテ:野守の翁 後ジテ:鬼神 ワキ:山伏 アイ:春日の里人
野守とは、野を守る番人のこと。最初に、出羽のはぐろさん羽黒山からはるばるやってきた山伏(ワキ)が大和国、春日の里に着き、一人の翁、野守の老人(前ジテ)と出会う。山伏が、目の前にある由緒ありそうな池についてたずねると、野守は、これこそ「野守の鏡」だと答え、野守の鏡とは、昔鬼神が持っていた鏡だといわれを語る。そしてこの台詞。ワキの山伏が「いかに申すべき事の候」と。続いて「はし鷹の野守の鏡と詠まれたるも、この水につきての事にて候か」。「はし鷹の野守の鏡」というのは「はし鷹の野守の鏡得てしがな 思ひ思はずよそながら見む」の和歌。山伏が、本物の「野守の鏡」を見たいと言うが、野守は、それは恐ろしい鬼の持つ鏡なので、見ることはかなわないと言い、塚の中へ消えてしまう。舞台上には作り物の塚。そして、後場。山伏が一心に祈っていると、鬼神(後ジテ)が大きな丸い鏡を手に持って塚の中から現れる。野守の鏡は、天界から地獄まで、すべてのものを映し出すのだと鬼神は語り、鏡にいろいろなものを映し出して、山伏に示す。やがて、鬼神は、大地を踏み破って奈落の底へと姿を消す。迫力たっぷりの台詞でこの能は締めくくられます。「大地をかっぱと踏み破って奈落の底にぞ入りにける」。

全国中学生人権作文コンテスト審査を経験して(久保田 裕之編) [varied experts]

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去年、釧路地方法務局からの依頼で、全国中学生人権作文コンテスト東北海道大会というコンクールの審査を行った久保田氏。第42回なので、長い歴史のある取り組みです。国が行っている人権擁護の啓発活動の一環。テーマは人権問題に関わる事柄を中学生が身近な出来事を通して考えた作文のコンクールとのこと。今回は道東地方の計58校から1102点の応募があり、事前審査を通った16点を読まれたそう。
内容的には「いじめ」問題が一番多かったと。全体の半分以上を占めていたそうです。自分自身がいじめを受けたことや、友達が被害を受けたこと等それぞれの経験を通して人権問題について考えたものが多かったとおっしゃっていました。
そんな中、部長が印象深かったのは、LGBTQの問題を取り上げた作文。初めて読んだ時、少し驚いてしまったと。作文には、自分が同性の友達に好意を寄せていることに気づいた体験が綴られていたそうです。そして、その感情に別の友達が気づき、そっと見守ってくれて、それ以降も変わらずに接してくれたことも書かれていたそうです。「そのときの会話が、非常に温かいやり取りだったのが印象的でした。作文はジェンダー平等や差別について、あるべき社会について真正面からとらえていました。」中学生がそのような問題に真正面から向き合うとはすごいことだと思います。
「文章は中学生らしいのですが、自分で悩んだ分、考え方がしっかりしているなと感じました。このコンテストで10年以上審査を担当している人権擁護委員の方によると、性自認や性的思考について取り上げる作文が応募されるようになったのは、ごく最近のことだそうです。」
また、病気で髪を失った人に医療用ウイッグを提供するヘアドネーションのため、自分の髪を伸ばしている取り組みを紹介した作文があったそうです。文中では、周囲から「偉いねー」と言われるけれど、自分では「偉いことだとは思っていない」と書かれていたとか・・・。患者が外見を気にしないで、ウイッグを着けなくても生活を送れるような、生きづらさを感じない世の中が、本来あるべき姿ではないかと主張していたそうです。すごいですね。こちらは、最近よく指摘される外見主義の問題も絡めて社会をしっかり見つめ、文章も、とても上手に書けていたとおっしゃっていました。
一方で、いじめ関連の作文がなお多いことが気がかりと久保田氏。それだけ深刻な状況が今も続いているということの表れなのでしょう。中には、<グレーゾーンいじめ>という言葉を使った作文もあったそう。第三者には見えにくいいじめという意味だそうです。また、つらいいじめ被害に遭って悩む中学生の作品も・・・。「道内でも、いじめの件数は過去最多に上っていますが、われわれ大人は、どうしても全体件数など報道をベースに状況を俯瞰して見ることが多くなりがち。学校現場は一般には目の届きにくい場所です。そこで何が起きているのか、当事者の訴えを作文によって知ることができた貴重な機会となりました。」
何年か前までは、人権作文の提出を宿題にして、学校単位で応募する例もあったそうですが、今は先生も生徒も忙しく、最近はないそうです。「中学生にとっても、日ごろなかなか機会のない人権問題を考える良い機会になると思いました。一方で、先ほどの人権擁護委員の方は、自民党国会議員がアイヌ民族や在日コリアンに関する投稿で法務局から人権侵犯と認定された例を挙げ、国会議員の方が人権について学ぶべきだと言っていました。まったく、その通りですね。」

今の時期の牡蠣(中嶋 均編) [varied experts]

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寒くなってきた今の時期、牡蠣は最高に美味しいと中嶋氏。「もちろん一年中厚岸の牡蠣は食べることができますが、やっぱりこの時期が一番美味しいと僕は思いますよ。」
夏の牡蠣は卵の味わい、クリーミーでミルク感があって美味しいとおっしゃる方もいるそうですから、やはりそこは好みの問題でしょうね。冬の牡蠣は本来の牡蠣の味が楽しめるという事のようです。
さて、最近新しい牡蠣の養殖機材が導入されたそうです。今まではオーストラリア産だったそうですが、国内のメーカーで初めて開発されたもの。バスケットの中に牡蠣を入れることは、牡蠣のカタチを整えるという意味もあるそう。ですから今後、牡蠣の殻づくり、カタチづくりにも影響が出てくるとのこと。もちろん良い方向に。
今年は地牡蠣がついたり、水温が高いことで様々な影響がありました。ただ、牡蠣にとっては良いことだったみたいです。その牡蠣を今後どう活用していくのか?中嶋氏にとっては今後が楽しくて仕方がないといった感じです。
私がびっくりしたのは、牡蠣の中身のカタチを整えるために、殻のカタチを整えるということ。彼の胸に描かれた牡蠣こそが理想のカタチなのだそうです。
※写真は中嶋均氏からお借りしました。

クリスマス・イブの思い出(満澤 巨彦編) [varied experts]

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今年3月、国産のH3ロケットの打ち上げが、残念なことに失敗したことを覚えている方は多いと思いますが、実はその前に開発され現在も使われているH2Aロケットの前のH2ロケットも種子島宇宙センターから打ち上げられ、エンジンのトラブルで落下したことがありました。1999年11月15日の出来事。その場所は小笠原諸島北西側の水深約3000の海域。「当時、私はディープトゥ、深海曳航式のカメラやソナーを使って深海調査に深く関わっていました。2000年1月の正月明け早々にはマリアナ海域での海底熱水活動域で調査船<よこすか>でのディープトゥ調査が計画されていたので、その準備を始めたタイミングで打上失敗のニュースが入ってきました。」当時JAXAの前身の宇宙開発事業団NASDAからJAMSTEC上層部に調査依頼があり、急遽、無人探査機<かいこう>を搭載している<かいれい>を使った探査を行う事になったそうです。落下の原因を究明するためにはロケットのエンジン本体を見つけることが必要で、探査のターゲットはエンジン本体。エンジン本体はそれほど大きなものではなく軽自動車位の大きさで頑丈に作られているので、本体がバラバラになることはないだろうとの事。<かいれい>は慌ただしく準備をして落下から4日後の11月19日に出港。<かいれい>の調査ではエンジンの一部が見つかったものの、予定していた日までにエンジン本体が見つからなかった事から、探査は<よこすか>ディープトゥに引き継がれることに・・。「つまり私がもともと乗船するマリアナ海域の調査の前に、エンジン探査の2次調査を実施するという事に・・。予定では正月明けにグアムで乗船することになっていた事と、エンジンの探査航海の責任査が上司だった事から、急遽、海外出張中だった私も呼び戻され乗船することになり、航海が長引けばそのままグアム入港でマリアナの航海になると。乗船者は皆パスポートを持って年越し覚悟で乗船しました。」
<よこすか>は12月19日に出港。海域までの移動中、大しけで激しく揺れて、揺れの中で調査準備を行いひどい船酔いになったことを覚えていると満澤氏。最初は海底の地形や起伏を広範囲で調べることができるディープ・トゥソナーによる調査を実施。このソナーは音波を使い、一定の範囲の海底表面の音波の反射強度を調べることができるもの。人工物や硬い岩などは反射強度が強くなるので、人工物や海底地形等の探査に使われるそうです。このサイドスキャンソナーでロケットの部品らしき反射が確認されたら、カメラに切り替えその反射を目視で確認し、違った場合は、再度ソナーで次の候補範囲を探査してカメラで確認するという方法を繰り返したそう。調査は24時間体制、満澤氏は夜班の班長。班長はディープトゥの観測状況をブリッジで首席と船長に報告するのが役目。詳細な観測データはブリッジでは見る事ができなかったため、怪しい反射が出るたびに、データを記録している格納庫まで4階分ぐらいの階段を降りて記録を確認する必要があったそう。距離にすると40~50m位。格納庫の担当者は満澤氏が降りたり登ったりするので、わざと適当な反射をみて「満澤さん、エンジンらしき反射でています」と呼び出され、反射を確認して大きさが大きすぎるとか、これは地形だとか、判断することに。画像は見慣れていないとなかなか解釈が難しく、毎回呼び出され確認していたそうです。何回か繰り返されいい加減頭にきていた時に「満澤さん、今度は絶対に本当です。エンジン見つかりました。」というので格納庫に・・・。反射範囲が広かったので、これは違うと・・。ただ、その横にシミにように小さな反射があったので、このほうが怪しいので、マークしておいてと指示してブリッジに。「このような状況を繰り返していましたが、例の格納庫に呼び出されて、これが怪しいと言ってマークしていたエコーが実はエンジン本体だったのです。」12月24日、クリスマスイブの昼前に、ディープ・トゥカメラで水深2913mでエンジン本体が見つかったのです。その後、年明けに調査船<なつしま>と無人探査機<ドルフィン3K>により再度メインエンジンの海底調査が行われ、最後は、民間のサルベージ会社によりエンジン本体が引き揚げられたそう。<よこすか>によるエンジン発見は、NHKのプロジェクトXで取り上げられました。「私を格納庫に毎回呼び出した研究者、今は大学の教授になっていますが、調査中『お前はオオカミ少年か』と言われていたことから、放送の中でも<オオカミ少年>と紹介され、本人は折角テレビに出たのに家族に言えないとボヤいていました。」
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
写真(左):12月23日朝、ディープ・トゥソナー揚収
写真(中):12月24日朝。ディープ・トゥカメラ投入(この後にエンジン発見)
写真(右):船内に掲示された発見を喜ぶ陸上からのファックス「連日の昼夜を分かたぬ探索作業 誠にご苦労様です。また、今日は折しもクリスマスイブに相応しくロケットエンジン本体の発見の報に接し、・・・」手書きで「ハッピー、ハッピークリスマス大きな大きなプレゼントありがとうございます。・・・」
当時のプレス発表:「よこすか」2次調査:最初の航海で機体の一部が見つかったことから「よこすか」で調査を引き継ぐことになった。
https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/1999/199912021/ 〜当初の予定なので出港は横須賀、入港はグアム。ディープ・トゥについても紹介。
https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/1999/19991224/ 〜メインエンジンの発見(1999年12月24日 エンジンの画像も見ることができます。)


能の台詞〜暫く(中西 紗織編) [varied experts]

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現代語でも、「しばらくお待ちください」だと少しの間という意味で、「しばらくですね」だとある程度の時間を経たその年月というような意味で、よく使われる言葉。能でもそのような意味で出てくることもありますが、今回は「しばらく!」と、そこで区切られている言い方。「ちょっとお待ちを」のような意味の台詞に注目。
●《箙》
 前ジテ:里の男 後ジテ:梶原源太景季の霊 ワキ:旅の僧 ワキツレ:同行の僧(2,3人) アイ:生田の里人
旅の僧の一行(ワキ、ワキツレ)が生田の森に着き、美しく咲く梅の花を眺めていると、里の男が通りかかります。その男は、この梅は「箙の梅」と呼ばれていて、源平の合戦で活躍した梶原源太景季ゆかりの木だと僧たちに語ります。そして、景季がこの梅の花を箙に挿して戦ったという「箙の梅」の由来を教え、さらに語るうちに、実は自分こそ景季の幽霊だと明かし、姿を消してしまいます。夜も更け、梅の木陰に臥して休んでいる僧の夢に、若武者の姿の景季が箙に梅を挿して現れます。そして、激しい合戦で戦い続ける様子を見せ、僧たちに弔ってほしいと頼むのですが、なお苦しみ続けるのでした。そこでこの台詞「暫く」と景季が言います。「暫く。心を静めてみれば、ところは生田なりけり」ちょっと待てよ、心を静めて冷静になってみたら、ここは梅の花の盛りの生田の里ではないか、と。再び力を尽して敵を倒し、夜が明けていくと「よくよく弔ってください」と言い、景季の霊は消えていくのでした。
●《安宅》
 ジテ:武蔵坊弁慶 ツレ:義経の家来たち(9人) 子方:源義経 ワキ:関守 富樫某 オモアイ:義経一行の従者 アドアイ:富樫某の従者
歌舞伎の《勧進帳》のもととなっている能。能《安宅》は出演する人数が多く、舞台狭しと演者が活躍しドラマチックな展開もあり、見どころの多い能。関守の富樫(ワキ)が「義経たちが十二人の作り山伏」つまり義経も含めて主従12人の山伏に変装してこの安宅の関を通るという情報が入ったというところからこの能が始まります。平家討伐に大手柄を立てた義経は、兄の頼朝から謀反の疑いをかけられ追われる身となり陸奥の国へ逃れていく途中。富樫は頼朝の命により、もし義経の一行が通ったら捕らえるようにと言われています。安宅の関に近づくと、義経の家来たちは「こんな関は武力で打ち破って通ればよい」と言うのですが、ここでシテの弁慶の台詞です。「暫く」「ちょっとお待ちなさい」というわけです。この先も次々関があるので、事を起こさず穏便に通過するのが肝心だと弁慶が言うと、義経も、弁慶の考え通りに取り計らうのがよいだろうと言うのでした。この後に有名な勧進帳を読み上げる場面。弁慶は、私たちは東大寺再建のための寄付を募る山伏の一行だと言い、通行手形でもある勧進帳をスラスラと読み上げるのでした。ところが、富樫が強力に変装した義経を呼び止めます。義経の家来たちは、もはや運がつきたと武力で通ろうという勢い。ここで再び弁慶の台詞「ああ、暫く」「いやあ、ちょっと待て」慌てて事を仕損ずるな、と言い、家来たちの先頭に立って皆を止めます。そして決死の覚悟で一芝居打ちます。弁慶は義経を金剛杖で打ち据え「お前のせいで疑われた」と怒り狂うふりをするのでした。その振る舞いに圧倒された富樫は通行を許可。その後、晴れて関を通過した一行を富樫が追いかけてきます。富樫は「先ほどは大変失礼しましたと」詫び、酒宴へ。
●《大佛供養》
 前ジテ:悪七兵衛景清 後ジテ:同人 前ツレ:景清の母 後ツレ:頼朝の従者(5~7人)  子方:源頼朝 ワキ:頼朝の臣下 アイ:能力(無しの場合も)
平家の武将悪七兵衛景清(シテ)は、東大寺大仏再建の供養に源頼朝が参詣することを知り、人目を忍んで頼朝の首をとって敵討ちをしようと企んでいます。源平の合戦で焼け落ちた大仏殿などの再興に力を尽したのが頼朝。さて、景清には母がいて、奈良の若草の辺りに住んでいるので立ち寄っていこうと・・。ちょうどその頃、景清の母親は景清の消息を心配していて、もう一度会わせてくださいと仏様に祈っているのでした。そこに景清が訪ねてくるのですから、母親は外でわが子の声がする!「景清か」と喜んで迎えるのでした。そこでこの台詞「暫く」「ちょっとお待ちください」と。景清は「辺りに人がいないだろうか。私の名をおっしゃらないでください」と言うのです。母親に再会できたのは嬉しいけれど、暗殺を企む身、誰が聞いているかわからないというわけです。前場の最後は母と子の涙の別れの場面。
後場は大仏再建供養の場から始まり、子方の頼朝が登場。頼朝の家来に何者かと問われた景清は、春日大社に仕える「宮つ子」つまり神職の位の低い者ですと名乗り、庭を掃き清める役人として参りましたと答えます。ところが、衣のすき間から武具が光ったことを怪しまれ、ついに平家の侍悪七兵衛景清と自ら名乗り、太刀を抜き、警護の者たちと斬りあいに。。。景清は強く、あざ丸という名刀で直ぐに敵を討ち取ってしまったのですが、警護の者たちはまだまだ大勢います。今回は頼朝の首をとることはできないとあきらめるのでした。魔法の力のある名刀あざ丸をさしかざすと、霧が立ち、「次の時節を待とう」という声とともに景清は姿を消すのでした。