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能の台詞〜急ぎ候ほどに〇〇に着きて候(中西 紗織編) [varied experts]

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IMG_8057.jpg急いで来ましたら、どこどこ(ここに地名などが入ります)に着きました、という意味。
能でよくある所作の表現の仕方に、例えば一足、つまり一歩前に踏み出すことで、
空間・時間を一気に飛び越えてしまうというものがある。
能の特徴的な表現方法の一つと言えるかも・・・。
●《玉鬘》
 前ジテ:里の女 後ジテ:玉鬘内侍 ワキ:旅の僧 アイ:初瀬寺の門前の者
『源氏物語』の「玉鬘」に題材をとった物語。最初に、旅の僧(ワキ)が奈良の「霊仏霊社」つまり寺や神社をくまなくまわったので、今度は「初瀬詣で」をしようと言う。初瀬詣でとは、奈良の長谷寺へのお参り、現在の奈良県桜井市の長谷寺へお参りをすること。この寺は古くからご本尊の十一面観音菩薩で知られ、古典文学の中にもよく登場し、
平安貴族もあこがれた霊場。
この能の最初に「これは諸国一見の僧にて候」と名乗ったワキのお坊さんは、霊場巡りをして初瀬川に到着し、この台詞。「急ぎ候ほどに 初瀬川に着きて候」。急いで来ましたら、ついに目的地の初瀬川に着きましたと喜びいさんで言う。するとそこに、一人小舟を操り初瀬川をのぼってくる女が現れる。女は長谷寺の「二本の杉」にお坊さんを案内。『源氏物語』に登場する玉鬘の内侍ゆかりの杉の木だとその女は言い、だんだん正体を現し、ついに、私は玉鬘の幽霊だと明かすと姿を消す。
玉鬘という人は、数奇な運命をたどった美しい女性として『源氏物語』に描かれている。後場では、玉鬘の霊が妄執の念によって苦しむ様子で現れる。お坊さんの弔いによってようやく過去の妄執から逃れることができたというエンディング。
●《富士太鼓》
 シテ:富士の妻 ワキ:萩原院の臣下 子方:富士の娘 アイ:臣下の従者
萩原院の御代、萩原院とは花園天皇のこと。その御代に宮中での管絃の太鼓の役をめぐり、浅間と富士という楽人が争い、富士が殺害されるという事件が起こったというところから物語が始まる。夢見が悪く胸騒ぎを覚えた富士の妻(シテ)、そして子方の富士の娘が二人そろって都にやってくる。そこでこの台詞「急ぎ候ほどに 都に着きて候」急いで参りましたので、早くも都に着きました、と。富士の妻の台詞に「私は摂津国住吉の楽人、富士の妻です」というのがあるので、摂津国住吉、現在の大阪市住吉、住吉大社の楽人の妻ですということ。萩原院の臣下の男性が、富士の妻がやってきたと聞き、富士が非業の死をとげたことを伝え、形見の装束を富士の妻に渡す。舞台中央には、太鼓がすえられた美しい作り物が置かれ、富士の形見の装束を身に付けた妻が、太鼓をかたきとみなし狂乱して太鼓を打つ。なかなか恨みは晴れず・・・日没となり、ようやく心に平穏を取り戻した富士の妻は名残り惜しみながら静かに帰っていく。
●《安達原》
 前ジテ:里の女 後ジテ:鬼女 ワキ:山伏祐慶 ワキツレ:同行の山伏 アイ:能力
観世流だけこの名前で呼ばれ、他の流儀では《黒塚》と呼ばれていて、歌舞伎にもある演目。今の福島県二本松市のあたり、安達原というところに山伏修行の僧、お坊さんの一行がやってくる。一行を率いるのは、祐慶(ワキ)という高僧。山伏修行を積んで、陸奥の安逹原にやってきた。そこで、この台詞、「急ぎ候ほどに これははや陸奥の安達が原に着きて候」急いで参りましたので、はやくも陸奥の安逹原に着きました、というわけ。ところがそこで日が暮れてしまい、人里もないなあと困っていると、遠くにあかりが見える。そこへ行って宿を借りようということに。一行が一軒の庵にたどり着くと、中から歳たけた女(前ジテ)が出てきて、こんな粗末な庵でよいならと、宿を貸す。山伏の一行と語りながら、女性は糸車を回す。女は孤独な身の上を嘆き、昔語りをしながら涙にむせぶ。この能では、夜更けとなりあまりに寒いので、庵の主の女は薪を取りに山に行ってきましょうと告げ、「私が出かけている間、私の寝室の中は決して見ないように」と言い残し、出かける。実は、不審に思った者が見てしまう。すると、そこには人間の死体が積み上げられていた。「恐ろしや」これは鬼の住みかだ!と気づく。全員あわてふためいてその場から逃げ出す。すると、背後から鬼の正体を現した女(後ジテ)が追いかけてくる。鬼女は怒り狂い、山伏たちに迫り一口に食おうと襲い掛かって来るが、修行を積んだ山伏、法力により、つまり強力なお経を次々唱えることで、鬼女の力を奪う。そしてついに鬼女は祈り伏せられ、消えてしまう。

2023.1013 O.A 「石垣島に行ってきたよ〜」 [varied stories]

https://studio-cooper.jp/

半年以上ぶりの石垣島。やっぱりよかったみたいです。「おしゃれなお店、新しいお店が増えた感じです。活気はありましたね〜」
石垣島のお店は移住者の方もなさっていたりするので、入れ替わりが激しいそうです。
6泊なさったそうですが、台湾からのクルーズ船が来た時には急にお客さんが増えてお店が大変なことになるみたいです。
以前テレビでも放映されていたことを思い出しました。
その時は、コロナ禍でスタッフが減り、急にお客さんが戻ってもホスト側の体制が整わないといった内容でした。家族総出でも間に合わない感じなのでしょう。
以前お話しにあった日本の一番南の盆踊り大会。年々参加する方が増えて、今回3回目とのことですが、総数で1000人くらいはいらしたのでは?と。
会場に浴衣を着て行くと特製団扇をプレゼントという企画もあり、年々浴衣の方が増えているそう。
盆踊りといえば・・・櫓でしょうとなり、色々調べてみると、それなりのお高いお値段。
では作ってしまいましょうと手作りをスタート。島のおじさま方(いつも話題に出てくる大人のジャイアンたち)は知恵を出し合い、
工夫をして土台を作り、飾りつけまでなさったそうです。そのお写真を送っていただきましたが、素晴らしい出来栄えですね。
ステージではダンスやライブ、キッチンカー等も参加して開催され、おじさま方が今回なさった射的、スーパーボールすくい、輪投げには大行列ができたそう。
いわゆるテキ屋的な出店が通常はないので、物珍しさもあり、大賑わいだったのでしょう。popo氏はスーパーボールすくいの担当。
みなさま腰をかがめての作業で相当きつかったみたいです。
盆踊りを事前にしっかり練習してくださった地元の踊りの方々や、太鼓を叩くことに手をあげてくれた地元の方々。
盆踊りという文化を多くの方がおそらく楽しまれた、夏の終わりの1日となったことは間違いないことでしょう。
※写真は田伏伸次氏からお借りしました。
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