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能の台詞〜かかりける處に(中西 紗織編) [varied experts]

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IMG_8852.jpg「このような所に、これこれこういう所に」というような意味。登場人物が、さあこれから物語を語りましょうという、その始まりの場所であるこういう所に、誰々という人がいて、こんなことやあんなことがあって……と、大事なことを語り始めるきっかけとなる台詞。
●《碇潜》
 前ジテ:尉 後ジテ:平知盛の霊 ワキ:旅の僧(ツレ二人は観世流の通常の演出では登場せず金剛流のみ登場) 
後ツレ:二位の尼の霊 後ツレ:大納言の局の霊 アイ:浦人
旅の僧が長門の国にやってきます。現在の山口県下関市。このあたりの海は平家が船戦で滅んだ場所として有名な壇ノ浦の戦いの場所。旅の僧は、私は平家に所縁ある者なので、一門の霊を弔いたいと思いこの地を訪れたと言います。そこへ、船頭の老人が船でやってきます。お坊さんたちは、船に乗せて渡してほしいと頼むのですが、船頭は、それなら船賃が必要だと。船賃のかわりにお経を読誦しましょうとお坊さんが申し出ると、それは有難いご縁だと船頭が大変喜び、読経に耳を傾ける・・・。無事向こう岸に着くと、船頭が壇ノ浦の合戦の様子を語りはじめます。そしてこの台詞「かかりける處に」とシテ(船頭)が謡うと、地謡が「かかりける處に」と繰り返し、壇ノ浦の激しい船戦の様子が語られ・・・船頭は実は自分は平家一門の者、先ほど語った平教経だと言い、弔ってくださいとお坊さんに頼み姿を消す。後ジテは平知盛。長刀を持って現れ、船の上からたくさんの源氏の兵を薙ぎ払い倒したけれども、源氏の方がだんだん優勢に。知盛は最期を覚悟し、鎧兜を二重に身に付け重しとし、船の碇の綱を引き上げ、「かぶと兜の上に碇をいただ戴き 兜の上に碇を戴きてかいてい海底に飛んでぞ入りにける」碇を兜の上にいただき、そのまま海の底に飛び込んで沈んでいったという最期を見せる。
●《夜討曽我》
 前ジテ:曽我五郎時致 後ジテ:同人 前ツレ:曽我十郎祐成 前ツレ:団三郎
 前ツレ:鬼王 後ツレ:古屋五郎 後ツレ:御所五郎丸 後ツレ:郎等(二人) オモアイ:大藤内(祐経の家来) アドアイ:狩場の者
曽我兄弟の仇討ちの物語は大変有名。父の仇 工藤祐経を討ち取ろうと、曽我の十郎(前ツレ)、五郎(前ジテ)兄弟は、源頼朝主催の富士の裾野での巻狩(獲物を追い込んで仕留める狩り)に参加することに。死を覚悟して仇討ちにのぞむ兄弟は、里に残してきた母のことが心配。そこで、忠実な家来二人に形見の品を母のところへ届けるように命じる。家来たちは、自分たちも命を捨てる覚悟がありますと、互いに刺し違えて死のうとするが、兄弟が急いで止める。そして主従の道の礼節を聞き、涙にむせぶ家来二人は曽我の里へ向かうのでした。後場で、曽我の十郎、五郎兄弟は、工藤祐経を見事に討ち果たす。このあと二人は頼朝の家来と戦うことになり、激しい斬り合いの様子が地謡によって迫力いっぱいに表現される。そこにこの台詞「かかりける處に かかりける處に」と繰り返され、兄弟の奮戦の様子が語られる。そしてついに力尽きて、兄の十郎は討たれ、五郎も縄にかかってつかまってしまうという結末。
●《龍虎》
 前ジテ:尉(木こりの老人) 後ジテ:虎 前ツレ:木こりの男 後ツレ:龍 ワキ:僧 ワキツレ:同行の僧 アイ:仙人または所の者
スペクタクル的な能を得意とする観世信光作とされていて、華やかさ・ダイナミックさもたっぷりの話。この能には、龍と虎にまつわる中国の故事も出てくる。
日本各地で修行を積んだ僧が、仏法流布のあとをたずねて船で唐土に渡るというところから物語が始まる。無事唐土に到着すると、ある山で木こりの老人(前ジテ)と若者(前ツレ)に出会います。遠くに見える竹林を、にわかに雲が覆い強い風が吹いて不思議な景色となるので、お坊さんが木こりの老人にたずねると、あれはり龍虎の戦いだと。虎は嵐のような風を起こし、龍は雲を呼び雨や雷を起こすのだと教えてくれます。後場となり、舞台には、一畳台が運ばれ、その上に虎が住む竹林の岩の洞窟をあらわした作り物が置かれる。お坊さんたちが待っていると、急に雨が降り始め、あたりに雷が鳴り響き、光る稲妻の中に金色の龍(後ツレ)が現れる。すると、岩の洞窟にこもっていた虎が姿を現し、龍が呼び出した雲を強風で吹き返します。「恐ろしかりける気色かな」と、お坊さんたちはその様子を見守る。そこでこの台詞。「かかりける處に かかりける處に」続いて、金の龍が雲から下りてきて虎に飛びかかり、お互いに一瞬のすきもない激しい戦いとなりますと地謡が謡う。後ジテの虎が作り物の中から登場し、龍は虎に巻きついて覆いかけるようにして殺そうとしますが、虎も負けていません。身をかわし龍を追い詰めて食い殺そうとします。決着がつかないまま、龍は雲の彼方に飛び去ると、虎は岩の上に上って無念の様子。虎はまた竹林に飛び帰りそのまま岩の洞窟に入ってしまう。

2024.0209 O.A 「オタマジャクシとオーストラリアデー」 [varied stories]

鈴木雅章さん(翻訳者・ライター)

オーストラリアでは12月から2月までが夏です。シドニー周辺は1月中旬までどちらかというと涼しい日が多かったそうですが、それ以降は30度超えの日が多くなっているとか・・・。
昨年11月の放送で、自宅の裏庭の水槽にオタマジャクシが大量に発生!という話を伺いましたが、依然として育てているそうです。大半のオタマジャクシは近所の池に放したそうですが、昨年12月の中旬には大きくなって後ろ足が出たオタマジャクシを見つけたと。毎日エサをやり、もうこれは正式にペットだということで、名前をつけたそうです。どんな名前かは放送をお楽しみに!!このオタマジャクシは普段は石の陰に隠れていて、動きがすごく早く、1秒で50センチは進む感じと・・・。その後、もう1匹、後ろ足が出た別のオタマジャクシを見つけ、こちらも名前を付けたそう。ところが、 その直後に3泊4日でタスマニア旅行に行き、帰ってきたら2匹とも前足が出ていたそうです。「これは楽しみ、と思っていたのですが、次の日に1匹がいなくなり、その次にもう1匹も見えなくなってしまいました。まだ外に出るには小さいと思うので、おそらく・・何か他の動物のお腹に入ったのかも〜。まだオタマジャクシがいるので、今後こそカエルにして旅立って欲しいと思っています。」
さて、毎年1月26日の国民の祝日、オーストラリアデー(建国記念日)があります。
この日は、1788年1月26日にイギリス海軍の艦隊がシドニー湾岸に上陸し、オーストラリアを植民地にした日を記念しています。毎年この日は、全国各地でさまざまなイベントや、各自治体でオーストラリア国籍を取得した人たちのセレモニーが開かれ、オーストラリアの国旗やナショナルカラーである黄色と緑を身に付けている人も少なくないそう。季節は夏なので、屋外でバーベキューパーティーをしたり、ビーチでくつろいだりして過ごす人も多いとのこと。
一方で、オーストラリアの先住民アボリジニにとっては侵略された日であり、土地や文化が失われたとして抗議する人たちもいるのも事実としてあるそう。 このような背景から、現在のオーストラリアの与党、労働党(レイバーズ)は、これまで1月26日に行われてきた市民権授与式を、別の日に行えるようにするよう法律を改正したそうです。このため、今年のオーストラリアデーでは、全国でおよそ80の地方自治体が、年に1度の市民権授与式を1月26日から他の日に変更することを決めたとおっしゃっていました。
※写真は鈴木雅章氏からお借りしました。
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