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2022.1207 O.A 釧路赤十字病院 内科 古川真氏 ~3~ [close to you <dr.編>]

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今回は腎臓さんの働き方改革について。腎臓は働きすぎの影響をもろにかぶってしまうそうです。腎臓はゲンコツ大のそら豆みたいな形をしたものが背中の方に2つ。
そこに結構な血液が流れていき、おしっこを作り出す。それ以外、一番は血圧をコントロールするコントローラー。
血圧1秒間に1回心臓打つとして、1分間60秒、1時間が60分、1日24時間。すると脈拍は1日に86400拍。寝ている時、座っている時、立っている時、走っている時、
歩いている時、ご飯食べている時で全然違うのです。それを瞬時にしてコントロールしていると。
それから貧血。血液自体は骨の髄で作られるのですが、どれくらい作れば良いのかの司令も出しているのです。
それから骨を丈夫にする働きをしているそう。骨を強くするビタミンDが体の中で合成される時に腎臓の中で合成されるので、腎臓が悪くなると骨粗鬆症になってしまうと。
ですから腎臓が悪くなるとおしっこが出ないだけではなく、血圧も必要以上に高くなり、貧血になったり、骨が弱くなったりしてしまうということ。
他に、血圧に関係する事として、塩分の調整ができなくなり、浮腫みやすくなってしまうそう。
では一体私たちは何をしたら良いのでしょう?一番単純なのは、腎臓に一番ストレスをかけているのは血圧なので、血圧を下げる。
血圧を下げる単純な方法はしょっぱいものを控えることと血圧を測る。朝晩できれば2回。お家にいて一番リラックスしている時間に測ることが大事。
「ですから病院で測る血圧は参考程度かなと思っているので、ぜひお家で、できれば正確な血圧は腕で測る血圧計が良いですね。」
そして、もしも太り気味の方であれば、体重を落として欲しいとおっしゃっていました。体重を落とすためには体重計にのる。体重を知らないと体重はわからない。
できればこれも血圧同様、朝晩測るのが良いそうです。「体重計にのるのが嫌という方も多いと思いますが、腎臓のためにある程度習慣化してやっていただくと、
健康管理の簡単な方法なんです。人間の体はだいたい朝が一番軽いんです。それが夜には僅かかもしれないけれど増えています。翌朝起きた時に前の日の朝と同じだったら、
食べた量と体を動かした量が同じということ。それが前の日の朝よりも100gでも減っていたら食べた量よりも体を動かしていた量が多かったということなのです。」
腎臓は体が大きくなればなるほど処理しなければならないので負担は増えてしまう。それが少しでもしぼんでくれたら腎臓にかかる負担は減るので、
それはそれは・・・腎臓の絶大な働き方改革になるということなのです。
「血圧や体重の管理、定期検査を受けて、尿検査をする事で、腎臓の病気が隠れているか隠れていないかがよくわかるんですよ。ですから尿検査は結構お役立ちなんです。」
腎臓はとても我慢強い臓器なので文句も言わずに頑張っているのです。ですからメンテナンスするためにも検診で尿検査を受けたり、血液検査を受ることで今の腎臓の状態を把握することができるということです。自分のために、自分の体をいたわってあげたいですね。

エジプトと環境問題、にとどまらず(黒田 理編) [varied experts]

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ニュースにはあまり出てこないその周辺のお話し。まずはCOP27の開催地、シャルムエルシェイクという場所。紅海に面したリゾート地。ダイビングの名所として有名。
カイロからは飛行機で1時間ほど。砂漠の中にいくつもの高級リゾートホテルが造られている人工的な街。「私もカイロ支局にいた頃、2000年10月に取材で行きました。
当時、パレスチナ問題が世界の注目を集めていました。パレスチナ自治政府のアラファト議長や米国のクリントン大統領が急遽、シャルムエルシェイクで開かれる会議に
出席することになりました。私はその直前9月にフセイン大統領が統治していたイラクに取材に入っていました。世界中から厳しい経済制裁を受け、
インフラはぼろぼろ、携帯電話などない時代です。入国すれば、外との連絡がほとんど絶たれる状況でした。『パレスチナが大変なことになっているから行ってくれ。
パレスチナの子どもが銃殺され、衝突が激しくなっている』と。慌てて荷物をまとめて砂漠のなかの道を車で1日がかりでヨルダン、イスラエルに向かいました。
イスラエルが圧倒的な武力と経済力を持っていて、パレスチナの人たちを押さえ込み、領地を拡大しています。それを巡り、常に争いが起こっています。この一連の衝突で100人以上が、大半はパレスチナ人ですが、犠牲になるなど、その燃えさかった争いを収めようと和平会議がシャルムエルシェイクで開かれたのです。苦労の末、
衝突停止で合意。もっとも、まもなく元の木阿弥、流血の争いに逆戻りしましたけれど。」
エジプトといえば、カイロ近郊のピラミッドやスフィンクスが有名。アブシンベル神殿のアスワン、ルクソール神殿のあるルクソールも観光地としてよく知られています。
シャルムエルシェイクは歴史的な建造物があるわけではありませんが、エジプトで一番のリゾート地と言えるそうです。
中東地域の人たちは暑い夏、数週間のバカンスをとります。お金持ちは湾岸諸国の人たち。ゆったりとした白い衣装を着た人たちがそうです。
カタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦など、産油国の人たちが多いそう。そして本当のお金持ちは涼しいヨーロッパに行くのです。
さらに、イスラム教の戒律が湾岸諸国に比べると、エジプトは緩い。酒は簡単に手に入ります。ワールドカップ会場のカタールの首都ドーハで1カ月の大会期間中、イベント会場内だけでビール販売が容認されたそうですが、これは本当に例外中の例外だと。
一方、エジプトではホテルやレストランでお酒は飲めます。戒律の厳しい湾岸諸国からバカンスでエジプトに来て、はめを外す人もいるそうです。
「COP27はなぜシャルムエルシェイクで開かれたのか。まずは警備のしやすさ。さらに今回は人権問題でも厳しい指摘がありました。また、「グリーンゾーン」と呼ばれる会議場近くに専用のデモ会場を設け、そこだけでデモを認めました。この様な場所をつくるのにシャルムエルシェイクは好適地だったに違いありません。」
ワールドカップのカタールも、大会に使う競技場の新設や地下鉄工事で大勢の外国人労働者が死亡したとか、性的少数者への理解が低いことが問題視され、
欧米ではボイコットを呼びかける動きもあります。華やかな舞台の裏には見えにくい問題も隠されていることを忘れてはいけないとおっしゃっていました。

2022.1202 O.A 「ジャカランダとボンダイビーチ」 [varied stories]

鈴木雅章さん(翻訳者・ライター)

オーストラリアは12月から2月まで夏ということになっています。このところ毎日、ほぼ晴天が続いているそうです。
今年は今のところ例年よりも気温が低めで、日中の最高気温は25度前後。例年は30度を超えたり、最高で40度に達したりすることもあるそうですが。。。
冬から春にかけて各地で大雨による洪水被害が出たり、今年はいつもと天候が違うようです。
鈴木家の周辺では今、ジャカランダの花がほぼ満開。毎年、春から初夏にかけて咲くそうですが、今年は大雨が続いたのでシドニーでは例年よりも2週間遅れだとか。
ジャカランダの花の色はラベンダー色、和名は紫雲木。満開になると紫の雲がたなびいているように見えるからとか。 木の高さは最高で20~30メートルほどで、直径5cm位の花が釣鐘状になって枝の先に集まって咲きます。 ジャカランダはもともと南米が原産の木で、オーストラリアで最初に植えられたのはクイーンズランド州ブリスベンの植物園だそうです。オーストラリアでは主に街路樹として植えられ、この時期、住宅街でジャカランダの花をよく見かけるとのこと。 寿命は平均50年、中には200年も
長生きするものもあるそう。「僕はオーストラリアに来てから20年以上、日本の桜を見ていません。日本には何度も帰国しているのですが、これまで桜の季節に帰る機会がなかったので、いつか満開の桜を見てみたいですね。」
さて、シドニーのボンダイビーチで11月7日まで3週間にわたって開催された「Sculpture by the Sea, Bondi」に行ってきたそうです。
Sculpture by the Sea, Bondiは1997年にボンダイビーチで始まったオーストラリア最大の屋外彫刻展。以来、毎年開催されていたそうですが、
新型コロナウイルスのパンデミックによって2020年と2021年は中止、今年が3年ぶりの開催となったそうです。
ボンダイビーチからタマラマビーチまでの海岸沿いの約2mの歩道に沿って国内外のアーティストによる彫刻が100点以上展示。
毎年、期間中に延べ50万人が訪れるイベントに成長したそう。「我が家は最終日に見に行ったのですが、日曜日だったこともあり、ボンダイビーチにはたくさんの人が
集まっていて、とにかく車を止める場所がまったくなく、小一時間も駐車する場所を求めて彷徨いました。そうこうしているうちにやっと駐車することができました。」
とにかくボンダイビーチは大変な賑わいで、すっかりビーチに人々が戻って来たという印象だったと。真夏には1日に4万人が訪れるとか。
波が荒いので、最大で1日100人がライフガードに救助されることもあるそうです。ライフガードも30~40人いるそうです。
ちなみにボンダイビーチの面積は1.2平方km(約120ヘクタール)。春採湖の面積は3.7平方km(約370ヘクタール)こじんまりとしたビーチですね。
彫刻はどちらかというと現代アート風。様々な作品が人々の目を楽しませていたそうです。
※写真は鈴木雅章氏からお借りしました。
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2022.1201 O.A BAND [chord 5]

・Sweet Home Alabama / Lynyrd Skynyrd
・Don't Ask Me No Questions / Lynyrd Skynyrd
・Workin' for MCA / Lynyrd Skynyrd
・The Ballad of Curtis Loew / Lynyrd Skynyrd
・Call Me the Breeze / Lynyrd Skynyrd
~今回はバンド編です。Lynyrd Skynyrd 特集です。
出演は、河口氏&midoriでお送りします。

南極観測隊〜その歴史2(中山 雅茂編) [fun science]

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今回は、前回に私が質問したことで、色々と調べてくださった内容をお送りします。日本人最初の南極点踏破はいつですか?という問題です。
1820年南極大陸が発見された後、1830年代〜1910年代にかけて、南極・北極の南北‐両極地への挑戦が繰り広げられました。
白瀬矗は、1912年1月に開南丸という船で南極に到着し南極点を目指しますが、南緯80度05分という地点までしか行くことができませんでした。
この地点(南緯80度5分、西経156度37分)実は、南極大陸、陸上ではなく、ロス棚氷という南極大陸から海の上に伸びる氷の上の一部だということが分かっているそう。
ロス棚氷とは、南極最大面積の棚氷で、氷の厚さは200m・陸から600㎞も海の上に伸びている氷。北海道の約5~6倍の面積で、日本列島よりも広い面積。
白瀬たちが南極に行った1912年以降、日本から南極調査は45年後も時間があきます。
1957年7月1日~1958年12月31日の1年半に渡って実施された「国際地球観測年」という国際的な科学研究プロジェクトに日本も参加し、その中の一つの取り組みとして
国際的な南極観測に加わろうと頑張った歴史があるそうです。当時の日本は、第二次世界大戦が終わり、10年ですので、まだ世界からの信頼も低く、
南極観測への参加に対して各国からの反発が大きかったそうです。しかし、1955年5月に国際地球観測年の特別委員会で参加が認められ、
翌年、1956年11月8日に東京晴海ふ頭から「宗谷」が第一次南極観測隊として出航。翌1月にはリュツォ・ホルム湾の東オングル島に昭和基地を設営し、
観測を開始することができました。ただ。南極点はまだ遠い・・・。
日本の南極観測の歴史を調べると、その後の1968年、村山雅美隊長が率いる第9次越冬隊により、日本人が初めて南極点に到達していると!
白瀬たちの挑戦から約50年かかりました。南極観測船「宗谷」で始まった第1次観測隊が昭和基地を建てた1957年から11年かかったということです。
「南極物語」という映画をご覧になった方もいらっしゃると思います。第1次越冬隊と第2次越冬隊の引継ぎが悪天候にはばまれ、タロ・ジロを含む15頭の樺太犬を
昭和基地に残してこなくてはならなかった話。その後、第7次隊まで昭和基地に観測を共にする犬が一緒にいましたが、実は第1次隊から雪上車を南極に持ち込んでいると。
「第1次隊では小型雪上車4台を持ち込んでいるそうで・・当時の苦労や果敢にチャレンジするエピソードがその第1次隊の隊長 西堀栄三郎氏の本に綴られています。」
その後、第9次越冬隊が南極点到達の際に使用していた雪上車ですが、国立極地研究所と白瀬南極探検隊記念館で保存されていて見ることができるそうです。
2014年には機械遺産(日本機械学会)に認定されています。
「西堀栄三郎さんが書かれた本、『石橋を叩けば渡れない』には、当時の苦労と共に何かにチャレンジするときの様々な視点が示されています。
〜雪上車の頭をなでてやれ〜という話は、ものづくりが好きな僕はぐっと来ましたね。〜釧路の製紙工場の病院の話〜などもあります。」と中山氏。

湖を研究する〜植物プランクトン2〜(尾山 洋一編) [nature treasure]

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数ある植物プランクトンのうち、藍藻という植物プランクトンのことについて。藍藻は人間が地球上で生活できるようにしてくれた生き物。
地球が誕生したのが今から46億年前、この時は大気の90%以上が二酸化炭素で、酸素はありませんでした。
35億年前に地球上に酸素ができたのですが、同時期に藍藻が誕生し、光合成によって海の中に溶けた二酸化炭素と太陽の光から酸素を生み出してくれたからなのです。
それにより、酸素を吸って生活する動物が地球上で生活できるようになりました。
また、35億年前の海は、生物にとって有害な重金属が多量に溶けていたと考えられていて、魚のような大型動物は棲めない環境でした。ところが、藍藻が酸素を生み出してくれたことで、酸素と重金属がくっつき鉱物ができ、これが海の深い所に沈殿していくことで、海の中から徐々に重金属が少なくなっていったのです。
現在、私たちが資源として使っている鉄やマンガンなどの鉱物も、この様なプロセスによって作られたもので、地上で採掘されている鉄やマンガンの鉱床は、
一旦海底に溜まったものが地殻変動などによって地上に現れたものなのだそう。
ですから、藍藻は人間が生きていく上で必要な酸素を作り出しただけでなく、人間の生活に必要な鉱物資源をつくってくれた生物なのだとか。
藍藻ってとてもありがたい生き物なんだな、と思うかもしれませんが、実はちょっと困った面もあるそうです。
夏の湖や沼などで、水の色が抹茶を溶かしたような緑色になることがありますが、これは通称”アオコ”と呼ばれるもので、藍藻が異常増殖をした状態。
特に栄養が豊富な湖沼で起こる現象で、生活排水や汚水を湖に流していた時代に深刻な水質汚染を引き起こしていたそうです。
ろ過しても匂いが残るので、水道の水がカビくさくなり・・・。現在でも日本の一部の地域で問題となっているそうです。
阿寒湖でも、1970年代頃から藍藻の大発生が問題となっていて、湖周辺がカビ臭くなったり、何より景観が悪化してしまったそうです。
その後、1980年代に公共下水道が整備され、生活排水等が湖に流れ込まなくなり、湖の栄養が徐々に低下し、現在は昔ほどアオコが発生しなくなっているとのこと。
さらに困るのが、一部の藍藻はシアノトキシンという毒素を持っていて、日本にはあまりいないそうですが、海外ではこの様な藍藻の多い地域があるそうです。
人間への被害も報告されていて、湖水浴をしていた人が湖の水を誤って飲み、腹痛を引き起こした事も。その為、この様な地域では湖の環境基準に藍藻の濃度が採用されているそうです。藍藻は人間に多大な恩恵を与えてくれた生き物である反面、現在の水利用の観点からはちょっと困った存在になっているとおっしゃっていました。
「湖や沼にアオコが発生しているのを見かけた際には、太古の地球の環境について思いをはせつつ、上手につきあっていけるような環境というものを考えてみては
いかがでしょうか。」と尾山氏。
※写真は尾山洋一氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/3kyGyCeIxC6FQJFtve0iNz