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2022.1201 O.A BAND [chord 5]

・Sweet Home Alabama / Lynyrd Skynyrd
・Don't Ask Me No Questions / Lynyrd Skynyrd
・Workin' for MCA / Lynyrd Skynyrd
・The Ballad of Curtis Loew / Lynyrd Skynyrd
・Call Me the Breeze / Lynyrd Skynyrd
~今回はバンド編です。Lynyrd Skynyrd 特集です。
出演は、河口氏&midoriでお送りします。

南極観測隊〜その歴史2(中山 雅茂編) [fun science]

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今回は、前回に私が質問したことで、色々と調べてくださった内容をお送りします。日本人最初の南極点踏破はいつですか?という問題です。
1820年南極大陸が発見された後、1830年代〜1910年代にかけて、南極・北極の南北‐両極地への挑戦が繰り広げられました。
白瀬矗は、1912年1月に開南丸という船で南極に到着し南極点を目指しますが、南緯80度05分という地点までしか行くことができませんでした。
この地点(南緯80度5分、西経156度37分)実は、南極大陸、陸上ではなく、ロス棚氷という南極大陸から海の上に伸びる氷の上の一部だということが分かっているそう。
ロス棚氷とは、南極最大面積の棚氷で、氷の厚さは200m・陸から600㎞も海の上に伸びている氷。北海道の約5~6倍の面積で、日本列島よりも広い面積。
白瀬たちが南極に行った1912年以降、日本から南極調査は45年後も時間があきます。
1957年7月1日~1958年12月31日の1年半に渡って実施された「国際地球観測年」という国際的な科学研究プロジェクトに日本も参加し、その中の一つの取り組みとして
国際的な南極観測に加わろうと頑張った歴史があるそうです。当時の日本は、第二次世界大戦が終わり、10年ですので、まだ世界からの信頼も低く、
南極観測への参加に対して各国からの反発が大きかったそうです。しかし、1955年5月に国際地球観測年の特別委員会で参加が認められ、
翌年、1956年11月8日に東京晴海ふ頭から「宗谷」が第一次南極観測隊として出航。翌1月にはリュツォ・ホルム湾の東オングル島に昭和基地を設営し、
観測を開始することができました。ただ。南極点はまだ遠い・・・。
日本の南極観測の歴史を調べると、その後の1968年、村山雅美隊長が率いる第9次越冬隊により、日本人が初めて南極点に到達していると!
白瀬たちの挑戦から約50年かかりました。南極観測船「宗谷」で始まった第1次観測隊が昭和基地を建てた1957年から11年かかったということです。
「南極物語」という映画をご覧になった方もいらっしゃると思います。第1次越冬隊と第2次越冬隊の引継ぎが悪天候にはばまれ、タロ・ジロを含む15頭の樺太犬を
昭和基地に残してこなくてはならなかった話。その後、第7次隊まで昭和基地に観測を共にする犬が一緒にいましたが、実は第1次隊から雪上車を南極に持ち込んでいると。
「第1次隊では小型雪上車4台を持ち込んでいるそうで・・当時の苦労や果敢にチャレンジするエピソードがその第1次隊の隊長 西堀栄三郎氏の本に綴られています。」
その後、第9次越冬隊が南極点到達の際に使用していた雪上車ですが、国立極地研究所と白瀬南極探検隊記念館で保存されていて見ることができるそうです。
2014年には機械遺産(日本機械学会)に認定されています。
「西堀栄三郎さんが書かれた本、『石橋を叩けば渡れない』には、当時の苦労と共に何かにチャレンジするときの様々な視点が示されています。
〜雪上車の頭をなでてやれ〜という話は、ものづくりが好きな僕はぐっと来ましたね。〜釧路の製紙工場の病院の話〜などもあります。」と中山氏。

湖を研究する〜植物プランクトン2〜(尾山 洋一編) [nature treasure]

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数ある植物プランクトンのうち、藍藻という植物プランクトンのことについて。藍藻は人間が地球上で生活できるようにしてくれた生き物。
地球が誕生したのが今から46億年前、この時は大気の90%以上が二酸化炭素で、酸素はありませんでした。
35億年前に地球上に酸素ができたのですが、同時期に藍藻が誕生し、光合成によって海の中に溶けた二酸化炭素と太陽の光から酸素を生み出してくれたからなのです。
それにより、酸素を吸って生活する動物が地球上で生活できるようになりました。
また、35億年前の海は、生物にとって有害な重金属が多量に溶けていたと考えられていて、魚のような大型動物は棲めない環境でした。ところが、藍藻が酸素を生み出してくれたことで、酸素と重金属がくっつき鉱物ができ、これが海の深い所に沈殿していくことで、海の中から徐々に重金属が少なくなっていったのです。
現在、私たちが資源として使っている鉄やマンガンなどの鉱物も、この様なプロセスによって作られたもので、地上で採掘されている鉄やマンガンの鉱床は、
一旦海底に溜まったものが地殻変動などによって地上に現れたものなのだそう。
ですから、藍藻は人間が生きていく上で必要な酸素を作り出しただけでなく、人間の生活に必要な鉱物資源をつくってくれた生物なのだとか。
藍藻ってとてもありがたい生き物なんだな、と思うかもしれませんが、実はちょっと困った面もあるそうです。
夏の湖や沼などで、水の色が抹茶を溶かしたような緑色になることがありますが、これは通称”アオコ”と呼ばれるもので、藍藻が異常増殖をした状態。
特に栄養が豊富な湖沼で起こる現象で、生活排水や汚水を湖に流していた時代に深刻な水質汚染を引き起こしていたそうです。
ろ過しても匂いが残るので、水道の水がカビくさくなり・・・。現在でも日本の一部の地域で問題となっているそうです。
阿寒湖でも、1970年代頃から藍藻の大発生が問題となっていて、湖周辺がカビ臭くなったり、何より景観が悪化してしまったそうです。
その後、1980年代に公共下水道が整備され、生活排水等が湖に流れ込まなくなり、湖の栄養が徐々に低下し、現在は昔ほどアオコが発生しなくなっているとのこと。
さらに困るのが、一部の藍藻はシアノトキシンという毒素を持っていて、日本にはあまりいないそうですが、海外ではこの様な藍藻の多い地域があるそうです。
人間への被害も報告されていて、湖水浴をしていた人が湖の水を誤って飲み、腹痛を引き起こした事も。その為、この様な地域では湖の環境基準に藍藻の濃度が採用されているそうです。藍藻は人間に多大な恩恵を与えてくれた生き物である反面、現在の水利用の観点からはちょっと困った存在になっているとおっしゃっていました。
「湖や沼にアオコが発生しているのを見かけた際には、太古の地球の環境について思いをはせつつ、上手につきあっていけるような環境というものを考えてみては
いかがでしょうか。」と尾山氏。
※写真は尾山洋一氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/3kyGyCeIxC6FQJFtve0iNz