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知人の海岸近くの崖に・・・(境 智洋編) [fun science]

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今回は初の場所に出かけました。知人の海岸の崖が雄別層らしいということでいざ、探検。
風が非常に強かったため、臨港鉄道の跡の道路を歩きつつ現場へ。
ただの土にしか私には見えなかったのですが、どうやらここは雄別層の様です。
南西斜面ということもあり、日当たりが良く、また潮の影響もあり風化が激しいみたいです。斜面には?という植物が・・・。
どうやらフキノトウが冬の準備をしていたみたいですが、まるで春と勘違いしたのかと思うほどポカポカ陽気。
ここは葉の化石や、流れの模様があり、やはり川等の影響を受けたというのがそこからもわかります。
そして、砂浜にも行ってみました。砂に足をとられないほどしっかりしています。実はここ、砂の境目と。
釧路町〜厚岸町にかけての海岸線は赤チャートが入った砂浜が多いのですが、ここは黒っぽい感じ。
砂鉄や石英といった鉱物が入っているそう。そしてしっかりと固まっている感じがしました。帰りに見つけた10本を超えるタンポポ。
もう12月なのに・・・やはり今年はいつもの年と違うのでしょうか・・・。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/1xN84lWqaAkfKorH5XdypT

ザトウクジラにまつわるあれこれ(笹森 琴絵編) [nature treasure]

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夏を餌場の高緯度で過ごし、冬は低緯度で繁殖活動するザトウクジラは、体長13~15m、長い胸びれと派手なパフォーマンスで鯨類界随一の有名種。
野生動物は、思いつきで適当にあちこちで過ごしているわけではなく、ちゃんと訳あってそこにいます。
ザトウクジラが釧路沖に現れる理由は季節移動の通過海域になっているためなのです。ちなみに目的地は、日本沿岸だと沖縄、小笠原、南九州以南あたりが中心。
笹森氏は2015年冬に、ザトウクジラの越冬海域で有名な沖縄県慶良間諸島の座間味で釧路を通るザトウを沖縄でみつけようと題して、地元の子供や観光客対象のイベントを行いました。さかまた組は、釧路でやっていたこととほぼ同じ様に写真展や地元のウォッチング協会と合同で講演会、親子対象の見学ツアーなどを実施。
参加者が喜び、釧路の海についても興味を持ってくれたことが一番の成果ですが、釧路を通過していく個体数頭が座間味にも来遊していたことが、双方のカタログ照合で
実際にわかったというのも大きい成果。通過点あるいは回遊目的地点という、点と点がつながり、回遊コースの一部が線になったから。
ところで、近年、このザトウという種が、回遊の到達地点をこれまでの南の海より北上させていることがわかってきたそうです。
冬を過ごす海というのは、彼らにとって繁殖や子育てなど種を維持するために必要な海域でとても重要。温暖で穏やかであることが最重視されます。その海域を伊豆諸島の八丈、御蔵、三宅周辺あたりへ変更するグループが出てきているのです。
そもそも高緯度の夏の餌場でしか食事せず、繁殖域や回遊の途中では断食している彼らにとって、もっとも大切なのは繁殖や子育てに適した水温。
「伊豆諸島あたりで大丈夫、という事は、単純に考えれば、冬のこの海域が小笠原や沖縄に匹敵する水温まで上がってきていることがわかるのです。
いつも話している通り、プランクトンや小さな魚、あるいは水温といった目につきにくく、なかなか定期的な観測対象とされない“物や事”より陸からも船からでもその存在の有無が比較的わかりやすい鯨類の行動は、海の変化に気づく格好の指標となりうるので、伊豆諸島のザトウはその良い例かもしれないですね。」
さて、この冬、東京都伊豆諸島三宅島で、ザトウクジラの調査が始まるそうです。ドローンを飛ばして、噴気を取り、DNAを調べるというものです。
実は、さかまた組でも2016年にシャチをターゲットにやってみたことがあります。でも、ドローンで噴気を取るのは意外と難しかったと。噴気の量や勢い、風向き、
ドローンの接近角度や高度、サンプル確保後は汚染されないよう事前に様々な段取りが必要等、考慮しなくてはならないことが結構あったそうです。
それより何より、想定以上にシャチがドローンを意識したことが最大の懸念事項で。結局、ドローン作戦は成功する前に中断したそう。
「今、まさに私たちが目にしている野生動物の行動生態は、私たちの時間間隔では想像もできないような、ずっと大きな流れの中で定着したもの。
例えば、数十年とか数百年とか。それが変わっていくのを目にする、その時代の潮目にいるという事の意味を私たちはもっと深刻に捉えた方が良いと思います。
私達の行動が、自然界という壮大な大舞台で連綿と築き上げられたバランスや連携、つながりといったあらゆる秩序をぶち壊しにしているかもしれないから。
私自身は、今の状況をとても恐ろしいことだと感じているんです。」
※写真は笹森琴絵氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/28q8XCa6Dn4ddLLZ8U3tIk

ICT-enhanced art classes. [close to you <art編>]

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北海道教育大学附属釧路義務教育学校の美術を教えている更科結希氏に授業を含めた最近の活動についてお話しを伺いました。
どれもがICTにまつわる事ばかりで、やはり時代の流れなのだと感じたのが率直な感想です。
ICTとは「Information and Communication Technology」の略称、日本語では「情報通信技術」という意味です。
2021年は教育分野でのオンライン授業導入等が進んでいることで「ICT元年」と言われていたりもします。
附属中学校では8年前から導入し、アートに関わるものでたくさん実践されてきたこともあり、道内や沖縄等々からそのノウハウを教えて欲しいということで
現地に行ったり、オンラインで講演なさったりしたそうです。
「ノウハウというより、失敗談を含め、正直に今までやってきたことをお話ししただけですよ。でも、皆さん前向きでとりあえずやってみるという姿勢が嬉しかったです。」
授業でもタブレットを使った形で展開することが多く、各学年で様々な取り組みを行なっています。
例えば、7年生(中学1年生)では、「連動する」をテーマに複数のタブレットを使い、ものが移動する様子を表現。
「子供たちは本当に発想が豊かで、こちらが考えもしないことをやってくれます。ただ、丸いものが次から次のタブレットへ移動するだけではなく、そこにストーリー展開を考えたり、背景を考えたり、そこに自分たちが撮影した動画を使ったり・・・。幅が広がり、イメージがどんどん膨らむ感じです。」
また、p5.jsという言語を使ったプログラミング、アニメーションを作ったり・・・。
来年は、木工工芸の研究授業も。美術室には木材の端材が様々用意されていました。形状は様々。これを使い自分が欲しいもの、家族にあげたいものを考え、制作する。
実際に使うことを前提として作るのですが、心が欲しがるものを制作したいという生徒の言葉もあったそうです。その発想がすごいですね。。。
制作過程を動画で記録して、残す。全てにタブレットが関与しているのです。
現在は、動画なしでは進まないことも多々ある中、何を表現して何を伝えるのか。教える側も教わる側も様々な経験を通して学ぶことがたくさんある授業だと思いました。
※尚、写真は更科結希氏からお借りしました。

2022.1214 O.A 市立釧路総合病院 院長 森田研氏& 緩和ケア看護師長 荒堀有子氏 [close to you <dr.編>]

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今年10月にスタートした緩和ケア病棟。実際に動き出しての感想等を含めお話しを伺いました。
とにかくゆったりと落ち着いた雰囲気で、病院らしさを感じない室内。私もオープン前にお邪魔しましたけれど、ホテルみたいな感じの壁紙やそこに流れる音楽、
空気感がとてもリラックスするのを感じました。実際に働かれているスタッフの方も充実したやりがいのある時間を過ごされているそうです。
もちろん患者さんも静かに穏やかな時間を過ごしていらっしゃるのを感じるそうです。
「家族や友人と写真を撮られて、スタッフがすぐにフレームやメッセージを入れてプリントしてお渡ししているんです。
その作業をしているスタッフも、またそれを受け取る家族の方もとても良い表情をなさっているのが印象的です。」と荒堀氏。
ところで、緩和ケア病棟、一般病棟とは何が違うのでしょう?
「例えば、午前中は寝ていたい」「お昼にお風呂に入りたい」等々、なるべく自由に過ごすことができるのが一番の違いでしょうか。。。
また、心電図モニター等、管に繋がれない状況をとても大切になさっているそうです。
さらに、スタッフも看護本来の仕事ができると喜んでいらっしゃるとのこと。それは時間に余裕があり、イライラしているスタッフが誰もいない・・・と。
「看護師は忙しいというイメージをお持ちの方が多いと思います。でもそれを感じさせないんです。スタッフの働きかけで患者さんが元気になったり、
笑顔になったりするのを実感しています。指示を待つというより、それぞれが自ら自発的に行動しているんですよ。これは大きな違いですね。」
心に余裕があるということなのでしょうか。看護という本来の意味を感じ取る毎日なのだとおっしゃっていました。
「緩和ケアというと積極的な治療をしない、イコール死のイメージがあると思うのですが、私たちは最期の時まで自分らしく穏やかに生きることを支えることを
目指しています。人は誰でも死を迎えます。その時間まで苦痛なく生きることを支えていきたいと思っています。」
これからの課題も伺いました。まず現在21床のところ、稼働しているのが14床。今は市立病院の患者さんを優先しているそうですが、
今後は釧路管内の多くの方に使っていただきたいと。
さらに、今後はクリスマスや節分やお雛様等々季節の行事や日頃のお茶会等も企画したいとおっしゃっていました。
また、ボランティアの方の導入や遺族会も立ち上げることができたらと・・・まだまだ進化し続ける姿が今回のお話しから伝わって来ました。

ストーリーからおう〜12月の巻絹(中西 紗織編) [varied experts]

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IMG_6209.jpg今回は《巻絹》をご紹介いただきました。巻絹とは、軸に巻いた絹の反物のこと。
その巻絹がタイトルとなっている能で、物語で大きな鍵を握るのは和歌。和歌の徳を讃えた、素朴で風流な内容が魅力です。
最後の場面で巫女(シテ)巫女の舞う《神楽》という舞も神秘的で美しい。
能《巻絹》・・・作者不詳
登場人物・・・・・シテ:巫女
         ツレ:都の男
         ワキ:勅使
         アイ:勅使の下人
場所・・・・・紀伊の国 熊野本宮(現在の和歌山県田辺市本宮町)
季節・・・・・12月 曲柄:四番目(略三番目)(略初能)    
●勅使(ワキ)登場、帝の見た霊夢のことを語る:ワキの勅使が登場し、「わが君あらたなる霊夢をこうむり給ひ」と、帝が霊験あらたかな夢をご覧になり、千疋の巻絹を
熊野権現様に納める様にお告げがあったと。帝の命で諸国から続々と巻絹が集まっているのに、都から来るはずの巻絹の到着が遅れている、どうした事かというのです。
●都の男(ツレ)登場:そのころ都の男はまだ旅路の途中なのでした。この都の男は、直面と言って面をかけない、素顔の役として登場します。
巻絹を運ぶ男は、険しい旅路を進み、山また山を越えて熊野権現へと道を急ぎます。そしてついに目的地に到着し、「まづまづ音無の天神へ参らばやと思ひ候」と、
音無天神、つまり熊野本宮の東北にあった地主権現、その社の守護神が祀ってあるところに参拝。折から、「冬梅の匂ひの聞え候」と冬梅の香りが香ってくるので、
思わず興に乗り心の中で一首の歌を音無の天神に手向けるのでした。
●勅使(ワキ)が勅使の下人(アイ)に命じ、都の男(ツレ)に縄をかける:参詣を終えた都の男は、「都より巻絹を持ちて参りて候」と待ち受けていた勅使の下人に声をかけますが、なんと期日は過ぎてしまっていたのです。都の男一人が遅刻して、千疋の巻絹がすべてそろうことが間に合わなかったために、勅使は怒り、罪の報いを受ける
ようにと、下人に命じて男を縄で縛りあげてしまうのでした。
●巫女(シテ)登場:そこに呼びかける声がします。巫女が登場し「なうなう」と呼びかけ、なぜその者を縄でしばるのだと問いかけます。
「その者はきのう昨日音無の天神にて一首の歌を詠み、我に手向けし者なれば」と。その歌のおかげで私は神の身の苦しみを免れることができたのだから、
早くその縄を解きなさいと、巫女がだんだんと神がかりして言うのです。でも、勅使たちが取り合わないので、巫女は縄を自ら解いてやろうと、都の男に近寄ります。
●疑う勅使、巫女が真実を明かす:巫女が再度、この男は音無天神にて一首の歌を詠み私に手向けた者だからはやく縄を解きなさいと言います。
ところが勅使は直ぐには信じない。。。巫女は、神慮を偽りだと言うのかと、怒ったような様子になり真実を正します。
まず、縛められている男に命じ、心の中で詠んだ歌の上の句を述べさせます。上の句は、「音無にかつ咲き初むる梅の花」と。すると即座に巫女が下の句を続けます。
「匂はざりせば誰か知るべき」と。巫女は音無天神の神慮の正しさを示すのでした。男が心の中で詠んだ歌が、しっかりと天神に届いていたので、疑いは晴れて男は釈放。
●巫女(シテ)は和歌の徳を讃えて謡い舞う:巫女に憑依した音無天神は男が手向けた歌に感謝し和歌の徳を讃えます。能では、和歌の功徳を讃える物語が時々出てきます。
音無天神が乗り移った巫女は、神代の時代から宇宙の真理が和歌に詠まれた言葉の中にあるという様なことを色々な故事をひきつつ語っていきます。
●巫女の《神楽》天神は天へ帰る:巫女は祝詞を唱え、金剛界・胎蔵界という曼荼羅図を、この地の霊山にあてはめ、吉野の山は金剛界、熊野の山は胎蔵界であり、
ここに浄土があり、ありがたいことだと言い、《神楽》という舞を舞います。《神楽》は、女神が憑依した巫女が舞う神聖な趣の舞。
小鼓という楽器が「プ、ポ、プ、ポ」と連続する「ノット」という手組を打つのが特徴的。《神楽》を舞い、激しく狂乱して巫女は舞います。
「九十九髪の」という言葉が出てきたり、神様の「神」と髪の毛の「髪」がかけられていて、巫女の髪の乱れが描写されたり、詞章には、「空に飛ぶ鳥の、翔り翔りて地にまた躍り、数珠をもみ袖を振り、挙足下足の舞の手を尽し」とあり、激しく飛んだりはねたりして舞い狂うような神がかりの様子が伝わってきます。
ついに「これまでなりや。神は上がらせ給ふと言ひ捨つる。声のうちより狂い覚めて また本性にぞなりにける」と、これがこの能の最後の詞章。
音無天神は天に上り、巫女は本性に戻り、めでたしめでたしとなるのでした。

2022.1209 O.A 「旅割を使った撮影旅行のススメ」 [varied stories]

逸見光寿さん(写真家)
https://coju.info/

新型コロナウイルスは感染症対策と社会経済活動との両立へということで、国の「全国旅行支援」はコロナ禍で打撃を受けた観光業を支援するために導入されました。
北海道では「HOKKAIDO LOVE!割」という名称で実施。これを利用しない手はないそうです。ということで、今回はこのシステムを利用した撮影旅行のことです。
1:温根湯温泉 大江本家
どうみん割で初めて泊まり大変気に入って、今回リピートで連泊。1泊2食付きで実質7,000円ぐらい。
生田原のちゃちゃワールドはおもちゃも楽しいのですが、影絵作家・藤城清治氏の作品展示が素晴らしかったそう。撮影地では、本別牧場が素晴らしい・・・と。
2:川湯温泉 お宿欣喜湯
欣喜湯は今年改装して、全客室にベッドが入り、快適になったそう。泉質は、強酸性で道東を代表する強烈な温泉。抜群の泉質とおっしゃっていました。
硫黄臭も強烈。個人的には「川湯臭」と言っているそうです。道内では他に「雪秩父臭」(ニセコ湯本温泉)も。
川湯温泉は「源泉かけ流し宣言」北海道は他にぬかびら源泉郷と虎杖浜温泉があります。
逸見氏にとっては、道東撮影の拠点となる場所とのこと。
3:養老牛温泉 湯宿だいいち
欧米の富裕層も大満足の道東屈指の宿で、温泉、食事が最高で清潔かつ快適な部屋に満足するそう。
運が良ければ宿の窓越しにシマフクロウが見られ、野鳥も多く見られる場所です。
また、野付半島から約1時間。弟子屈、多和平にも近く便利な場所とも。。。
今回の宿泊は1泊2食付きで実質9,500円ぐらい。普段は16,000円~24,000円ぐらいの宿なのでお得感が高いとおっしゃっていました。
※写真は逸見光寿氏からお借りしました。
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2022.1208 O.A 邦楽 [chord 5]

・I LOVE YOU / 尾崎豊
・君だけに / 少年隊
・もうひとつの土曜日 / 浜田省吾
・Indigo Waltz / 久保田利伸
・GET BACK IN LOVE / 山下達郎
・SAY YES / CHAGE&ASKA
~今回は邦楽一般。シンプルに・・・ラブソング特集です。
セレクトは村田氏。今回の出演は、村田氏&midoriでお送りします。

モンタナ松(野村 香編) [fun science]

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今まで、トドマツ、カラマツとご紹介いただきましたが、今回はモンタナ松。
あまり聞き馴染みがない松かもしれません。別名マウンテンパイン。ヨーロッパの標高100〜2700mくらいのところで生育しているそう。
実は身近にあったりするそうで、例えば、園芸用、柵の代わりに植えられていたりするそうです。
最近では食用としても注目を浴びているとか・・・。主につぼみや松かさを使うそうですが、アルコールにつけてチンキを作ったり、シロップを作ったり。
香りは森林浴の強めな感じ。たくさんの粒子の中のいくつかが角があって、それが嗅覚に反応するみたいな・・・。
ですから経皮吸収よりも芳香浴の方が良いのかも?と野村氏。主成分のモノテルペン炭化水素類。ほかにはαピネン、βピネン、ボルニル等。
ここぞという時の集中力アップや力強さが備わっている感じなので、アスリートやアーティストのバックステージでも愛用している方もいらっしゃるとか。
体にはまず、呼吸器気管支炎、インフルエンザ等を予防する力があるみたい。「乾燥した中ではなく、湿度を取り込みながらの芳香浴がオススメです。」と。
効能としては、鎮痛・消毒・利尿・去痰等がうたわれているそうです。
ユーカリとの相性が抜群なので、ブレンドして芳香浴として使用するのが良いかもしれませんね。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/5Cn8aCvJQQiHrfYglm117K

高病原性鳥インフルエンザ猛威!(齊藤 慶輔編) [nature treasure]

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新聞記事等々で今年は鳥インフルエンザの記事が多いと感じでいる方もいらっしゃることと思います。
「そうなんです。早く、数も多い感じです。世界的規模ですね。」と慶輔獣医。タンチョウやコウノトリでも発生したというニュース。
現在は、九州でのナベヅルやマナヅルがバタバタと死んでしまっているそうで、気になることも多々あると。
そもそもはニワトリの病気。それがカモ等の渡り鳥に感染し・・・という流れとのこと。鳥から鳥への感染は考えられるのですが、鳥から哺乳類へ感染という例もあり。
今後、目が離せない状態が続きそうです。これからタンチョウは給餌場に集まってきます。もしそこで発生したら・・・・・。
考えたくないことですが、ないとは言えないことの様です。
このようなニュースが流れると、何と無く鶏肉や卵は心配という方も中にはいらっしゃるかもしれません。
「流通しているものはおそらく大丈夫だと思います。ただ、もし生卵が気になるという方は調理をして食べても良いかもしれませんね。」
必要以上に恐がる必要はないということですから、しっかりと社会の流れも見ながら自身の行動をとるべきだと思いました。
※写真はお疲れモードの慶輔獣医と防護服を着た慶輔獣医(こちらはご本人からお借りしたものです)。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/6dcNcxHa0zp3V244S1xEf1

people people people [close to you <art編>]

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川瀬敏夫氏は芦別市に生まれ、1952年、北海道学芸大学釧路分校(現・北海道教育大学釧路校)美術科に入学。
卒業後、定年を迎えるまで釧路市内の小中学校で美術教員を務めた方。
また釧路においては学芸大の学生を中心としたノワール同人会(後のノワール美術協会)を設立し、市内で展覧会を開催するなど精力的に活動なさいました。
様々な表現で人々を描いていることが特徴の川瀬氏。アンフォルメルのような抽象表現を試みた時期、大学時代には<工場>と題する作品で全道展に入選するなど
建物を描いた作品もあります。しかし「ただ〜物〜を写すことだけが絵を描くことなのか」という疑問を抱き続けていた彼は人を描くことに行き着いたのです。
人間という存在そのものを問うため、群像表現を追求した川瀬の<人たち>シリーズは彼の画業の中でも代表的な作品群なのです。
沼前学芸員から作品に関するmemoをいただきましたので、ここで紹介させていただきます。
《ヒト達》:1956年に「世界・今日の美術展」が開催され、日本にアンフォルメルが紹介されると、「アンフォルメル旋風」と呼ばれるほどの大きな反響があった。
本作ではアンフォルメルのような厚塗りの表現がみられるが、同時に人々の顔が描かれており、後の〈人たち〉シリーズに続くことを感じさせる。
《人たち》1970年頃:水俣病がテーマだという(所蔵者の話による)。この作品に限った話ではないが、川瀬は人々の描き方や導入するモチーフといった造形の
側面だけでなく、公害問題や、教員として働く中で感じた葛藤など、自らが生きる社会の問題を表現することも追求した。
《人たち》(1975年):釧路市立美術館所蔵と年間スケジュールのメインビジュアル。
アトリエで並べて描いていた。どちらも通りを行きかう人々を眺めているような感じ。他の作品と比べると現実味のある感じがしてくる。
《作品97》1997年:1990年代に入ると、〈人たち〉シリーズ以外にも自然をモチーフとしているような作品も描くようになる。
木のうろや、そこから顔をのぞかせる鳥がいたり、幻想的な印象もあるが、画面右上には黒い円が不気味に描かれていて緊張感もある。
《作品名不詳》2015年:本作は気候変動をテーマにしたものだったという。1976年に釧新郷土芸術賞を受賞した際の釧路新聞の記事では、「風景はどうも描けない。
大き過ぎ、美しすぎる自然に負けて、ただ“物”を写すだけに終わりそうだから」との川瀬の言葉が紹介されている。本作は荒涼とした大地に葉の落ちた木が生えていると
いう「風景」だが、川瀬にとっては、写し取った風景なのではなく、気候変動というテーマの象徴としての風景なのだろう。
「〈人たち〉シリーズは造形の面だけでなく、川瀬が教員として生活を送る中で感じた様々な問題意識が含まれていると思います。
ではなぜ、その問題関心を表現するために、このような独特な形の人の表現に行き着いたのか、という疑問は残るし、そこは今後の研究課題だと思っています。
現在の世の中は、川瀬が生きた時代とは異なるかもしれないが、今、この作品を見てもいろいろと感じることがあると思います。」と沼前学芸員。
人というものを通して見えてくるもの、今だから感じるもの、その表現の多様さ試行錯誤の流れ、様々なことを感じる作品群だと思います。
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(川瀬敏夫展〜人たち〜は12/18まで釧路市立美術館で開催中です。)