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2023.1011O.A 釧路保健所 所長 石井安彦氏 [close to you <dr.編>]

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今年はインフルエンザの流行が早そう・・・ワクチンを早めに・・・というニュースが新聞に掲載されて、詳しいお話を伺いたいということで、
スタジオにお越しいただきました。
いつも、沖縄では夏の時期でもインフルエンザ感染者がいるそうです。ただあまり大きく拡大することはなかったそう。
今回は人の移動が多く、そのため広がったのでは?と。
コロナ禍ではインフルエンザもあまり流行することはなく、というかほとんど感染者がいなかったので、抗体をもつ人がいないために用心が必要とのこと。
そもそもインフルエンザとは、インフルエンザウイルスに感染することによって起こり、38度以上の発熱、頭痛、関節痛、筋肉痛、全身倦怠感等の症状が比較的急速に現れるのが特徴。併せて普通の風邪と同じように、喉の痛み、鼻汁、咳等の症状も見られます。日本では例年、12月から3月が流行シーズン。
インフルエンザウイルスはA型、B型、C型に大きく分類され、大きな流行の原因となるのはA型とB型。
ワクチンではA型2種とB型2種の4種のものが入っているのでほぼ、網羅している感じだそうです。
何より予防が重要です。
1:流行前のワクチン接種、2:外出後の手洗い等、3:適度な湿度の保持、4:十分な休養とバランスのとれた栄養接種、
5:人混みや繁華街への外出を控える、6:室内ではこまめに換気をする
換気に関しては、季節を問わず、また、新型コロナウイルス対策としても十分な換気が重要。
一般家庭でも建物に組み込まれている常時換気設備や台所・洗面所の換気扇によって室温を大きく変動させることなく換気を行うことができる。
常時換気設備や換気扇を運転し、最小限の換気量を確保できる。
「いつもと違うから・・・もう少し待ってから・・・ではなく、うてる時にワクチンはうっておいた方が良いかもしれません。」
もしかすると今年のインフルエンザの流行はいつもの年よりも早くやってきそうな感じ。
何よりも通常の適切な睡眠と栄養摂取がベースにあり、それを忘れないようにしなければ。。。とお話しを伺って思いました。

釧路のことあれこれ(黒田 理編) [varied experts]

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釧路にいらして1年が過ぎた黒田氏。釧路で暮らしていて、釧路の方達からよく聞く言葉があると・・。「釧路はなにもない」。
先日も北海道新聞の記事の中に見つけたと。20年間続いた夕刊の地方面『どどんと』という欄が朝刊に移るのに合わせ、振り返る連載記事が掲載されました。そこで見つけたそう。釧路で生まれ育った記者は学生時代、釧路は何もないと思っていたそうです。ところが、取材で多くの人に会うようになり釧路の魅力を教えてもらい考えが変わっていったそう。たとえば、避暑のために毎夏、釧路を訪れていた愛知県の画家の方との出会い。その方がご自身の目で見た釧路は『フランスの地方都市のような趣がある。なにもないことはない。素敵な風景があるじゃない』。この記者は、通勤で毎日見ている景色が、こんなに魅力的に見えるのかと衝撃を受け、いかに自分が故郷をきちんと見てこなかったのかを反省したそうです。
先日、釧路にいらした黒田氏の知人をヒアガーデンに案内したそう。その人はロンドンに長く暮らしていたのそうですが、弊舞橋から河岸にテントを張り、にぎわっている様子を見て『テムズ河みたいだ』と懐かしがっていたそうです。
10年以上前の全国に釧路をPRする大型ポスターを制作したという記事をご覧になった黒田氏。人々がつぶやく吹き出しがいくつかあり、『何もない街』から始まり『カニやら魚やら美味いモノいっぱい』と魅力を語ります。中には『ゴキブリもいない』という『ないこと』を売りにしたものも。
「釧路の人は実は『なにもない』と言って、本当にはそう思っていないんじゃないかと感じるのです。『魚はおいしいじゃない』『湿原みたいな自然はほかにはないよ』という答えを待っているんじゃないかなという気がしています。どうでしょうか。」
昔の映画とか小説等を読むと、確かに違う釧路があると・・・。「1984年の『男はつらいよ』の33作目『夜霧にむせぶ寅次郎』を見ると、釧路駅前から弊舞橋までの景色がいまと全然違います。40年前、たしかにデパートも映画館もなんでもあったんだと思います。北大通は、人と人の肩がぶつかったというのも本当だと思いました。また、原田康子さんの有名な小説『挽歌』を読むと、もっと時代の流れを感じますよね。1956年の作品。冒頭のほうにこんなくだりがあります。〜繁華街のほうから街のざわめきがきこえてくる。自動車のクラクション、街頭放送のアナウンス、なにかの音楽、通行人たちの足音と会話と衣ずれ。それらの音が全部溶け合い、重なり合った街のざわめきがきこえてくる。あるいは…。街はにぎやかであった。高い百貨店の陰の道路に、風船売りや花屋の車がたくさん並んでいた…(中略)…百貨店の前の停留所からバスに乗り込む。次々とくるバスの車体には行先が書いてあった…〜。目に浮かんでくる風景は、いまの北大通や末広のものとは違いますよね。そういう景色と比べて『釧路はなにもない』『なくなった』というのかもしれませんが、実は釧路の人は心のどこかで、そんなことはないと思っているような気がするんです。」と黒田氏。黒田氏は釧路に来るまで12回、転勤。色々なまちに住み、そこの暮らしぶりを知っているつもり・・・と。その中でも釧路は印象に残るまち、大好きなまちとおっしゃっていました。廃墟ビルや廃墟のような飲み屋街は困りものだなとは思うそうですが、それでもどことなく情緒があると。
「実は私、会社を退職するので、今回の収録が最後になります。近く釧路を離れます。残念だなと思います。でもまた戻ってきたいと思っています。」
短いおつきあいでしたが、とても興味深いお話しをたくさんお聞きすることができました。この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。

2023.1006 O.A 登録有形文化財〜銀座ライオンビル [varied stories]

菊田真寛さん(会社役員)

今回は、登録文化財の一つ。菊田氏曰く、ある意味、有名で、ある飲み物の聖地ではないかと思っているビールに関する話題です。ただ、ビールのお話だけではなく、ビヤホールのお話しと。
令和3年11月登録有形文化財の建造物で、文部科学大臣に答申され、決定された銀座7丁目に建つ銀座ライオンビル。戦前から営業を続ける我が国ビヤホールの一大傑作と言われているそうです。現存する日本最古のビヤホールで、1934年、昭和9年4月大日本麦酒の本社ビルとして竣工した「銀座ライオンビル」1階にビヤホールが開店されたそう。ビヤホールの内装は、当時としては贅をつくし、工夫を凝らした造りになっていて、建築家などから賞賛を集めたと・・・。
店内は『豊穣と収穫』をコンセプトに大麦やぶどうをモチーフとして装飾が施されていて、誰もがゆったりと生ビールを楽しむという雰囲気があるそうです。この建物は、戦時中空襲を免れて、90年ほどの歴史ある建物であることが、中に入ってつくづく感じたそうです。「圧巻なのは、我が国初めてらしいですが、すべて日本人が制作したガラスモザイクを使った、入って正面にある大壁画です。ビール麦の収穫に働く婦人たちを描いたもので、縦2.75m、横5.75mのものすごいい大きな壁画です。お店の左右の壁にも同じような壁画が飾られていて、改めて歴史を感じることができます。」
続いて、ビールのお話し。この銀座ライオンの生ビールにもこだわりがあるそうです。ビールグラスへのビールの注ぎ方にこだわりと伝統を受け継いだ技があると・・・。飲食店で一般的に使用しているビールサーバーは、ビールの液体と泡を別々に抽出するタイプ。注ぎ方は、最初のビールの液体を注いでから、最後に作った泡をのせます。ところが銀座ライオンで使用しているビールサーバーは仕組みが違い、『注ぎながら泡を作る』という注ぎ方にこだわっているとのこと。これが、伝統に『一度注ぎ』というそうです。まず、グラスやジョッキを11度から12度に傾け、抽出口から勢いよく出るビールをグラスの内側面で静かに受けて、左回りの渦を作るそうです。この瞬間、細かな泡が広がって液体内は白っぽくなるそう。グラスをビールで満たし、渦の回転がゆっくりになると、液体内に広がっていた泡がビールの表面に上がり、ふんわりとした泡の層が出来上がる。注ぎながら、ビールをグラスの中で回転させることで、余分な炭酸ガスを抜き、雑味を泡に閉じ込め、すっきりとしたのど越しと苦味の少ないビールに仕上がることができるそうです。「これが、美味しいんです。いくらでも?飲めてしまうのです。総席数は280席。ワイワイガヤガヤ、外よりも、むしろ店の中の方がうるさいかもしれませんが、それがいいんですよ。行った日は満席でした。」
そして、ビールといえば、ソーセージ。他に鶏のから揚げ、プレッツエル(ドイツの焼き菓子パン)、昔ながらのスパゲッティナポリタンなどなど、メニューをみるとどれも食べたくなり、注文しちゃいましたと菊田氏。
「銀座の中央通りに面したお店で飲むビールは最高でしたね。歴史を感じながら最高のビールを頂く、最高の一日でした。」
※写真は菊田真寛氏からお借りしました。
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2023.1005 O.A 洋楽 [chord 5]

・Hideaway / John Mayall & The Bluesbreakers
・Sunshine of Your Love / Cream
・Sitting On Top of the World (Live) / Cream
・Our Love Is Drifting / The Paul Butterfield Blues Band
・Little Wing (Live) / The Jimi Hendrix Experience
~今回の洋楽編。いきなり・・60年代特集です。今週から70年代から90年代という枠がとれます。
直近のセレクト以外かかる曲の範囲が広がります。
セレクトは今回から洋楽担当はRyo氏。出演は、Ryo氏&midoriでお送りします。

地球環境と太陽(中山 雅茂編) [fun science]

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「地球環境と太陽について考えてみようと思ったきっかけは、この夏の暑さ。そういえば、太陽の黒点が少ない状態が続くと、地球は寒くなる、、、というようなことを以前聞いたことがあると思い・・・。」
まず、太陽の表面には黒点があります。この黒点の数ですが、数年おきに増えたり減ったりすることが観測結果からわかっています。この黒点の数が増えたり減ったりする周期ですが、おおよそ11年。望遠鏡を使って太陽黒点の観測が始まったのは、17世紀(1601~1700)の初めで、イギリスの天文学者 エドワード・ウォルター・モーンダー(Edward Walter Maunder)が、自分の観測結果などからこの太陽黒点の11年周期を発表(1904年)しました。さらに、天文台に残されていた観測資料から1645年~1715年の間の約70年間、黒点が少なく太陽活動が低くなった時代があることを論文で発表(1894・1922年)したそうです。当時、この論文は注目されなかったそうですが、1970年代に注目され、このような黒点の少ない時代を「マウンダー極小期」と呼ぶようになったのです。その後、1800年~1824年頃にも黒点の数が減る時期があり「ダルトン極小期」と呼ばれているそう。そして、研究が進み、樹木の年輪中の宇宙線生成核種(宇宙線が地球大気中に進入したときに生成する核種)を調べることで、1416年~1534年の約120年(シュペーラー極小期)にも同じような現象があったと考えられていると中山氏。
この様に、目に見える形として太陽黒点に注目した観測をきっかけに、太陽の活動に周期があることがわかっているそうです。太陽には11年の周期と、〇〇極小期のように、もっと長期の周期があると研究者はとらえていると・・・。
ちょうど、ヨーロッパで氷河が拡大したことが特徴一つの小氷期とマウンダー極小期やダルトン極小期が同じ時期で、太陽の活動が地球の気候に影響を与えていると考える研究があるそう。マウンダー極小期の時には、ロンドンのテムズ川が凍った記録も残っていて、ヨーロッパがとても寒い時期だったことが想像されます。
一方で、太陽の11年周期と地球の気候変動の関係性については、地球の大気がもつ複雑な仕組みに対して、まだまだ世界中で研究が行われているという段階。

まだまだ未解明な領域のようです。
「太陽の周期をもとにすると、最近の話と言っていいと思いますが、2020年に、<地球が氷期突入では>と考えるレポートが出されたりしています。2019年の太陽黒点の観測結果から、この年は黒点が発生しない期間が長かったことで、もしかすると、極小期の始まりでは、と考える方もいたようです。その後の継続的な観測によって、太陽活動周期として、2019年終わりから新しい周期に入ったと報告されています。」
2022年の太陽活動のレポートでは、2022年の1年間で黒点がなかった日は1日のみ。太陽の活動度が上がってきていて、現在は活動ピークに向かっているそうです。

マリモ研究情報〜神戸大学との共同研究〜(尾山 洋一編) [nature treasure]

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神戸大学とは、主にマリモの暮らす場所の水の流れついての研究を共同で進めているそうです。
・水の流れを扱う学問のことを水理学と呼ぶ
・海岸で防波堤を建設する際や、水路の流れをコントロールする際など、主に土木系の現場で必要とされる学問
・基本的には物理(どういう風が吹くと、どういった波が立つとか、どういう流れが発生するとかを計算する)
その水理学とマリモの関係ですが・・・
・水の流れは目に見えない。特殊な機器を使って計測する。
・マリモは水の流れによって動かされやすいので、マリモの形や大きさの分布を調べることで、どういった流れが発生しているのかを間接的に見ることができる。
・保全上重要なのはマリモの打ち上げ。
・強風が発生すると岸に向かう流れが発生してマリモが打ち上がることがある。
・水理学の知識を使うことで、例えば、どのような風速や風の向きで、どのくらいの時間風が吹くと、マリモがどのくらい打ち上がるのかが計算できるようになる。
・マリモを管理する上でとても重要。
・マリモが風速5m以上で振動や回転することも神戸大が解析。
・2014年のNHKスペシャルで撮影されたマリモの回転映像を使っている。
マリモは見ていると水を含んで重そうに見えるのですが・・・
・マリモは水の中ではとても軽い。
・水の中の物質の重さの指標として「比重」がある。1より大きければ沈み、1より小さければ浮く。
・マリモの比重は1.01から1.10くらい。水には沈むが。1に近い値だから水の流れによって動かされやすい。
・マリモの大きさや状態によって比重が変わることが分かってきている。
・マリモの形状も様々。その内部の構造が違う可能性があるので、MRIを使って内部を見ようとしたら年輪が見つかった。
・マリモの比重を使って水理学を応用することで、パソコン上で湖の中でのマリモの動きをシミュレーションすることができるようになるかもしれない。
※写真は尾山洋一氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/4ZMnn3ShaMb1HLd68KkJzt

fundamental・・・interview 01 [close to you <art編>]

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遠藤彰子氏にインタビューさせていただく機会があり、お話しを伺ったのですが、とっても魅力的な方でした。
チャーミングで好奇心旺盛で、感性が豊かな優しい方といったイメージです。
小さな頃から絵を描くのがお好きとのことで、授業で先生に褒められた作品を家に持っていくとご両親が嬉しそうにしてくれた・・・と。
本格的には20代になってから始めた絵画ですが、この50年、絵筆を持たなかった日はないそうです。
油彩が大好き、魅力的な画材とおっしゃっていました。転機になった作品をご紹介いただきましたが、まず1点が『部屋」という作品。妊娠中、つわりがひどくで、でも絵を描きたくて、椅子に座りながら、寝ている姿勢で一つひとつ描いたそう。ですから元気の良い男性の姿や、臥せっている女性の様子等、その時の気分、気持ち、感情が伝わってくる感じです。「個展でこの作品が並ぶと、いつも泣きそうになるんです。」と教えていただきました。
そして、もう一つの転機が『みつめる空』大きな500号の作品を描いた最初の作品とのこと。
大きなキャンバスにどう構成しようか、悩んでいて「これだ!」と表現方法が見つかった作品だそうです。
まるで壁画のような大きなキャンバス、描くときには5つの脚立を使い描いているそう。
お話しを伺っていると、作品ひとつひとつが遠藤氏の年表のような感じがしてきます。
大きな1作品は1年かけて制作なさるそう。もちろん同時にほかの作品も並行して描かれています。さらには立体も。
500号以上の大きな作品、制作途中で気が変わったり、新たなものに興味がわいても、それはドローイングで残しておき、テーマ、方針は途中ではまげないとおっしゃっていました。
その時の社会情勢、自分の気持ち、いま起きていること、感じていることなどなど全てが凝縮され、1枚のキャンバスの中に詰め込まれています。
ですから、離れて遠くから全体を見ても、近寄って細部を見ても、それぞれのストーリーがそこに存在するのを確認することができると思います。
(遠藤彰子展は10/22まで釧路市立美術館で開催中です。)

2023.1004O.A 市立釧路総合病院 院長 森田研氏&釧路保健所 石井安彦氏 [close to you <dr.編>]

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森田氏が以前から一度スタジオにご一緒したいとおっしゃっていたドクターと一緒にスタジオにお越しいただきました。
実は今年の4月から釧路保健所で勤務なさっていますが、厚労省で8年も働かれたことのある方です。
今から5年前の北海道胆振東部地震の時には苫小牧にいらっしゃり、災害も経験なさっています。
さらに、コロナ関連業務では6回も釧路にいらっしゃっているのです。
「本当に心強い味方なんですよ。」と森田氏。
そもそもは泌尿器科医を5年なさった方ですので、そこで森田氏と繋がったのかな?と思いきや、どうやらコロナが結ぶ縁になったみたいです。
厚労省時代には様々な経験、体験もなさったそうで、もちろん災害関連に関しても数多くのノウハウをお持ちです。
「全国各地いろいろなところに出かけましたが、釧路は本当に連携ができていると感じます。
我々がやらないで誰がやる・・・ではないですが、医療関係等、団結が強いと思います。」
他の先生からもお聞きしたことはあるのですが、やはりそうなんですね。あらためてこの地域に住んでいてよかったと思えた瞬間でした。