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潜水調査船しんかい6500(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1:しんかい6500潜航記念証表.jpg 写真2:しんかい6500潜航記念証裏.jpg
JAMSTECでは、最初の15年間は深海研究部という部署に所属し深海調査観測に係わっていた満澤氏。その関係で、潜水調査船「しんかい2000」には15回、
「しんかい6500」には9回、海外の潜水調査船には、アメリカウッズホール海洋研究所の「アルビン」、アメリカ海軍の「シークリフ」で潜航し、合計で26回潜航。
「しんかい6500」は、深さ6500mまで潜ることができる潜水調査船。全長9.7m、幅2.8m、高さが4.1m、中型バス、街中を走る路線バスぐらいの大きさです。
人が乗るのは、前方の直径が2mのチタン製の球体、耐圧殻で、その中に3人が乗り込みます。耐圧殻には、直径13cmの観察窓が3つ。
耐圧殻の中、船内は、閉鎖空間なので、乗船者の呼吸により消費される酸素を補充し、吐き出される二酸化炭素を吸着剤で除去することで、空気中の酸素の濃度は一定に
保たれるようになっています。このしくみは、宇宙船や宇宙ステーションと同じ。この為、船内では特殊な呼吸器具をつける必要はなく陸上とまったく同じなのだそう。
ただ、深海は水温が0℃近くで船内が冷えるので、南の暖かい海で潜る時にも防寒着は必需品。火気厳禁なので、暖房はないのです。
調査に際し研究者にとって重要な装備は、マニピュレータ。マニピュレータは海底でサンプルを採ったり、計測機器を使って作業するための2本の腕。
船内から観察窓や船外カメラを見ながらパイロットがリモートで操作できるようになっているのです。
「しんかい6500」の1回の潜航時間は8時間位。この間、直径2mの耐圧殻の中に入っていることになります。壁には操縦するための最新の機器がびっしり取り付けられているので、それを見ているだけでも異世界にいるような感じになり、狭さを忘れてしまうと・・・。
満澤氏が初めて潜ったのは「しんかい2000」。最初は、確かに緊張し不安でしたが、実際に船内に入って観察窓から外をみていると、普段と違うものが見えるので、
夢中になって不安な気持ちはどこかに行ってしまったとおっしゃっていました。
母船上で、「しんかい6500」に乗り込み、船尾にあるAフレームクレーンと呼ばれれるクレーンで吊上げられ、海面に降ろされるのですが、着水した時に最初にみえるのは母船の2基の大きなスクリュー。ゆっくりと水中で回っていて、この時が一番揺れるそうです。
その後、母船から切り離され、バラストタンクの空気を抜いて海水を入れると、自重で潜航がはじまります。水深30m位まで潜ると海面での揺れはなくなるそう。
船酔いしていても潜航が始まると船酔いは無くなると・・・。
外は明るい青色からだんだん濃い藍色になり、海域にもよりますが100mを超える位から暗くなり、200mでほぼまっくらに。
海底に着くと、人が歩く位かそれより少し早い速度で海底を観察しながら移動したり、海底に着底して生物や泥、岩石などのサンプルを採取。
潜水船の前にあるステージなどに、マニピュレータで操作ができるように、事前にセッティングした様々な装置を取り出し作業を行います。泥をとったり、
生物採集用のトラップや計測装置などを設置したり、蛍光染料を流して海底の流れを調べたこともあるそうです。
「特に印象に残っているのは、海底熱水噴出域での潜航。勢いよく熱水の噴出が観察できる沖縄トラフや東太平洋海膨、北フィジー海盆の熱水噴出域で潜航しました。
海底から200℃を超える熱水が噴出しその周辺には小型のエビやカニ、チューブワームなど熱水に含まれる化学成分をエネルギー源とする沢山の生き物が生息しています。その様子を、観察窓の先、数10cmから数mの距離で見ることができます。
また、北フィジー海盆では、熱水噴出域の周辺に、海底が一面シートフローと呼ばれる流れた溶岩で覆われている場所があり、表面は黒いのですが溶岩が海水で冷やされ
表面がガラス質になっているので、照明にきらきらと反射する様子は、海底で星が瞬いているようでした。」
調査観測が終了すると、鉄の板でできたバラストを投棄し、潜水船自体の浮力によって浮上。浮上も潜航時とほぼ同じ時間がかかります。
海面での揺れを再び感じ、ダイバーによりつり上げるためのロープが接続され、Aフレームクレーンで母船に揚収という流れです。
「しんかい6500」は建造されてからすでに32年が経ちこの10月末に潜航回数1660回を超えたそうです。
後継機を要望する声もあるのですが、本当に人が深海に行く必要があるか、有人の必要があるかという議論があり、なかなか方向が定まらない状況だそうです。
もちろん、深海に行く感覚、そこにはフロンティア精神をたきつけるものがあるので、彼は有人を押しているそうですが、実際に今係わっている地震津波観測監視システムのメンテナンスはすべて無人探査機で行っていることもあり、必要性については明快な説明ができないというのが正直なところとおっしゃっていました。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真2枚はしんかい6500潜航記念証 表と裏
耐圧殻の中:https://www.jamstec.go.jp/j/pr/topics/jamstec-eye-202203/
深海VR「しんかい6500」調査編:https://www.jamstec.go.jp/shinkai6500/

2022.1118 O.A 「東京ぶらり散歩」 [varied stories]

菊田真寛さん(会社役員)

ぶらっと東京散歩、自然感じる所巡り編。まず、戦後を代表する作家の一人、台東区入谷にある池波正太郎記念文庫。
池波正太郎は、大正12年(1923年)台東区浅草生まれ、1990年、67歳で亡くなりました。鬼平犯科帳、剣客商売、真田太平記等の代表作がありますね。
「会社の先輩に、リーダーとしての心構えなど学ぶには良い小説だと紹介されたのが、「鬼平犯科帳」時代小説の文庫本全24巻でした。
主人公の「鬼平」こと「長谷川平蔵」の小説の中での人との接し方など、とても好きで、何度も読み返していますが、その作家である唯一の記念館なので以前から
気になっていたんです。」そこには、書斎、原稿、台本、絵画などが展示されていたそう。
彼は「男の作法」という本の中で、たとえば、「天ぷら屋にいくときは、腹をすかして行って、揚げるそばからかぶるつくように食べなきゃ」と語っているように、
グルメでもあります。また、絵も描かれる多彩な方でもあります。
「聖地は言い過ぎですが、行ってよかったなあと思っています。あらためて、今まで読んだことのない作品を読んでみようと思いました。」と菊田氏。
続いては近くにあった、法華宗の真源寺。「鬼子母神」を祀っていることから、「入谷鬼子母神」の名前でも有名な寺院だそうです。
釈迦は、悪神鬼子母神に子供を失う悲しみを改心させ、以後、子育ての守護神として信仰されているようです。
恐れ入りましたを洒落たことばで、「恐れ入谷の鬼子母神」と狂歌での言葉や、「朝顔市」でも有名なお寺です。
その後、本命の新宿御苑に・・・。新宿御苑は、徳川家康の家臣である内藤氏の江戸屋敷に一部がそのルーツとのこと。
東京都の公園のなかでは広さ5番目、58ヘクタール、東京ドーム13個分だそうです。中には重要文化財である洋館御休所などがあり、明治には皇室の庭園、
戦後に一般公開されたそう。あの桜を見る会、菊を見る会などイベントが開かれているそうです。
入場時は、100m以上並んで入園。園内はとても広いので、のんびりお弁当を広げてる人、芝生に寝転がっている人などたくさんいらしたそうです。
「東京ならではですが、遠くに高層ビルが見えたりとちょっと不思議な感じにみえました。初めて行きましたが、大きく4つのエリアがあり、
日本庭園・風景式庭園・整形式庭園があり、空気が澄んでる感じがしました。」
ジュウガツザクラという桜が咲いていたり、バラ花壇もあり、様々な種類のバラも咲いていたそうです。
「東京は大都会ですが、公園、憩いの場所など、充実しているとあらためて感じました。都会の喧騒と言われますが、もちろん騒がしい場所、人の数・車の数は、
半端な数ではないです。でも、癒しの場所、美術館など本物に触れることができる場所もたくさんあることあらためて強く感じ、癒されて帰ってきましたよ。」
※写真は菊田真寛氏からお借りしました。
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