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釧路満喫!!(久保田 裕之編) [varied experts]

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JRの冬の湿原号に乗車していらしたとのこと。「生まれて初めてのSLは、ゆったりとした速度で釧路湿原などを走り、景観を堪能できて大変すばらしいものでした。車窓からタンチョウやエゾシカが見えると乗客は声を上げて楽しんでいましたよ。」と。湿原号は現在道内で走る唯一のSL。毎年1月から3月までの期間限定で釧路-標茶間を往復します。車齢は今年で84歳。貨物列車として各地を走った後に引退し、一度は標茶の公園で展示保存されていましたが、再び現役で走ることになったそうです。故障が多く、部品がないこともありJR職員の絶え間ない管理・修理の努力で今も現役で活躍しているそうで、そんな説明が車内アナウンスで流れていたとおっしゃっていました。「そういうドラマ性が、旅をより楽しいものにしてくれるのだなと思いました。」さらに、標茶駅に到着後、車輪回りの氷を落としたり、給水したりする作業も間近で見ることができたと楽しそうに教えてくださいました。駅には列車の回転台がないため、客車の前にあった機関車を切り離し、後ろ側の釧路方向に連結し直す作業も迫力があったと。「私は鉄道ファンではないのですが、1時間ほどの作業に時間を忘れて見入ってしまいました。」ただ、少し残念なところもあったそうです。途中の塘路駅に着くと観光バスが横付けされていて、多くの外国人観光客が列車を降りてバスに乗り込んで行ったそう。湿原号は全席指定のため、途中で客が降りると、その先はずっと空席になってしまいます。湿原号は人気のSLで、週末はほぼ満席の予約が入るといいますが、乗りたい人がいるのに何だかとてももったいない感じがしたとおっしゃっていました。
そして、阿寒湖にワカサギ釣りに行ってきたそうです。東京にいるお子様と一緒に。何か釧路らしいことをしたいということで、人生初の氷上ワカサギ釣りに挑戦なさったそう。なんと1投目からいきなり3匹かかって親子で大騒ぎなさったとか。結局、2時間かけ2人で20匹以上を釣り上げ、その場で天ぷらにして食べたそうです。「東京では日ごろ見ることのできない阿寒湖の雄大な自然を楽しめたのも貴重な経験になったはずです。」と。。。ワカサギ釣り、実はお子様が釧路に来る前にインターネットで<釧路 アクティビティ>と検索したら出てきて知ったのだとか。今回は<釧路に来る>という大目的があって、その上で釧路で何ができるかを探して見つけたのですが、逆に<これができるから釧路に来る>という順番になれば、より多くの人を呼び込み素晴らしい体験をしてもらうことができるのだろうなと思ったと久保田氏。テレビの旅番組やSNS等で、釧路の良さをまだ知らない全国の人にもっと情報を発信して、<それがあるから釧路に行きたい>という人を増やせたら良いと感じたとおっしゃっていました。「来れば必ず楽しんでもらえますから。」

2024.0405 O.A 迎賓館 赤坂離宮 [varied stories]

菊田真寛さん(会社役員)

今回は、東京23区唯一の国宝建築の迎賓館 赤坂離宮のお話し。国宝というと、寺社仏閣や仏像、美術品などがありますが、明治以降の建造物で初めて国宝に指定されたのが、迎賓館 赤坂離宮だそうです。東京都の港区 元赤坂で四ツ谷駅に近く、学習院初等科の隣にある荘厳で威風堂々たる西洋建築の建物。
実は、一般公開されるのは最近のことなのだそう。2015年、当時、菅官房長官が観光立国の実現に向け、この迎賓館 赤坂離宮を視察して、一般公開を拡充することを発表し、2016年4月から通年で一般公開されました。「私も、実は一般公開されていることを最近知り、これは是非とも見学したいと思った次第です。国宝ですから、その素晴らしさを写真でお見せすることができなく残念ですが、その歴史と素晴らしさを少しでもお伝えできればと思います。」
国宝に指定されたのは、創建されてから100年を迎えた2009年12月8日。 旧東宮御所(迎賓館 赤坂離宮)として国宝に指定されました。明治以降の文化財としては初の国宝に指定とのこと。かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった場所は、明治を迎えて皇室に献上され、仮皇居などが設けられたそうです。その土地の一角に、1909年、東宮御所として誕生しました。
日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋宮殿が、現在の迎賓館 赤坂離宮の本館です。建物の両翼を前方に張り出し、湾曲させた特徴的な設計。屋根には、阿吽の鎧武者や天球儀があり、当時の欧米の最新技術や流行も取り入れつつ、和の意匠にもこだわりを感じる、明治期を代表する建物。後の昭和天皇が皇太子の時、後の香淳皇后とのご結婚後、数年間、住居たる東宮御所として使用されたそうです。戦後は皇室から国に移管され、国の迎賓施設へと大規模な改修を施し、和風別館の新設と合わせて1974年から迎賓館として、世界各国からの賓客をお迎えする外交の舞台となっています。敷地面積は12万㎡、いわゆる東京ドームの約2.5倍、延べ床面積15,000㎡。当時で、建設費は510万円以上とか。今の価値だと1000億円以上を費やした超巨大プロジェクトの完成だったそうです。
「建物自体は、豪華絢爛、荘厳、重厚感が半端じゃなかったです。本館は、まさに<国宝>の中に入った感じ。歴史と重厚感を肌で感じることができました。」
続いて、外国要人をお迎えしたりする部屋について。大きな部屋は<朝日の間><彩鸞の間><花鳥の間><羽衣の間>の4部屋があるそうです。その中で、最も格式が高い部屋、<朝日の間>(広さは200㎡)について教えていただきました。この部屋は、国賓が天皇皇后両陛下とお別れの挨拶をする部屋だそうです。また、国賓用のサロン、首脳会談として使用され、報道等で見たことがある方も多いと思います。この部屋は2019年4月に2年の改修を経て再公開されたそうです。大きな蝋台が置かれ、当時フランスから輸入された椅子やシャンデリアが存在感を示していたそう。天井には、この部屋の名前のとおり、朝日を背にした女神の絵画があり、四方には西陣織のビロードが張られていて、和風のデザインも施されていたとおっしゃっていました。
「東京のど真ん中 港区にこの様な荘厳で重厚感がある国宝建築物があること自体に驚きもありましたが、言葉にできない素晴らしさ、歴史を感じた一日でした。」
※写真は菊田真寛氏からお借りしました。
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