SSブログ

いまこそ地震・津波への備えを!(黒田 理編) [varied experts]

ve0303黒田部長.jpg
3月といえば3・11。2011年のこの日、東日本大震災が発生し、東北の太平洋岸が大きな被害を受けました。原発事故も引き起こし、ものすごい数の人が亡くなり、
家を追われました。10年以上の時をへて復興は進みましたが、その傷跡はいまも残っています。
先日、北海道新聞が事務局を務める政経文化懇話会という団体でスポーツジャーナリストの生島淳さん(フリーアナウンサーの生島ヒロシさんの弟さんなのですが)を
釧路に呼ばれたそうです。生島さんは宮城県の気仙沼市出身。4人兄弟でただ一人、地元に残っていたお姉さんを津波で亡くされています。そのことについて書いた
「気仙沼に消えた姉を追って」。「津波以前の気仙沼のことを知らない人が多いのに耐えられなくて、3月10日までの気仙沼の良かった時代を書き残したかった」と本を
書かれたそう。失って、故郷の素晴らしさがわかったというのです。その様に「よかった時代」を振り返れるのも生きているからこそという事。命があるから思い出すこともできる。なんとしても地震に備え、逃げることが大事なのだと思ったとおっしゃっていました。
釧路・根室も人ごとではありません。昨年、道は日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震で、最悪の場合、釧路市の人口の半分超の8万4千人が死亡するとの想定を出しました。
トルコでも巨大地震が起き、隣国シリアを含めて3万人以上が犠牲になりました。どう備えるべきか、あらためて考えるよい時期と言えるでしょう。
地震、津波、8万を超える死者と言ってもぴんと来ないかもしれません。とにかく、大きな被害が予想されているのです。
北海道新聞の釧路根室版では今年1月、防災担当記者に宮城県石巻市と高知県に飛んでもらい、連載企画を掲載。石巻市は東日本大震災で大きな津波被害のあった街です。
高さ8.6mの津波は海岸の防潮堤を越え、河川を最大50km近く遡上し、死者・行方不明者は市町村別では最多の3600人に及びました。
古市記者に出張してもらったそうですが、真新しい漁港や市場が整備され、観光客でにぎわう石巻市の魚町地区を訪れたところ、2015年に整備された高さ17mの津波避難タワーが2基、そびえたっていたそうです。タワーは階段がついたやぐらのような大きな建物。「すぐ近くの高台への避難が原則だが、東日本大震災の教訓を踏まえ、
逃げ遅れた水産加工場従業員や観光客が使うことを想定します」と市の担当者が説明してくれたそうです。
石巻市は震災被害からの復旧・復興事業を行い、海岸一帯に高さ最大9.7mの防潮堤を築き、内陸では盛り土の上に道路を通しました。
津波震災タワーは魚町の2基を含め計4基建設。タワーは厳冬期対策として断熱材を使った居室内に3日分の水と食料を備え、太陽光発電設備や蓄電池を備えているそう。
東北の太平洋沿岸には計53基のタワーがあります。では釧路市にはタワーはいくつあるでしょうか。実は1基もありません。釧路、根室管内には別海町の1基だけです。
石巻に追いついていないどころか、ハード面での対策はまだまだこれからなのです。
さて、もう1箇所、現地をみた高知市の例を紹介。高知市は南海トラフ地震で大きな被害が想定されています。月の名所として知られる高知市の景勝地 桂浜の5km沖合で
防波堤の工事が進められていたと。南海トラフ地震に伴う津波から逃げる為の時間を稼ぐための防波堤。高知でも津波避難タワーがこれまでに115基も建てられたそう。
タワーを含めて住宅耐震化など諸々のハード事業の整備により南海トラフ地震で想定される県内の死者数は最大4万2千人から、なんと8800人にまで減少したそうです。
釧路でも当然、望まれるのはこうした死者数の減少。8万人余りの死者数をどこまで減らせるか。ゼロに近づけられるか。釧路、根室管内には1基しかタワーがないので、
まだまだやらなければならないことが山積みです。タワーをはじめとしたハード事業を進められるかどうかの鍵はなんだと思いますか?もちろんお金です。
国は昨年9月、避難用の施設整備への補助率を2分の1から3分の2に引き上げる特別強化地域に全道39市町を指定。釧路市、釧路町、厚岸町、浜中町、白糠町、根室市など
釧路・根室管内の9市町も含まれています。しかしタワーは1基数億円。3分の1を市町が負担するのは荷が重いのが現実です。
それは高知県でも一緒だったそうです。3分の2に国の補助というのは南海トラフ地震に備える自治体と一緒。ずっと道内の自治体は「南海トラフ並みの補助を」と国に
求めてきました。それが実現したという事。ただ、高知と北海道には大きな違いがあります。高知県は地元自治体が負担することになっていた3分の1をすべて県が補助することにしたのです。高知市はお金を出す必要がなくなったのです。これがタワーをたくさん建設できるようになった理由です。
そこで釧路市をはじめ道内の自治体も道の支援を呼びかけています。また釧路市などは普段は老人福祉センターなどの公共施設として利用し、津波発生時には
避難施設となる鉄筋コンクリート造りの複合施設を大楽毛地区に2棟建てる計画。複合施設はタワーと違ってどこまで国が補助をしてくれるかはっきりしません。
今後、国、道などとの調整が必要になってきます。もちろんこの様な施策は行政が行いますが、私たち一人一人も防災に関心を持ち、声を上げていかないと
何も進みません。ハード事業だけでなく、普段の心構えを含めたソフト面の対策も必要です。

2023.0303 O.A 「今回がラスト・・・」 [varied stories]

上村知弘さん(フォトグラファー&ガイド)
http://www.tntnaturecon.com/

もう12年以上アレコレとお話しを伺ってきたのですが、諸々の事情で今回がラストとなりました。思い出は尽きず・・・うち数回はスタジオにもお越しいただきました。
とにかくカナダユーコン準州の素晴らしいところをたくさんご紹介いただき、なかなか行けない国の事を上村氏のお話しで行った気分にもさせていただきました。
あらためてユーコンの魅力をお聞きしたのですが、「やっぱり何と言っても広大な自然、そこに暮らす動物たち、数あるアウトドアが魅力ですね。
そして、そこに暮らす人々の心のあたたかさも。」とおっしゃっていました。
コロナ禍でガイド業もできず、現在は大学で別の仕事をなさっています。コロナがかえた世の中の流れ、動きの中で今後を模索した方々が多いと思います。
上村氏も同じく、様々なことを考えたそうです。未だ、答えは出ていないとおっしゃっていましたが。
ユーコンでのゲル暮らしも最終ステージに入った感じと。そもそも極北での暮らしをしたいと選ばれた土地。
今後のもう一つの目標が半自給自足の生活。そのために他の土地に移る可能性もあるそう。
「おそらく今年1年はユーコンにいると思いますが、来年はどこにいることになるのか?まだ決まっていません。もしかしたらユーコンにいるかもしれないし・・・」
次のステージはおそらくカナダの他のどこか、もしくは北海道道東の可能性も・・・ありそうです。
生きていく上で何を価値観とするのか?人によってそれは違います。何を幸せと感じるか?何が生きがいとなるのか?
コーナー出演は終わっても彼とは繋がっていく予定です。また、何か変化があったら番組内でもご紹介できればと思っております。
この場をお借りして本当に長きにわたり支えていただいた上村知弘氏にあらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。今回も彼オススメのご自身の写真から。。
※写真は上村知弘氏からお借りしました。
1.jpg2.jpg3.jpg
4.jpg5.jpg