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目のない白いカニ ユノハナガニ発見秘話(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1海形海山の海底に生息するユノハナガニ.jpg写真2最初に見つけた時の野帳の記載.jpg写真3採取するために使用したドレッジr.jpg写真4採取直後のユノハナガニr.jpg写真5公開した時のチラシ.jpg
ユノハナガニは、深海の温泉、熱水活動域に生息する甲羅の幅が5cmぐらいで、全体が白か薄いピンク色のカニ。深海で暗いため目が退化して無くその部分が窪んでいて、正面からみると強面のカニ。満澤氏の把握する範囲では、小笠原海域、その南のマリアナ海域、沖縄トラフ、北フィジー海盆やニュージーランド沖、大西洋の熱水活動域でも同属のカニが確認されているそう。
ユノハナガニを発見したのは1987年6月3日、海外ではその10年前の1977年にガラパゴス諸島沖で海底の熱水活動が初めて確認されていたそうです。日本の周辺でも海底熱水活動の調査が実施され、その発見が期待されていた時期。熱水活動の存在の可能性のある海域として、背弧海盆として海底が拡大している沖縄トラフと伊豆小笠原海域の海底火山が候補となっていたそう。「当時、私はその両方の海域で実施されていた複数の調査航海に参加、年間100日ぐらい船に乗っていました。」
ユノハナガニを見つけた航海は有人潜水調査船「しんかい2000」とその母船「なつしま」による伊豆小笠原海域の深海調査。ただ、見つけたのは「しんかい2000」ではなかったそうです。「私自身は海底火山周辺の海水温の分布や、海底の流れの計測が目的で母船「なつしま」に乗船していました。調査していた場所は、西之島の南約60kmの海形海山という海底カルデラ。すでに数回、地形や地質調査の調査が「しんかい2000」で実施。熱水活動は見つかっていなかったとおっしゃっていました。
最終調査日は天候の関係で「しんかい2000」の潜航ができなかったため、母船「なつしま」に搭載されていたディープトゥ・カメラを使いカルデラ内の中央火口丘周辺の調査を実施することに。海底の映像を船上でリアルタイムでみることができるので、海底の崖などを観察しながら中央火口丘に近づき、海水の濁りが確認され、周辺に熱水が出ているのではないかと期待していた時に、岩の間に小さいカニの死骸のようなものが見えたので、「カニが腹をだして死んでいる」とつい口走ってしまった満澤氏。チームからは「そんなことがあるか、ははは」という感じで激しく笑われたそうです。この時の観察でも海水の濁りは確認されたものの、海底からの熱水湧出までは確認できませんでした。ディープ・トゥカメラはカメラを真下に向けた状態で、海底上2~3mから撮影するので良く見ていないと小さい生き物は見落としてしまいます。「ユノハナガニは薄い灰色の岩の隙間にいたので、見にくかったのですが、真っ白でカニの形をしていたので「腹を出して死んでる」ように見えたのです。私としては確かにカニの死骸と確信し自信があったので、調査終了後、すぐに映像を再生して皆で確認したところ、白い腹をだして死んでいるのではなく、白いカニが動いていて、良く見ると複数いることが確認できました。」日本の周辺で初めて熱水性の生物が確認された時の出来事です。
翌1988年5月に「しんかい2000」で潜航した際に、この周辺では岩のすきまから熱水が湧出していることが確認されたそうです。この時も残念ながらカニを採取することはできませんでした。ただ、同じ年の8月に海洋調査船「かいよう」での調査航海で、ディープ・トゥカメラの下にドレッジという海底の岩石を採取する装置を使ってカニの採取に成功。「確か10匹以上は採れたと思いますが、水深が450mぐらい、生きているカニも複数いたので、生きているカニはバケツで飼育しました。」
発見した満澤氏が飼育を担当することとなり、船員さんのアドバイスを受けながら航海中飼育を続けたそうです。「このころJAMSTECの船は日本水産系の会社が運航していたため、カニのことは皆さん非常に詳しく、雄雌の見分け方などもこの時に教えてもらいました。生息していた海底付近の海水温度が約12℃だったので、それぐらいの水温になるように氷でバケツを冷やし、船の賄さんに餌としてすすめられたイワシの切り身を与える等調査航海中世話をして、なんとか3匹活かして横須賀のJAMSTEC岸壁に帰港しました。」当時、JAMSTECには生物の飼育設備がなかったため、近くの京急油壷マリンパークに頼み飼育してもたったそうですが、しばらく活きていて、日本で初めての熱水性生物の一般向け展示も実施。この時は、まだ名前がなかったため「目のない白いカニ」と呼んでいたそうです。その後、名前を公募、温泉の湯の華のように白いカニという意味でユノハナガニという名前がついたそうです。
その後、新種として記載され、今ではJAMSTECでも研究のため飼育し、新江ノ島水族館などでも飼育展示されているそうです。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真上(左)は海形海山の海底に生息するユノハナガニ(「しんかい2000」で撮影)
・写真上(真ん中)は 最初に見つけた時の野帳の記載
・写真上(右)はユノハナガニを採取するために使用したディープ・トゥカメラ用のドレッジ
・写真下(左)は採取直後の写真
・写真下(右)は京急油壷マリンパークで公開した時のチラシ(公開時のチラシ。同館は2021年9月30日に閉館。)
参考:https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/project/3D/index.html(東京大学大気海洋研究所のサイト「ユノハナガニ」はタイトルのすぐ右にいます。)

2023.0915 O.A 「引越し完了!!」 [varied stories]

鈴木雅章さん(翻訳者・ライター)

「先月、引っ越しました。約2年半ぶりの引っ越しです。これまではタウンハウスに住んでいたのですが、今回はハウス、一戸建てです。」
タウンハウスは、日本語では連棟住宅と言うそうで、建物構造が一体となった2戸以上の住宅のこと。外から見ると屋根や壁の全部または一部が繋がっている建物。
新しい家は、前の家から歩いて15分ほどの隣町。以前はイーストゴスフォードという町、現在はポイント・フレデリックという町。
ブリスベンウォーターという河口に突き出た小さな半島に位置しているそうです。セントラルコーストでは最も古い地域の1つとか。
半島部分の突き当りに「パイオニア・パーク」という名前の公園があるそう。名前の通り、開拓者の公園で、公園内に小さな墓地があるのが特徴と鈴木氏。
最も古い墓石は1840年代のもので、日本は江戸時代。最も新しい墓石は1953年のものだそうです。
1974年に再建され、1977年にパイオニア・パークという名前になったそうです。
「たまたまなのですが1階部分がガレージで2階部分に居住空間があるという造りは、前の家と同じ。2階に玄関があるのですが、そこからはウォータービューというか、ブリスベンウォーターが見渡せます。日の出が見えるのが素晴らしいですよ。 」
今回のお家は賃貸。オーストラリアと日本の賃貸方式は少し違いがあるそう・・・。 まず、賃貸住宅から引っ越しをする場合、オーストラリアだと「2weeks notice」といって、通常は退去日の2週間前までに不動産屋さんに通知する必要があるそうです。通知を受けた不動産屋さんは次の借り手を探すために広告を出し、インスペクションという、日本でいえば「内見」の日が設けられます。例えば、土曜日の午前11時から11時半まで等と設定されウェブ広告が出るそう。
見たい人は誰でも見ることができます。このインスペクションは、住居に人が住んでいてもやるので、きれいに片づけておく必要があるそうです。
さて、家賃ですが、日本は月払いというイメージですが、オーストラリアは週払いが基本。これはオーストラリアの給与が週給制、つまり週払いが基本であることと関係があるとおっしゃっていました。 ちなみに週給の場合、給料の支払日は毎週木曜日と決まっていて、この日はショッピングデー、普段は午後5時で閉まる店も9時とか遅くまでやっているそうです。
また、日本では住宅を借りる場合、敷金・礼金がだいたいありますよね。敷金は保証金で、退去後に返金されるのが普通だと思います。礼金は大家さんに支払うお礼なので戻ってきません。 オーストラリアの場合、礼金はないそう。ただ、Bondという敷金と同じようなものがあり、これは通常、家賃の4週間分。退去後には「原状回復費用」を除いて返金されるそうです。 「これ自慢なんですが・・・オーストラリアに来てこれまで10回以上引っ越しをしましたが、Bond、敷金がすべて全額返ってきました。それだけ一生懸命掃除をするからなのですが。。。」
※写真は鈴木雅章氏からお借りしました。
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