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kingdom of print arts [close to you <art編>]

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北海道立帯広美術館のコレクションを構成する大きな柱の一つにプリントアートがあります。
広義でのプリントアート。もちろん版画もあり、抽象作品的なものもあり。
木版画は板目木版と木口木版の2種に分けられます。それぞれの特徴で出来上がる作品は変わります。
ほかには銅版画、フロッタージュと呼ばれるこすり出し、そしてステンシル等。
プリントと呼ばれるものにはどんなものがあるのか、その技法による違いも理解できる内容になっています。
例えば、根室出身の岡部昌生。建造物の壁や床、路上を題材に地域の近現代の記憶や過去に暮らした人々の営みを浮かび上がらせるフロッタージュ作品。
同じく根室出身の池田良二。写真を転写した原版で刷る銅版画、エッチング技法による作品からは深い記憶の底に誘うような叙情的なイメージが感じられる作品。
島根出身の小林敬生。緻密な線と白黒の色彩だけで世界を表現する木口木版の作品。
おびただしい数の動植物や化石が密林や廃墟の中に密集した構成を特徴とする存在感溢れる作品。
他にも見応え抜群の大作が並びます。一言でプリントアートというには広すぎる感じの版の世界。あえて王国というタイトルをつけたあたりに注目です。
※尚、写真は北海道立帯広美術館 福地大輔氏からお借りしました。
(版の王国展は9/26まで北海道立帯広美術館で開催中)

2021.0811 O.A 愛知県がんセンター 名誉総長 大野竜三氏&杉元内科医院 副院長 杉元啓二氏~2~ [close to you <dr.編>]

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実家が薬屋さん。薬学部に進むものと漠然と思っていたそうですが、お父様から「医療関係に進むなら医者に!」と勧められ医学の道へ。
さらに高校1年生の時急性腎炎になり、その時の治療が学校を休んで寝ていることと、スイカを沢山食べて尿を出すこと。そこに不信感をもったこともあり、
医学を勉強するのも悪くないと思い、名古屋大学医学部を受験なさったそうです。当時、卒業後は1年間インターンとして病院に勤務した後、各大学の医局に入局するという仕組みだったそう。聖路加国際病院で1年間実地修練。その時、聖路加病院から歩いて10分位の場所に開設されたばかりの国立がんセンターがあり、時々見学を兼ねて訪ねていたそうです。当時、がんセンターの内科系部長が名大第一内科出身の木村禧代二先生。その活躍ぶりをみて純粋に「格好いいな」と憧れたのが、血液内科へのきっかけになったそうです。その後アメリカに3年留学なさいます。ワドレー研究所勤務の最初は言葉に苦労なさったと教えてくださいました。1日おきに宅直でのon call 。
ただでさえ直接話してもコミュニケーションが困難な状態。分かったような返事をして急いで病院に駆けつけ、改めて直接話を聞いてから対処するということが続いたそうです。その時は今考えると鍛錬の時期だったと。その後MDアンダーソンへ。日本の医療と世界の医療の違いをまざまざと見せつけたれたそう。
アメリカでの経験・知識が日本へ戻ってからの原動力へと繋がります。日本へ戻り名大第一内科第三研究室で白血病の診療と研究に明け暮れる日々が続きました。
日本の遅れを取り戻すには日本でも全国レベルの共同研究グループを作らざるを得ないとJALSGを発足することに。1987年4月に14施設に夜JALSGが組織され、
その参加施設数はどんどん増えて行きました。組織の拡大がもたらした功績の一つに日本全国の白血病治療レベルを向上させたことが挙げられます。
当初からエビデンス創生を目指した臨床研究を進めてきたのです。
「最近心配しているのは、白血病の臨床研究も含め、日本の医学研究・科学研究が下火になりつつあること。臨床は世界レベルなんですよ。
でも優秀な人材だけではなく、組織力、財政力、システム力が必要なんです。世界が注目し、評価する臨床研究の成果を日本から発信していくことを望んでいます。」