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2022.0602 O.A 洋楽 [chord 5]

・Sleeping In My Car / Roxette
・Just Missed The Train / Trine Rein
・Now And Forever / Richard Marx
・Stay / Eternal
・Gaia / Valensia
~今回の洋楽編、’93~’94のヒット曲 特集です。
セレクトはToshi氏。今回の出演は、Toshi氏&midoriでお送りします。

生物で季節を観測(中山 雅茂編) [fun science]

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5月8日(日)の夜のニュースで、「釧路市で全国最後のサクラ開花 4か月かけ桜前線がゴール」という話題がありました。
4ヶ月かけて・・・ということで、調べてみると、沖縄気象台で1月11日に桜が開花されたことが観測されていたと中山氏。
沖縄気象台のホームページには『「うめ」「さくら」は前年12月に開花することがあります。』と書かれているので、お正月に桜が開花していることもあるという事。
日本列島は、南北に長いので、南から北にかけて少しずつ季節の変化が移り変わり、それにあわせて生物も活動し始めます。
その様子を、気象庁は「生物季節観測」として取り組んでいます。「この観測結果から季節の遅れや進み、気候の違い、変化など総合的な気象状況の推移を知ることを目的としている観測です。地球観測の一つの方法と言っていいですね。」
観測項目は、対象としている植物は現在、6つ。日本全国に広く分布していて、一般の方々の関心が高い生物を対象としています。
「あじさい」「いちょう」「うめ」「かえで」「さくら」「すすき」観測する現象も、目的に応じて、それぞれの植物ごとに決まっているそうです。
「さくら」は、「開花」「満開」の現象を捉えることになっています。「開花」対象とする植物の花が数輪以上開いた状態。
観測基準となる輪数は多数の花が咲く種目は5~6輪、それ以外の種目は2~3輪。「さくら」は、標本木に5~6輪の花が咲いた日を開花日とする。
なお、胴咲き(枝ではなく幹や根から咲く)による開花は、通常の開花とは異なるプロセスによると考えられることから含めない・・・と。
そして、「満開」は咲き揃ったときの約80%以上が咲いた状態のこと。
このような植物の現象を捉えることで、季節の変化を見ています。観測する上での様々な決まりは気象庁が「生物季節観測指針」という文書にまとめて公開しています。
その中に、「地球温暖化等の監視や100年単位での気候解析等に活用されている「さくら」「いちょう」及び「かえで」」という文書があります。
植物の花が咲く現象などを観測し続けることで、地球温暖化監視や100年単位の気候の研究にも役立っているのです。
釧路の桜ですが、釧路地方気象台で、桜の開花の統計開始が1972年(昭和47年)からとなっているそう。
1972年は5月7日が開花日で記録2位。1位は2015年の5月6日。釧路の桜の「開花」については観測データが約50年分あるそうで、中山氏はグラフにしてみたそうです。
この50年間の平均値として5月16日が釧路のさくら開花日。でも2014年以降は5月15日よりも早く開花していると・・・。
「この傾向が続けば、釧路もゴールデンウイークの後半には桜の開花を楽しむ様になるかもしれませんが、それは地球温暖化が進んでいるという見方もできるかも
しれません。どちらにしても今後の変化が気になるところです。」

湖を研究する〜透明度2〜(尾山 洋一編) [nature treasure]

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今回は透明度に関する第2弾。まずは湖が濁ってしまう原因について。その原因は主に2つ。一つは川から土砂が入ってしまう場合。
雨が降ると川が濁ります。その濁った川の水が湖を濁らせてしまう場合。そして、もう一つの原因は、湖のなかで植物プランクトンが増えてしまう場合。
川などから栄養分が湖に流れ込むと、それを利用して植物プランクトンが増えます。なので、透明度は湖の栄養度の目安として使われる場合があるそうです。
つまり、栄養度の低い湖は透明度が高く、栄養度の高い湖は透明度が低いという傾向があるのです。
【阿寒湖の透明度の変化 ステージ1:大正末期まで】阿寒湖の透明度の変化は、大きく分けて3つのステージがあるそうです。
最初に透明度が測定されたのは、今から100年以上も前の1917年。その時の透明度は9m。その20年後の1935年頃には、透明度が7m程度にまで減少しました。
1917〜1935年までの間に透明度が減少した原因は、おそらく、河川からの土砂流入の寄与が大きかったと尾山氏。
【阿寒湖の透明度の変化 ステージ2:昭和】阿寒湖の透明度は更に低下し、1960年頃には2~4m程度になってしまいました。
なぜ土砂流入が減ったのに透明度が更に減少したか?この期間に植物プランクトンが増えたためと考えられています。
阿寒湖は1950年頃から観光客が増え始め、温泉街では宿泊施設やそこに暮らす人たちも短期間で増加。当時は生活排水をそのまま湖に流していました。
生活排水には植物プランクトンを成長させる栄養分がたくさん含まれているので、結果として湖の植物プランクトンが増え透明度が大きく減少したのです。
【阿寒湖の透明度の変化 ステージ3:平成~現在】1980年頃に下水道が整備されたことで、生活排水が湖に流れ込まなくなります。
2000年頃まで阿寒湖の透明度は3~4m程度で推移するようになりました。現在は、4~6mの範囲で推移していて、2010年には観測当時の1917年と同じ9mという値が
記録されたそう。つまり近年は透明度が回復傾向にあるということ。下水道が整備され栄養が流れ込まなくなった事に加え、川から綺麗な水が供給され、
湖の栄養分が徐々に薄まり植物プランクトンが減った為と考えられているそうです。
「透明度はとても簡単に測定できる方法ですが、湖の環境の変化を追跡することもできるとても便利な指標です。透明度に限らず、湖の調査で大事なのは、
長期間、根気強く同じ測定を継続することです。そうすることで、未来の人たちに過去の湖の状況を伝えることができるということなのです。」
※写真は尾山洋一氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/7ImGys4ZD9bSqLfNv9RNie