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2022.0825 O.A 洋楽  [chord 5]

・Speak To Me〜Breathe / PINK FLOYD
・Time / PINK FLOYD
・The Great Gig In The Sky / PINK FLOYD
・Money / PINK FLOYD
・Us And Them / PINK FLOYD
・Brain Damage / PINK FLOYD
~今回の洋楽編、PINK FLOYD特集です。
セレクトはToshi氏。今回の出演は、Toshi氏&midoriでお送りします。

魚種交替〜2:釧路周辺で水揚げされる浮魚(黒田 寛編) [fun science]

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釧路で水揚げされる代表的な浮魚類の魚種交替について。浮魚は海面付近で生活する魚の総称で、対照的な言葉として海底付近で生活する底魚という総称もあります。
浮魚は、例えば、イワシ類やニシン、サンマ、サバなど、底魚はマダラ、スケトウダラなど。
釧路周辺の魚種交替については、前回のマイワシーカタクチイワシの関係と比べると複雑、なぜ複雑な魚種交替が生じているのかは未だよくわからないことだらけと。
その理由としては、魚が水揚げされる釧路の海の状態だけではなく、彼らが生まれる海域、 多くは日本南岸沖の黒潮域の海の状態によっても影響を受けたり、
あるいは、人間の漁獲による影響を受ける魚種もあるからだそうです。ですから今回は、複雑な魚種交替のメカニズムではなく、釧路で水揚げされる浮魚の明治時代
から最近年までの魚種交替について事実を中心に漁業の歴史と共ににお話ししていただきました。
1890年代(明治20年代)頃。当時、道東で浮魚といえばニシン。道東でも沢山獲れていました。明治30年頃から道東では、初夏にもニシンが獲れていたという記録が。
大正時代に進みます。動力船時代に入り、まず始まったのがクロマグロ。当時は本州から伝来した流網で漁獲された記録があると。さらに、昭和の初期の漁獲量の多い年には、1万トンを超えるマグロが水揚げされました。「マグロの釧路か、釧路のマグロか」と言われた時代です。ただ、昭和10年頃を境にぴたりと獲れなくなってしまいます。
昭和の初期から昭和14・15年あたりまでは、マイワシが獲れたようです。しかし、漁獲量も大して多くなければ、長続きもしなかった…。
さらに、昭和14・15年あたりから昭和20数年まで(第二次世界大戦前後間)、釧路周辺での浮魚の水揚げが途絶えてしまいます。
戦後の昭和24・25年頃、一瞬だけですが多く獲れたのがサバ。釧路水産業の沿革にも「サバ旋網未曾有の好漁で釧路水産界が活況」と記されているそうです。
その後、それに続いたのがサンマとスルメイカでした。ただし、サンマは昭和35年頃から低迷の時代に入り、さらにスルメイカも少し遅れて減少し始めました。
ちなみに、昭和44年がサンマが大不漁年。最近年まではこの年の水揚げ量がワースト1でしたが、令和元年以降このワースト記録が毎年の様に更新されています。
一方、昭和40年代、サンマとスルメイカが減り、それに代わり一気に増えたのがサバ。釧路管内で20万トン獲れるような年もあったそう。
しかし、そんな豊漁も長くは続かず、昭和50年代に入るとぴたりととれなくなります。
昭和50年代後半、マイワシ大爆発の時代がやってきます。釧路管内の一夏でマイワシが100万トン以上、漁獲された年も・・・。ただ、この爆発したマイワシも、
昭和から平成に移る頃、ピタリと獲れなくなります。マイワシ資源の大崩壊として有名な事実。
さて、平成の時代、安定して獲れたのがサンマ。これに加えて、スルメイカも少ないなりにも安定して獲れていました。
しかし、平成から令和になる頃、スルメイカやサンマが獲れなくなり、再び獲れ始めたのがサバとマイワシになり現在に至っています。
「天然の魚を漁獲する以上、今ある資源を大切に利用していくことで、持続可能な水産業SDGsにつながっていって欲しいと思います。現在はマイワシが沢山獲れるので、
是非マイワシを食べて下さい。簡単なことですが、これも釧路市民ができる持続可能な開発目標(SDGs)への貢献です。また、マイワシを美味しく食べること
=Sardine De Gurumets(サーディーン・デ・グルメ)と書けるので、SDGsの輪がもっともっと、この釧路の街から日本中に広がることに期待しています。」
※写真は黒田寛氏にお借りした資料です。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/5EpHoP33Cz98bi6SsNQk5W

分類学からサンショウウオを考える(照井 滋晴編) [nature treasure]

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分類学とは、「生物を分類することを目的とした生物学の一分野であり、生物を様々な種類の特徴によって分類し、それらの種にどのような関係があるか調べ、
それを体系的にまとめ、生物多様性を理解するもの。」です。
要するに、あのサンショウウオとこのサンショウウオはとても似ているけれど、実は違うのでは?ということを、分布(どこに生息しているか)や形態的な特徴、
生活史、遺伝的特徴などの違いから明らかにしていたりしています。 その様な分類学的な研究の成果により、日本のサンショウウオについても似たような見た目だけれども実は何種類もいるのだということが段々と明らかにされてきました。
ちなみに、現在日本には2022年7月の時点では、在来のサンショウウオが全部で47種が確認されています。狭い国土の中にこれだけの種がいるのは世界的に見ても稀と。
なぜ狭い国土の中に47種ものサンショウウオがいるのか?という理由ですが、まず第一に日本が縦に長い国だというのが挙げられます。
その違いがサンショウウオの生態などにも影響し、その地域によって種が分かれていったと考えられます。 また、同じ地域であっても、低地から高山まで、河川から湿地
まで様々な環境があることも理由の一つです。 その他、地理的な歴史も関係しています。
サンショウウオの仲間は、人間が日本のあたりに入ってくるよりも、もっと昔から存在しています。 その頃は日本も今の形ではなく海も山も位置や形が違っていました。
ただし、47種もの種がいたという事が昔からわかっていたわけではありません。 今から約10年前の2013年には日本産のサンショウウオは24種といわれていました。
では、この10年ほどで、今まで誰にも見つかっていなかったサンショウウオが20種以上もこの狭い日本の中から見つかったということかというとそうではありません。
それは、2013年までに確認されていた種に複数の種が混ざっていたということが明らかになったということなのです。こういった種を「隠蔽種」というそうです。
実は、つい先日も関東方面に分布するサンショウウオで新しい種が発表されており、日本のサンショウウオはまだまだ増えていきそうな気配とおっしゃっていました。
では、北海道にいるエゾサンショウウオとキタサンショウウオは今後複数の種に分けられる可能性があるのかということも気になるのではないかと思います。
「私も気になったので、先日のシンポジウムの際に京都大学の西川さんに聞いてみたのですが、北海道にいるサンショウウオは分かれなさそうということでした。
とはいえ、もしかすると大雪の山奥や、釧路湿原の奥地には未知のサンショウウオがいるかもしれません。 自分では探しにいく気力がないので、
誰かが見つけてくれないかなと期待しています。 」
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/09zvoFDY7WZzMn6tj9HFB1