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Into the world of looking get stuck in [close to you <art編>]

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IMG_5365.jpgもう見立ての世界を体験なさった方が多いと思います。
はまってしまって、台所のスポンジが・・・普段使っている文房具が・・・あの食べ物が・・・
気になって仕方がない方もいらっしゃるかもしれません。
私たちの脳に刺激を与えてくれた田中達也氏。「ちょっと視点を変えてクスッとしてみて・・・」とおっしゃったかどうかは不明ですが、そんな彼の声が聞こえてきそうです。
そのものズバリのタイトルもありますが、ちょっとひねったものや、アイロニーめいたもの、
タイトル含めての作品だと思います。
まだ、ご覧になっていない方にはぜひ一度この世界を体験してみていただきたい内容です。
そして、はまってしまった方にもまた足を運んでいただきたい展覧会です。自分の気持ち次第で変わって見えてくることもあるハズ・・・。
「スポンジの前でじ〜っと立ってご覧になっている方を遠くからみると、とてもそれがシュールでなんとも言えなかったです。だって、スポンジと一緒にある人形が
見えないから、ただスポンジをじっくり眺めている様にしか見えないんですもん。」とは武束氏。
いろいろなことを考えさせてくれる田中達也ワールド、私は刺激をたくさんいただきました。
introductionに彼の伝えたいことが凝縮されていると思います。
(ミニチュアライフ 田中達也 見立ての世界は9/11まで釧路市立美術館で開催中。)


2022.0831 O.A 釧路赤十字病院 内科 古川真氏 ~2~ [close to you <dr.編>]

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今回は糖尿病について。糖尿病というと甘いものというイメージですが、糖分は体の中のエネルギーそのもの。車で言うところのガソリンみたいな役割をしています。
これがないと人間は動くことができない。脳の神経はブドウ糖しかエネルギーにする事ができないのです。食べ物を食べた時に必要な糖分を体の中に吸収して使うまでの
間を糖代謝と言います。食べ物を食べている瞬間から栄養をいかに取り込むかを体の中でやっていく仕組みができているのです。胃の中はミキサーみたいな感じで消化したものを腸へ送る。そこで膵臓が出てきます。これは特殊な臓器で一部は消化酵素のアミラーゼやリパーゼといったさらに消化する酵素が流れてきて、分解。最終的には糖分の一番小さい物質であるブドウ糖にします。ブドウ糖まで分解すると膵臓からインスリンというホルモンが出てきます。
それがブドウ糖とくっつき栄養素として体の中、血液中にとりこまれます。最初に肝臓に入ります。そこで何をするかというと貯金をするのです。
肝臓は糖分の貯蔵庫。食べたものの半分位は肝臓で貯金されます。蓄えたグリコーゲンは食べていない時は、貯金を切り崩して使います。
膵臓からはインスリンとグルカゴンという2種類のホルモンが出てきます。かたや血糖値を下げる、肝臓に貯金をしたり、細胞で使う時に必要なインスリンホルモン。
グルカゴンは、貯金したグリコーゲンをおろす時に使う。血液中に足りなくなった糖分をグリコーゲンからブドウ糖に戻して血液中の糖分の濃度を一定にします。
そうする事により低血糖にもならず、極端に血糖が高くなりすぎにもならない様に常に一定のブドウ糖濃度になるような体制を整えているということ。
「糖尿病という名前自体が病気の正確な状態を表している名前ではないと思うのです。僕が名前をつけるとしたら、糖代謝失調症。」
ご飯を食べていない時の血糖値は100はいかない。血糖値100mg/dL。1dLは100cc。100ccの中に100mg、0.1gの糖分が入っているということ。
健康な時の血糖値はだいたい100mg/dL プラスマイナス30〜40位。下は70、上も130~140位だそうです。
人間の体は一つの精密機器ととらえ、一つのことではなく、全体を大事にしてメンテナンスをする事が大事。そのメンテナンスが検診や、病院で検査を受けたりする事。
糖尿病は予備軍を含めとても増えている病気。この原因は何なのでしょう。「実は食べ物、カロリーは昔からそんなに変化していないらしいです。何が違うかというと
動いていない。動物なのに動いていない。運動というのではなく、体を動かしていないということです。」
身体は全体で考えないといけない・・・21世紀の医学はシステムの医学だと古川氏。体の中で連鎖していることを考えていないといけないと。
人間の体も医療も繋がらないといけない。内部がネットワークで出来上がっている以上、それを見守る医療もネットワークとしてつながって全体として健康を守るという
考え方になっていかないといけないのでは?とおっしゃっていました。

コミュニケーション能力(Chris Knoepfler編) [varied experts]

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今回は、コミュニケーション能力についてChris氏が感じたことを含めて伺いました。
まず、2009年から5年間務めたALTの経験から。感じたことはゲームや歌ばかりで、コミュニケーション重視とは言えない、目標がはっきりしていないということ。
現在はコミュニケーションの意義、英語を使って何ができるか(CAN-DO)に重きがおかれているそうで、小学校英語にも変化が出てきたそうです。
そもそも、コミュニケーション能力の定義ですが、4つほどあげることができると。
まず、文法的能力。これは言わずもがなのいわゆる学校で教わる文法的なこと、語彙など。
次に、談話能力。こちらは会話を含めて、話の流れを整理して書く、話す、統一感。
次に社会言語能力。いわゆるTPOに合わせて会話をすること。例えば、”let’s be friends” “Do you have a pen” “また今度ね”
この「let's be friends」はそのまま訳すと「友達になろう」ですが、男性が女性に話した時、女性がそれに応えてそう言った場合、
「友達でいましょう」「わかれましょう」という場合も考えられます。
最後に方略的言語能力。目標を達成するための工夫が必要と。誤解がネイティブスピーカー同士でもよくあるそう。ですから乗り越える力が重要になるのです。
ALTの経験で、ある中学生と話した時に「What did you do last weekend?」と聞くと、「・・・I studied」とだいたいの生徒が返してくるそう。
一問一答式で、会話のキャッチボールにならないと。もちろん色々な理由が考えられます。例えば、言葉が出てこないとか恥ずかしいとか。
文法的に過去形だから・・・過去形で答えなければならないとか。
「会話は共同作業だと思うんですよね。もちろん文法も重要ですが、もっと楽しんで会話を膨らませたい、僕はそう思っているんですが、なかなかうまくいかない。」
やはり、間違うことを怖がらずに自分が話したいことを口にしてみる。会話を楽しむことができるようにお互いに工夫しなければならないのだと感じました。
もちろん、これは英語に限らず、日本語同士でも同じことが言えるのだと思います。

2022.0826 O.A 「撮影に便利な無料アプリ(気象編)」 [varied stories]

逸見光寿さん(写真家)
https://coju.info/

今回は撮影に必須のスマホアプリのお話し・・・気象編です。「風景写真を制す者は、天候を制すというくらい・・・重要なんです。」と逸見氏。
天候を知るのは基本ですが、それだけでは良い写真は撮れないのです。
例えば、日の出、日の入り。太陽の位置。風の強さ。(草木は?水面は?また強風だと長時間露光が難しい等)海辺の撮影なら、干満時間、潮位、波の高さは必須と。
そのために逸見氏が便利と思えるアプリについて教えてくださいました。以下は逸見氏のアプリを使っての感想です。
1:ウエザーニュース
・天気予報はアプリによって予報が様々なので、複数のアプリで確認するのが基本。
・ウエザーニュースは一番当たる感じがする。それでも北海道では外れることも・・・
・アプリが見やすい。特に雨雲レーダーが便利。
・有料版はかなり細かく見られるようだが、無料版でも十分。
2:タイドグラフBI
・釣り用のアプリ。潮位を確認するのに便利。
・かなりピンポイント(釣り場)で潮位を確認できる。マイポイントを登録できる。
・一画面で干満時刻、潮位、日の出日の入り、天気、気温、雨量、風向風速、波の高さが確認できるので見やすい。
・無料版だと、その月しか見られないのが残念。翌月以降はPCなど他のツールで確認。
3:サン・サーベイヤー
・太陽の位置を確認するアプリ。どこから日が昇り、どこへ日が沈むのかを確認できる。
・有料版だとARで画像を見ながら太陽の位置を確認できるので、シビアなロケハンが求められる場合は有料版もアリだと思う。
4:太陽の場所と軌跡
・地図上に太陽の軌跡を表示できるアプリ。
・ロケハン前に、おおよその見当をつけるのに便利。
「昔は苦労したことが、無料のアプリで簡単にわかったり、とても便利です。もう使わない手はないですね・・・。」
※写真は逸見光寿氏からお借りしました。
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2022.0825 O.A 洋楽  [chord 5]

・Speak To Me〜Breathe / PINK FLOYD
・Time / PINK FLOYD
・The Great Gig In The Sky / PINK FLOYD
・Money / PINK FLOYD
・Us And Them / PINK FLOYD
・Brain Damage / PINK FLOYD
~今回の洋楽編、PINK FLOYD特集です。
セレクトはToshi氏。今回の出演は、Toshi氏&midoriでお送りします。

魚種交替〜2:釧路周辺で水揚げされる浮魚(黒田 寛編) [fun science]

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釧路で水揚げされる代表的な浮魚類の魚種交替について。浮魚は海面付近で生活する魚の総称で、対照的な言葉として海底付近で生活する底魚という総称もあります。
浮魚は、例えば、イワシ類やニシン、サンマ、サバなど、底魚はマダラ、スケトウダラなど。
釧路周辺の魚種交替については、前回のマイワシーカタクチイワシの関係と比べると複雑、なぜ複雑な魚種交替が生じているのかは未だよくわからないことだらけと。
その理由としては、魚が水揚げされる釧路の海の状態だけではなく、彼らが生まれる海域、 多くは日本南岸沖の黒潮域の海の状態によっても影響を受けたり、
あるいは、人間の漁獲による影響を受ける魚種もあるからだそうです。ですから今回は、複雑な魚種交替のメカニズムではなく、釧路で水揚げされる浮魚の明治時代
から最近年までの魚種交替について事実を中心に漁業の歴史と共ににお話ししていただきました。
1890年代(明治20年代)頃。当時、道東で浮魚といえばニシン。道東でも沢山獲れていました。明治30年頃から道東では、初夏にもニシンが獲れていたという記録が。
大正時代に進みます。動力船時代に入り、まず始まったのがクロマグロ。当時は本州から伝来した流網で漁獲された記録があると。さらに、昭和の初期の漁獲量の多い年には、1万トンを超えるマグロが水揚げされました。「マグロの釧路か、釧路のマグロか」と言われた時代です。ただ、昭和10年頃を境にぴたりと獲れなくなってしまいます。
昭和の初期から昭和14・15年あたりまでは、マイワシが獲れたようです。しかし、漁獲量も大して多くなければ、長続きもしなかった…。
さらに、昭和14・15年あたりから昭和20数年まで(第二次世界大戦前後間)、釧路周辺での浮魚の水揚げが途絶えてしまいます。
戦後の昭和24・25年頃、一瞬だけですが多く獲れたのがサバ。釧路水産業の沿革にも「サバ旋網未曾有の好漁で釧路水産界が活況」と記されているそうです。
その後、それに続いたのがサンマとスルメイカでした。ただし、サンマは昭和35年頃から低迷の時代に入り、さらにスルメイカも少し遅れて減少し始めました。
ちなみに、昭和44年がサンマが大不漁年。最近年まではこの年の水揚げ量がワースト1でしたが、令和元年以降このワースト記録が毎年の様に更新されています。
一方、昭和40年代、サンマとスルメイカが減り、それに代わり一気に増えたのがサバ。釧路管内で20万トン獲れるような年もあったそう。
しかし、そんな豊漁も長くは続かず、昭和50年代に入るとぴたりととれなくなります。
昭和50年代後半、マイワシ大爆発の時代がやってきます。釧路管内の一夏でマイワシが100万トン以上、漁獲された年も・・・。ただ、この爆発したマイワシも、
昭和から平成に移る頃、ピタリと獲れなくなります。マイワシ資源の大崩壊として有名な事実。
さて、平成の時代、安定して獲れたのがサンマ。これに加えて、スルメイカも少ないなりにも安定して獲れていました。
しかし、平成から令和になる頃、スルメイカやサンマが獲れなくなり、再び獲れ始めたのがサバとマイワシになり現在に至っています。
「天然の魚を漁獲する以上、今ある資源を大切に利用していくことで、持続可能な水産業SDGsにつながっていって欲しいと思います。現在はマイワシが沢山獲れるので、
是非マイワシを食べて下さい。簡単なことですが、これも釧路市民ができる持続可能な開発目標(SDGs)への貢献です。また、マイワシを美味しく食べること
=Sardine De Gurumets(サーディーン・デ・グルメ)と書けるので、SDGsの輪がもっともっと、この釧路の街から日本中に広がることに期待しています。」
※写真は黒田寛氏にお借りした資料です。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/5EpHoP33Cz98bi6SsNQk5W

分類学からサンショウウオを考える(照井 滋晴編) [nature treasure]

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分類学とは、「生物を分類することを目的とした生物学の一分野であり、生物を様々な種類の特徴によって分類し、それらの種にどのような関係があるか調べ、
それを体系的にまとめ、生物多様性を理解するもの。」です。
要するに、あのサンショウウオとこのサンショウウオはとても似ているけれど、実は違うのでは?ということを、分布(どこに生息しているか)や形態的な特徴、
生活史、遺伝的特徴などの違いから明らかにしていたりしています。 その様な分類学的な研究の成果により、日本のサンショウウオについても似たような見た目だけれども実は何種類もいるのだということが段々と明らかにされてきました。
ちなみに、現在日本には2022年7月の時点では、在来のサンショウウオが全部で47種が確認されています。狭い国土の中にこれだけの種がいるのは世界的に見ても稀と。
なぜ狭い国土の中に47種ものサンショウウオがいるのか?という理由ですが、まず第一に日本が縦に長い国だというのが挙げられます。
その違いがサンショウウオの生態などにも影響し、その地域によって種が分かれていったと考えられます。 また、同じ地域であっても、低地から高山まで、河川から湿地
まで様々な環境があることも理由の一つです。 その他、地理的な歴史も関係しています。
サンショウウオの仲間は、人間が日本のあたりに入ってくるよりも、もっと昔から存在しています。 その頃は日本も今の形ではなく海も山も位置や形が違っていました。
ただし、47種もの種がいたという事が昔からわかっていたわけではありません。 今から約10年前の2013年には日本産のサンショウウオは24種といわれていました。
では、この10年ほどで、今まで誰にも見つかっていなかったサンショウウオが20種以上もこの狭い日本の中から見つかったということかというとそうではありません。
それは、2013年までに確認されていた種に複数の種が混ざっていたということが明らかになったということなのです。こういった種を「隠蔽種」というそうです。
実は、つい先日も関東方面に分布するサンショウウオで新しい種が発表されており、日本のサンショウウオはまだまだ増えていきそうな気配とおっしゃっていました。
では、北海道にいるエゾサンショウウオとキタサンショウウオは今後複数の種に分けられる可能性があるのかということも気になるのではないかと思います。
「私も気になったので、先日のシンポジウムの際に京都大学の西川さんに聞いてみたのですが、北海道にいるサンショウウオは分かれなさそうということでした。
とはいえ、もしかすると大雪の山奥や、釧路湿原の奥地には未知のサンショウウオがいるかもしれません。 自分では探しにいく気力がないので、
誰かが見つけてくれないかなと期待しています。 」
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/09zvoFDY7WZzMn6tj9HFB1

Henri Matisse and Marie Laurencin [close to you <art編>]

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会場に入ってすぐ圧倒されるのが、苦悩と救済をテーマにルオーが心血を注いだ連作「ミセレーレ」全58点。
力強いタッチに目を奪われます。喜びや哀しみ、怒り・・・。直線に並ぶモノトーンの連作は穏やかでかつ美しくもあります。
ジョルジュ・ルオーは、フォーヴィスムに分類される19世紀~20世紀期のフランスの画家。
ルオーは、パリの美術学校でアンリ・マティスらと同期だったこともあり、フォーヴィスムの画家に分類されることが多いのですが、ルオー本人は画壇や流派とは
一線を画し、ひたすら自身の芸術を追求し続けた孤高の画家だったという記載があります。
その後広がる華やかなコーナーはシャガール。
ギリシャを舞台とした物語をモチーフにシャガールが夢とファンタジーを込めて描いた版画集「ダフニスとクロエ」等々。
そして、今回ご紹介いただいたのが、アンリ・マティスの「ポルトガルの尼僧の手紙」17世紀の尼僧の恋文をモチーフに見事な数の尼僧を描いています。
少ないもので10数本の線で、多くは20本に満たない線で描かれる尼僧の表情。
展示されている尼僧は14人と、思いきや実は1人なのです。その時々の表情を見事に少ない線で完成させる技術と感性はものすごい!の一言です。
ぜひ実物をじっくりと見比べて見てくださいね。
そして、マリー・ローランサン。柔らかいタッチとパステルカラーの穏やかな色彩の油絵で有名ですが、この版画の作品も一眼でローランサンとわかります。
色はついていません。でもローランサンなのです。どうしてなのでしょう、不思議です。男性と女性がそれぞれ描かれた作品。
同じ様な柔らかい優しいタッチなのに、それぞれが男性と女性とはっきりと分かります。版画を作成することで油絵にどんな表現を試みたかったのでしょう?
その時代に生きていたらお聞きしたいことがたくさんあるのに・・・と思った私です。
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(ヨーロッパ版画の花束は9/4まで北海道立釧路芸術館で開催中です。)

2022.0824 O.A 釧路赤十字病院 内科 古川真氏 ~1~ [close to you <dr.編>]

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古川劇場のはじまりはじまり〜ではないのですが、今回から3回に渡って血圧・糖尿病、ウイルスをテーマにお話ししていただきました。
まずは血圧ってなに?血管の中を血液が流れていく勢い。血圧をはじめて測った人は誰でしょう?馬の血圧を測ったのが最初。
1733年、イギリスのスティーブンヘールズ医師で牧師の方が、血圧を皆に見せようということになり、まだ麻酔がないので、馬の頸動脈に長いガラス棒をさしました。
その時に赤い血がガラス棒の中を上がっていくのを見て、これが血圧と見せたのがはじまりなのだそう。動物の体の中をその様に血液が巡っていることを証明して
みせたのです。これをどうやって人間に応用したのでしょう?1890年代になり、イタリアのリバロッチという方が今の血圧計の原型(水銀を使用)を考えたそう。
血圧を測ることができるようになって130年位しか経っていないのです。血液というのはほぼ水と一緒の重さ。水銀は液体だけど金属なので、水の13.6倍重いのです。
ガラス棒を使った時に上がった高さはだいたい290cm。もし血圧計を水で測っていたら3m位の高さの機材を使わなければならないということなのです。
血圧の単位にはHgが使われていますが、それは水銀の元素記号。馬で測ったのが290cmH2Oを13.6で割ると、だいたい210mmHgになるそう。
ですから30cm位の高さの血圧計があれば、馬の血圧も測ることができるということになるのです。
その後、ロシアのコルトコフ医師が開発したのが、聴診音法。上腕の動脈を圧迫し、続いて減圧した時に生じる血管音を聴診器で聴き取りながら血圧を測定する方法です。
これが、最高血圧(収縮期血圧)と最低血圧(拡張期血圧)を客観的に測定した初めての方法とされています。
さらに、当時はその血圧が重要か重要でないのかはわからなかったのです。年をとって血圧が高くなるのは当たり前だと考えられていました。
それが高血圧は良くないのでは?といった事件が・・。1945年ヤルタ会談が開かれました。アメリカからルーズベルト、イギリスはチャーチル、ソ連はスターリンが参加。
その時実はルーズベルト大統領は心不全でヘロヘロ状態だったそう。ヤルタ会談が終わった後、彼は脳卒中で亡くなってしまったのです。その時の血圧が300-190。
ただ、その当時の主治医たちは血圧を下げるための手段がなかったのです。実は、高血圧がまずいと提案したのは医師ではなく、生命保険会社。
1911年位から生命保険会社が保険に入る人たちの血圧を測り始めたのです。すると、どうやら血圧が高い人は病気になりやすいと気づき始めたのが1940年代くらい。
血圧が140-90が、病気が多くなる境目になりそうと生命保険会社が見つけたのです。その頃から利尿剤や血管拡張剤等が出てきたそう。武器ができてきたのです。
さらに、色々研究調査も進み、血圧をあげるホルモンがあるのでは?とか、腎臓の方から出てくる血圧をあげるような成分が発見され、それをブロックすることにより
血圧をコントロールする。武器がどんどん増えてきたそう。それが今につながってきたのです。
血圧が高くなる原因は主に3つ。血管の硬さと塩分と血圧をあげるホルモン。身体にとって負担にならない食べ物をとり、身体を動かすことが重要ということの様です。

バルパライソ緊急沖だし事件(満澤 巨彦編) [varied experts]

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写真4.JPG過去の調査航海でのちょっとした事件についてのご紹介。
今まで、主としてプレートの沈む場所について、例えば日本海溝や南海トラフ、また太平洋側に敷設されている海底ケーブルを使った観測について紹介していただきました。ただ、満澤氏は、過去には日本周辺のプレートの沈み込む地域だけではなく、プレートが生まれる場所での調査観測に参加してきたそう。
特に太平洋プレート、太平洋の海底は、北米沖のファン・デ・フカ海嶺や南米沖の東太平洋海膨、East Pacific Riseという場所、海嶺と同じで、海洋プレートが生まれる場所になるそうです。
このEast Pacific Rise、EPRは南米チリの4000~5000km沖に南北に連なって存在。海底が生まれる場所は、
定期的か不定期かまだはっきりしていませんが、海底から溶岩が噴き出しており、周辺には高温の熱水が噴き出している場所が海嶺に沿って確認されていると。EPRの調査は、1997年の9月~10月にかけて「しんかい6500」を搭載した「よこすか」で行われ、1998年は米国ウッズホール研究所の「アトランティス」という調査船で「アルビン」という有人潜水調査船を使った調査が行われました。
航海は、南太平洋のタヒチから南米チリのバルパライソまでの前半約1ヶ月、バルパライソからタヒチまでの後半
約1ヶ月と、前半、後半で2つのレグ(航海)に分かれ、調査航海では割と長い航海だったそう。研究者の大半が前半と後半で入れ替わったそうですが、彼とO氏の2名が
通しで乗船。この航海の中間で港町バルパライソに「よこすか」で入港した時の苦い経験。25年前はまだ携帯電話やメールが一般には殆ど普及していませんでした。
前半の航海が終わり、チリのバルパライソに寄港時、出港前日に時間があり、通しで後半も乗船することになっているO氏と、後半の乗船のために来たI氏の3人で、
バスで2時間位の首都サンチアゴの博物館等に見学に行くことに・・・。
実はこの間にバルパライソの天候が急変したことで「よこすか」が急遽沖だしすることになったのです。「沖だし」とは、台風や津波などの時に船が岸壁に着岸していると岸壁にぶつかり破損するおそれがあり、それを避ける為に、安全な沖合に船をだすこと。そうとは知らず、日が暮れてバルパライソに戻ると、バルパライソは大雨。
ずぶぬれで岸壁に戻った時には船はなく、ただただ大波が打ち寄せていて、3人で岸壁に呆然と立ち尽くしたことを覚えていると・・。
翌日出港する予定だったので現金はほぼ全てサンチアゴで使い果たし、3人とも若干の小銭しか持っていなかったのです。公衆電話からクレジットで「よこすか」に電話
しようとしても、衛星電話にうまくつながらず、またJAMSTECに国際電話してもつながらず・・。その他色々試しても結局船にはつながらず。
船に電話するのをあきらめ、まずは港の近くの安そうなホテルに泊まろとしたそうですが、クレジットカードが使えず、見るからに怪しい東洋人3人という事もあったのか、宿泊を断られたそうです。とにかく宿泊施設を確保するため、バルパライソの近くにビーニャデルマールというリゾート観光地があると聞いていたので、クレジットカードでタクシーに乗り、ドライバーに頼み適当なホテルに連れて行ってもらったそう。さすがに観光地のホテルなのでクレジットカードで宿泊でき、ビショビショにぬれた服を
乾かしつつ、ホテルの電話でも船への連絡を試み、結局つながらず。最後の手段として日本の実家に電話し、「よこすか」にファックスしてもらう様に頼んだそう。
夜中の12時をまわっていたはずですが、「よこすか」の船長からホテルに電話があり、船と連絡がとることができたそうです。
翌日、他の乗船できなかった数人と合流し、夕方には沖に停泊している「よこすか」に代理店のチャータ―したボートで乗船することができたとおっしゃっていました。
「天候の急変による思わぬ経験でしたが、最近は、笑い話では済まない様な激変も起きていますので、天候の急変には日頃から十分気を付けていただきたいと思います。」
今回のお話しは、JAMSTEC公式インスタグラムの漫画ジャムコミ(ジャムコミ16話)に昔話として掲載されているそうです。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。(横須賀本部岸壁に着岸中の「よこすか」、後ろから見た「よこすか」青いのは「しんかい6500」の着揚収の
ためのAフレームクレーン、有人潜水調査船整備場の「しんかい6500」、整備場の中から見た「よこすか」目の前が岸壁):2022年7月21日撮影