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Kushiro in flames [close to you <art編>]

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尾山幟「釧路炎上」この作品は見る角度によって煙の色が違って見える・・・
と発見した武束氏。今回はそのお話しです。
まず、真正面からじっくりと鑑賞。煙だけに集中して見つめました。下の方の煙は黒っぽく、上にいくにつれて煙が白っぽく見えます。シルバーっぽい感じ。
ところが・・作品に向かって左側に移動して見ると、なんと全体がグレーに見えるのです。
おそらく顔料の使い方、光のあたり方で煙の色が違って見えるのです。
もしかして・・・と思い、作品に向かって右側からも見てみました。左側よりははっきり見極めることはできませんでした。
日本画は顔料を使います。特に岩絵の具と呼ばれるもの。キラキラ光る雲母を混ぜたり、様々な工夫がなされています。
「これ下は黒だと思うのです。その上に白っぽく見える色を重ねていると思います。おそらく彼はこの煙の見え方も計算して描かれたと思っています。」と武束氏。
そもそも、今回の展覧会の照明をあてる作業の時に、作品の上から見たときに作品が黒く見えたそう。そこからこの煙の色の違いに気づいたそうです。
作品の左上の方に見えるのは川と幣舞橋。そしてその奥に建物群。一番手前には線路が描かれています。
じっくり鑑賞すると見えてくる様々な世界。そこから思いを巡らせてみるのも良いかもしれません。
(美術と釧路の社会 は3/31まで釧路市立美術館で開催中です。)

2024.0306 O.A 市立釧路総合病院 DMAT隊 [close to you <dr.編>]

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「令和6年能登半島地震」にDMATとして市立釧路総合病院からは3班が出動なさいました。
現地でどんなことをなさってきたのか?現地で感じたこと、釧路にどう還元することができるのか・・・等々お話しを伺ってきました。
救急科 豊原 隆氏(1班・3班)、救急外来看護師 齊 勝敏氏(3班)、循環器外来看護師 本間 渉氏(3班)、薬剤師 菅野 雄太氏(1班・3班)の4人の方のお話しです。
DMAT、災害医療チームとも言われます。実際に病院や救護所で患者さんの診療をしたりするのがイメージですが、彼らの役割は、病院や避難所等に派遣されるDMATをどう運用していくのかという本部活動をメインになさったそうです。「活動中に被災者の方と触れ合ったりというのはないのですが、そこがうまく機能していないと、実施に病院や避難所とか、被災者の方に生であって行う活動がうまく行かなくなるので、そちらを調整する役割です。」と豊原氏。
DMATは、医師、看護師、業務調整員の3つの職種に分かれていて、それぞれ1〜2人。最低4人くらいで、人数が多い7人くらいで行った班もあるそうです。基本的に医師1人、看護師2人、業務調整員1人というパターンが多いとおっしゃっていました。
震度7の地震だったので、道路の破損状況がひどかったり、建物も倒壊、水道も使えず、被災者の方はそんな大変な中で生活されているんだと思ったそうです。
釧路でも大きな地震と津波がくるリスクが高いと言われているので、能登半島よりもひどい状態になっている可能性があると感じたとおっしゃっていました。
本部はいろいろな地域のいろいろな職種の方、 DMAT、医師会、JMAT、保健師会、日赤等々がいらっしゃったそう。その方たちと話していた中で、意外と津波の被害がそこまででなかったのは、日常的に海辺にいる人たちは津波が来たら高い所にすぐ逃げるという訓練をしていたらしい・・・と。釧路でも津波が来たらどこに逃げるのか・・等、考えるだけではなく、実際に訓練として市民がやっていくのは重要なことだと感じたそう。子供たちだけはなく大人も。街として根付いて習慣化していく事が必要と。釧路の場合、想定されている死者数のほぼ全てが津波なので。
齊氏は、医療従事者のほかに電気会社、水道会社、道路を直している人たち・・・色々な人たちの支援があり現地に到着できたので、そのような人たちの力って偉大だと感じたと。DMATだけではなく、あらゆる職種の人たちが協力して復興・支援を目指しているんだと力強くもあり、驚きもあったと教えてくださいました。
そして、東日本大震災の時にも救護班で活躍なさった本間氏は、災害の怖さをあらためて感じたと。家も潰れていたり、電柱も倒れかけていたり、土砂崩れもあり・・・。普段の生活では皆管理されていて、ここは大丈夫とか危ないとか教えてもらえる。でもそれが手付かずのところがとても多かったので、行くだけでも自分たちは命がけだと体感したとおっしゃっていました。
東日本大震災、胆振東部地震、今回で3回目という菅野氏。東日本大震災の時はDMATが250隊しか派遣されていなかったが、今回は1000隊くらい出ている感じだったと。かなりDMATが活躍する場が広がってきたと感じるそうです。救援に行き、代わりのDMATも来てくれる。北海道の地震の場合は、代わりが来てくれるかどうか・・・。期間がいつまでとわからない状況であれば自分たちの気持ちも落ちていたかもしれないと教えてくださいました。
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印象に残ったのが、トイレが足りない・・水洗トイレがない。一番はそれかな?
そして、トイレカーがすごいと思ったそう。QOLには絶対必要だと。あれは貴重だったとおっしゃっていました。あっても不衛生だったりするので、感染症問題とか様々な健康問題が生じる、行ってみてそれが実はそれがすごく重要なことだと実感したそうです。それから・・・自衛隊のお風呂を体験、すごく良かった。入ってみたら有り難みがすごかったと笑顔で語っていただきました。
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彼らからのメッセージです。
まさか自分が・・・とは思わず、ちゃんと避難すること。自分たちでどこに逃げる等、やった方が絶対によい。あまりに規模が大きすぎて自分のものとして捉えられずに思考停止してしまいがち。でも実際に現実に起こるものとして日頃から避難訓練や災害に備えたグッズ等を準備する。それを浸水するようなところに置かない、とにかく日頃から考えておくのが一番大事。
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そして、それぞれに自分が震災した場合の問題、課題をお聞きしました。
「釧路では発災から10日〜1ヶ月くらいに起こりうることはDMATで今までやってこなかった。でもこの地域では自分たちが関係しなければと感じた。」
「釧路でのイメージがつかない。ただ、道路も大事。橋も多い。どういう道が使えるか。道がないと患者さんも運べない。病院までもアクセス法が課題。」
「医療従事者でありながら被災者という立場で、体調を管理しながら医療に従事する難しさを感じた。」
「市立釧路総合病院は高台にあるので、釧路全体から押し寄せたら全部を診ることができない。それが課題。」
※写真左から、本間氏、菅野氏、齊氏、豊原氏。