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温故知新 釧路の海と魚:1970年前後と2020年前後の類似点(黒田 寛編) [fun science]

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今起こっている自然変動を理解する上で、昔はどうだったのかということを改めて思い出すことは大切なポイント。ですから、今回は1970年前後(50年前)の釧路の海や魚の状態を想い出して、2020年前後(最近年)の海の状態と比較していただきました。
なぜ1970年前後なのかというと、釧路沖の海面水温は数十年間隔で「暖かい海」と「冷たい海」を繰り返し、階段を上がったり下がったりしながら変動しています。
具体的には2000年以降が「現在の暖かい海」に対応しており、それ以前の一昔前では、1948~1976年が「昔の暖かい海」に対応しているそう。
ただし、昔と今を比較する中で、注意点が一つあります。50年前の昔では、海や漁業のデータが現在ほど充実していません。海の水温を測る観測機器はアナログ、全球を観測する人工衛星もない時代です。ですから、過去に描かれた水温図のようなアナログデータや、文献に書かれた言葉を頼りに昔の状況を把握する必要があるのです。
まず、黒田氏は、厚岸湾沖のライン上で過去55年の100m水温を復元。100mの水温5℃以下が、親潮の勢力を判定する一つの指標になり、厚岸沖の5℃以下の面積が広い程親潮が強いということに・・・。最近年、2020年前後の特徴は100m 5℃以下の親潮域が殆ど見えない年があること。親潮が運ぶ冷水が釧路沖に入ってこない年があると
いうことを示しているそうです。また、1970年前後をみても2020年前後と同様に100m 5℃以下の親潮域がほとんど見えない年があり、1970年前後と2020年前後の釧路沖の親潮はよく似た「弱い状態」にあったことがわかるとのこと。
さて、その他に共通点はないか古いサンマの文献を調べ、福島氏が書かれた文献をみつけたそうです。1968-1971年にサンマが不漁であったことが書かれていて、最近年のサンマの不漁とも共通していたそう。さらに主漁場が日本の沿岸ではなく、沖合~遠洋であったことや、24~25cmの小型のサンマが多かった記述があり、最近年のサンマを取り巻く状況ともよく似た状況であったことが想像できます。
さらに、釧路市が出版した釧路叢書の中に1972年に桜井基博さん達が共著で書かれた「釧路のさかなと漁業」という文献があり、1970年前後の面白い情報がいくつか
記されていたそうです。「サンマが一匹100円もする」、東京では「サンマ定食のメニューが600円であった」「最近のサンマはかつての大衆魚のイメージからは程遠い存在になろうとしている」と書かれていたと・・。また、様々な珍魚、主に、暖水性の魚が、1970年前後に釧路近辺で漁獲されたことが書かれていたそう。
1969年7月24日には超巨大なマンボウが水揚げされた写真があったり、この他に、北海道以南の日本の太平洋に生息しているマツカサウオが1970年12月3日に漁獲された記録や、1970年にウマズラハギが漁獲された記録も・・・。いわゆる「珍魚」と呼ばれる暖水性の魚が、1970年前後の釧路近辺で水揚げされていたということなのです。
それでは、1970年前後と2020年前後がほとんど同じかというと必ずしもそうではなく、釧路沖の漁業や漁業資源については、いくつかの異なる点もあると黒田氏。
1970年前後には、最近年と異なり、釧路沖にマイワシがほとんどいなかったこと。1970年前後には最近年にも増して、釧路沖でサバが豊漁であったこと。
1970年前後には、釧路沖の公海に最近年増えている外国漁船がほとんどいなかったことなどの違いがあるそうです。
「釧路沖の海は、数十年間隔で「暖かい海」と「冷たい海」を繰り返すので、やはり「何らかの形で海や漁業の記憶や記録を後世に残しておくこと」は
<将来にとっての重要な遺産>になると感じています。特に、50年というと歳月を隔て、過去の記憶や記録が薄れてしまうと、人は初めて経験した事実に対して
『前代未聞』や『前例のない』という言葉を使いたくなりがちですが、そんな時は少し立ち止まって、過去を振り返ることも大切だと思います。」
※写真は黒田寛氏にお借りした資料です。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/5r0REWLFTBo2EZBKDjMT8z

ウチダザリガニと水草の関係?(照井 滋晴編) [nature treasure]

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春採湖で36年間確認されていなかった水草が再発見された。それは、ウチダザリガニの駆除活動の効果かもしれないという新聞記事をご覧になった方も多いはず。
まず、なぜウチダザリガニの駆除と水草が関係しているのかですが、ウチダザリガニは水草を食べたり切ったりしてしまうことが知られています。
実際に、北海道内であれば洞爺湖や阿寒湖の上流にあるパンケトーなんかではウチダザリガニが侵入してから水草がどんどんなくなっているそう。
水草がなくなると何がいけないのでしょう? 第一に、水草に産卵する魚類の産卵環境がなくなり、これは春採湖のシンボルでもあるヒブナについても言えるのです。
ヒブナを絶滅させないためにも水草は必要。 第二に、水草は水鳥たちの食料にもなります。春採湖にはかつて多くの渡り鳥が来て、湖内で繁殖したりしていたそうですが、
近年はその数を減らしていて、その要因の一つが水草の減少ではないかといわれているそうです。
春採湖では2000年頃にウチダザリガニが侵入・定着していることが明らかになり、その頃には水草の種類も面積も減少してきていたと。 1986年の調査で6種の水草が確認されていたのが、2003年には4種となり、2006年には2種にまで減少。 面積は、1986年には約14万平方mだったものが2007年には97%減の3791平方mにまで減少。
ウチダザリガニの駆除活動はウチダザリガニが特定外来生物に指定された2006年からスタートし、2022年までずっと市の事業として継続的に実施されています。
「その成果もあってか、水草が次第に繁茂し、ウチダザリガニの侵入前の状況に少しずつ近づいてきています。 全てがウチダザリガニの駆除活動の成果とは言えませんが、水草の減少がウチダザリガニの侵入定着後に好転した場所は世界的に見てもほとんどないため、とても誇れる成果だと思います。」
2006年に2種まで減少した水草の種数は、その後増減はありながらも確認種数も増え、2019年には、1986年以降確認されていなかった2種の水草のうちの1種である
ヒロハノエビモという種が再確認され、確認種数が5種にまで増えたのです。 加えて、今年度の調査では1986年以降確認されていなかったもう1種の水草であるイトクズモが36年ぶりに確認することができ、かつて確認されていた6種の水草すべてを確認できるまでになったと照井氏。
「ウチダザリガニの捕獲のために仕掛けていた罠を水中から引き揚げた際に罠に付着していたのを確認したのですが、見慣れない水草の登場にびっくりさせられました。 」
この成果は、ウチダザリガニが特定外来生物に指定された2006年から釧路市が本種の防除事業を開始し、今まで継続的に実施してきた事が大きいとおっしゃっていました。
地方自治体の事業としてこれほど長くウチダザリガニの防除に取り組んでいる事例は非常に少なく、かつ結果が出ている場所と考えると他には類をみないそう。
「じゃあウチダザリガニが目に見えるほどに減ったのかといわれると、まだまだたくさんいるのが現状です。 でも、水草がどんどん回復してきているので、水草に与える
悪影響をある程度抑えることができるほどには減っているのだと信じたいところです。 とはいえ、駆除活動をやめれば、再び水草の生育状況も悪化してしまうと考えられるので、まだしばらくは継続していく必要があります。 何年も続けていると心が折れそうになることもありますが、今回新聞記事になった水草の再発見などのいいニュースは活動の励みになります。 今後も、春採湖でのウチダザリガニの防除作業に関わっていき、いいニュースを皆さんに届けることができればいいなと思っています。」
※写真は照井滋晴氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/4yxg3fRm5r7w1iXuojmVbq

200 years of akkeshi kokutaiji temple~1 [close to you <art編>]

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ものすごい数の資料や美術品の数々。さらに江戸時代のものがここに集結する展覧会も珍しいのではないでしょうか・・・。
江戸時代、幕府は南下政策を強めるロシアの動向を注視しながら、文化元年に3つの寺院を東蝦夷地に建立しました。
そのうちの一つが厚岸にある国泰寺です。道東に住んでいらっしゃる方でしたらご存知の方が多いと思います。
老木の素晴らしい桜があったり、あの水戸黄門の葵紋が山門に施されていたり・・・。
実は、この厚岸の国泰寺にはたくさんの重要文化財もあるのです。今回は23件の重要文化財も展示されています。
歴代の住職は関東から、はるか遠くの厚岸へ、幕府の命で派遣されてきました。
これに伴い、江戸から厚岸へもたらされた仏像、仏画、仏具、経典等は地域の人々の心の拠り所として今日まで大切に伝えられてきました。
最初に展示スペースに展開されるのが、屏風に描かれた大きな地図。住職らが厚岸を目指して歩んだ果てしない道のりを感じます。
こちらは前期と後期で展示入れ替え、函館から根室までの道のりが4枚ずつの大きな屏風で描かれています。
初代住職の肖像「文翁和尚坐像」、「仏涅槃図」や「六道絵」などの仏画、蠣崎波響の「御味方蝦夷之図 イコトイ」など、見どころ盛りだくさん。
江戸時代から連なる厚岸、道東の歴史を体感できる内容です。また、国泰寺や厚岸町で常時公開していない作品も多数あるそうです。
じっくりと厚岸の歴史、今に至る変遷等々を感じつつ、素晴らしい美術品の数々に圧倒される空間が広がっています。
(厚岸・国泰寺の200年は11/23まで北海道立釧路芸術館で開催中です。)

2022.0921 O.A 杉元内科医院 院長 杉元重治氏 [close to you <dr.編>]

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4回目のワクチン接種がだいぶ進み、60歳以上の方ではおそらく5割は超えたと思うと。ただ、小学生や中学生等若い方は2割に満たないという現状の様です。
ファイザー製のワクチンは9月の2週で終わり、現在はモデルナ製のワクチンが主流に。
4回目のモデルナのワクチンは、通常の3回目までと違い、半分の量でうつとなっているそうです。
「僕はファイザーのワクチンを3回、4回目はモデルナのワクチンをうちましたが、特に何か変わったということは僕はなかったと思います。」
それぞれ人によっての副反応は違いますし、また、組み合わせによっての違いというのも・・・わからないそうです。
「4回目のワクチンをしなければならないのかと強迫観念に駆られて欲しくはないのですが、ただ、以前林田先生もおっしゃっていた様に、
世界のデータを見ていると回数が多い方が重症化リスクが低減している。そして、入院する人の数も減らしているということが実証されている様です。
現に、最近重症化している人はこの釧路管内でもあまりいない様な印象です。もちろんワクチンだけが効いているのかはわかりませんが・・・。」
次に新しいワクチンについて伺いました。BA-1やBA-5に対応する新たなものがファイザーとモデルナから出ています。
従来のものとプラス今流行っているBA-5に特化した抗体を作ることができるワクチン、2価、いわゆる2つの種類が混ざっているということ。
それがどの程度の効力があるのか?また、副反応に関してはまだ未知数とのことです。
「今、4回目のワクチンを新しいワクチンが出るのであれば、それを待ちましょうという方もいらっしゃる様ですが、新しいワクチンは実際に届くまでにはまだ相当な時間がかかると思います。まずは4回目接種のワクチンを早めにうった方が良いと僕も思いますし、それが政府の見解だと思いますね。」
薬に関して。今実際使うことのできる薬が2種類あるそうです。ただ、インフルエンザの薬の様に簡単に出すことはできないそうです。
今もどうしても必要な場合、例えばご高齢の方で重症化を予防するという意味で内服していただくという事はこのエリアでもあるそうです。
予防薬ではなくコロナに感染した方が対象。ウイルスの増殖をストップさせ、排除するというより体の自然の免疫力でウイルスをやっつける助けをする様なタイプの薬。
「4回目のコロナウイルスに関するワクチンも大事ですが、10月末から通常通り開始されるインフルエンザのワクチンも重要です。
それを考えると9月までに4回目のコロナワクチンをうって、インフルエンザのワクチンをうって、5回目以降をどうする・・という風になるのかなって僕は思っています。」
最後はCCL(くくる)の活動について。Cooperate【連携する】・Create【創造する】・Live【人生を楽しむ】医療・保険・介護等本音で地域連携のあり方を検討する会。
・テーマ:認知症の診断からケアまで〜もの忘れ外来&認知症看護外来の取組〜 
・日時:9月29日(木)18:30〜20:00 オンライン(ZOOM) 100人定員 (参加無料)
・申し込み締め切り:9月22日(木) ・詳しくは・・・https://ccl.jp.net/1476.html

赤道祭〜ポリウォッグとシェルバック(満澤 巨彦編) [varied experts]

写真1_ネプチューンの槍?製作中.jpg写真2_調査船「アトランティス」.jpg写真3_有人潜水調査船「アルビン」.jpg
写真4_赤道通過証.JPGアメリカの調査船「アトランティス」の航海で赤道を通過した時の赤道祭についてのご紹介。
船が赤道を通過する時に、その通過を祝うお祭り、というか儀式のこと。
初めて赤道を超える船乗りは、海の神ネプチューンから試練を与えられるという儀式だそうです。
1998年9月、24年前。アメリカ西海岸のサンディエゴを出港し、調査海域は南米チリ沖。
出港後1週間後に赤道を通過し、その後調査海域で観測機器の回収等の調査。
調査が終了したらモアイ像で有名なイースター島で下船するという航海。
この航海は日米共同で実施したので、日本人研究者も十数人乗船していたそうです。
「ここで、忘れもしない重要なワード、キーワードがあります。英語でポリウォッグ(Pollywog)とシェルバック(Shellback)です。ポリウォッグというのは、おたまじゃくしのことで、赤道を船で越えたことが無い人のこと。
シェルバックというのは「老齢の水夫」という意味で、赤道を船で越えたことがある人のことをいいます。」
サンディエゴを出港した時点で、船の中は、なんとなくシェルバックとポリウォッグの2つのグループにわかれ、特にシェルバックは、調査準備の空いている時間に
どの様な儀式、つまり試練をポリウォッグに与えるか入念に相談していたようです。
初めて赤道を超えるポリウォックは、海の神「ネプチューン」を楽しませるための出し物を考えるように、シェルバックより依頼を受けるそう。
赤道祭当日は天気が良く快晴、早朝、日の出前に、ベッドで寝ているところをいきなり水鉄砲で水をかけられて起こされました。
そして、服を裏返して、前後逆、左右逆、着る順番も外側に着るものを打ち側に、内側に着るものを外側にすべて逆に着て、甲板に集合させられました。
そしてシェルバックから赤道を捜せという指示を受けるそうですが、一面海原で赤道は見つかるわけありません。
見つからなかった罰として、ポリウォッグは全員座らされホースで水をかけられます。その後、デッキ掃除を命じられ、シェルバックの監視の下で、手分けしてデッキ掃除。
さらに、ポリウォックのメンバーでネプチューンを楽しませるために事前に準備していた二人羽織を披露したそうです。
それはアメリカ人には結構受け、ネプチューン役の船員さんも喜んでいたそうですが、結局、ネプチューンから「ギルティ」という判決がくだり・・・。
ポリウォッグは目隠しをされ、一人づつ、お化け屋敷の様に急に振動したり、冷たいものを当てられたり、・・・。
マヨネーズとドレッシングを混ぜたようなものを残飯風に敷き詰めた床をほふく前進させられ、最後はネプチューン役の船員のお腹にキスするとうことまでなさったそう。
その後、用意されたプールで体を洗い儀式は終了。儀式と言ってもパワハラ的というか、今やったら問題になりそうなお祭りとおっしゃっていました。
「アメリカの船はドライシップと言って、航海中はお酒は一切飲めません。ただ、船長権限で航海中1回は飲んでも良い日があるようで、この日だけは、夕方からデッキでビールを飲みながらBBQをしました。儀式としてポリウォッグには試練となりましたが、ある意味、長い航海では楽しみの一つで、その後の調査に向けて船の中での一体感が生まれたのも事実です。現在、この様な事が社会的に許されるかどうか微妙な気もしますが、船乗りの儀式・儀礼としてとらえると、度をすぎない範囲で残ってほしいと思いますね。」最後に、ポリウォッグとして赤道通過した証明書が船長名で発行され、今でも、乗船時にはいつ赤道を超えても良いように携帯なさっているそうです。
※尚、写真は JAMSTEC 満澤巨彦氏からお借りしました。
・写真上(左)はネプチューンの銛、製作中
・写真上(真ん中)はイースター島沖で停泊する「アトランティス」
・写真上(右)は浮上した有人潜水船「アルビン」
・二段目の写真は 赤道を通過しシェルバックになった証明書

2022.0916 O.A 「石垣で盆踊り盛況!!」 [varied stories]

田伏伸次さん(レコーディングスタジオクーパー代表)
https://studio-cooper.jp/

石垣島と大阪の往復生活はここ5年くらい。とても優雅な生活というイメージですが、なかなかお上手に旅?をなさっている感じです。
4泊5日くらいでホテル代も入れて3~5万くらい。。。と。もちろんハイシーズンには難しいのですが。
それは石垣島でイベント関連の会社を立ち上げた時から始まっているそうです。コロナ禍でしばらくはなかなか思うようには動けなかったそうですが、今年からほぼ再開。
ということで島の方には「もうお部屋を借りたの?」と言われるほど・・みたいです。
今回は石垣島の方に浴衣や甚平を着ていただき、盆踊りを楽しんでもらおうと考えたそうです。
石垣島では盆踊りという文化はないそうで、カチャーシーという踊りがメインとのこと。
カチャーシーは、テンポの速い沖縄民謡の演奏に合わせて踊られる、両手を頭上に挙げ、手首を回しながら左右に振る踊りのことを言います。
イベントに出演したアーティストの方が盆踊りの踊り方をレクチャーし、櫓の周りをぐるぐる回って皆で踊ったそうです。
踊りやバンドもやっている子供達は多いのですが、なかなか発表の場がなく、今回のイベントは老若男女ともに大盛況だったとおっしゃっていました。
夏祭り風を演出したく、スーパーボールすくい等も用意したそうですが、あまりにも人気で長蛇の列。
主催者側としてはうれしい悲鳴です。途中でスーパーボールが足りなくなり買いに走ったりもしたそうですが、皆が喜んでくれたということでとても嬉しかったそうです。
さて、このイベント会社、実は以前にもお話しいただいた石垣のジャイアン(おじさま方)がアイディアを出して実施しているそう。
そちらのYouTubeの動画は実はまだ手をつけることができない状態にあるそうで・・・スタートしたら途中で止まれない・・・。
楽しみに待っている方も多いと思うのですが、石垣のおじさま(ジャイアン)たちの普通の日常動画、どうやらpopo氏のこれからにかかっているみたいです。(笑)
※写真は田伏伸次氏からお借りしました。
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2022.0915 O.A 邦楽 [chord 5]

・中央フリーウェイ / ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set)
・六本木純情派 / 荻野目洋子
・FANTASY / 中原めいこ
・フライディ・チャイナタウン / 泰葉
・黄昏を待たずに / チャゲ&飛鳥
・埠頭を渡る風 / 松任谷由実
~今回は邦楽一般。夜の高速道理で聴きたい曲特集です。
セレクトは村田氏。今回の出演は、村田氏&midoriでお送りします。

汐見の西側をせめる(境 智洋編) [fun science]

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汐見の滝と勝手に名付けた場所の西側。一度訪ねてみたいと訪れました。
汐見層?と思いきや、ゴロゴロした岩のような石が足元にあり、とても歩くことが難しい海岸。
これはテンネル層のものだそう。ユニークな石の模様が楽しむことができました。
この辺りは砂岩脈が多いそうで、小さめですが、目に入ってきました。
そのさきに広がる方解石、そして何か黄金にキラッとひかる小さなもの。「これ金かも?」なんて。
地層と地層の境目がしっかりわかるものや、葉の化石、蜂の巣状に見える石、形が風化して変化したものなど・・・。
テンネル層の中の石には珪化木が多いのも特徴に思えます。様々な形で珪化木もありました。
海に目を向けると釧路方面への海岸線が綺麗に見えます。一体どこまで見えていたのかわからないのですが、見事な眺めでした。
「ロウソク岩やタコ岩やトド岩のようなダイナミックさはないのですが、石を観察するにはとても面白い場所だよね」と境氏。
さらに西に向かうとやはり汐見層がしっかりを顔を出していました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/5wjHwkqEsLsYzF1BufAQhL

継続は力となるか・・・(笹森 琴絵編) [nature treasure]

1 釧路ム―での展示 笹森.jpg 2 マリンパーク.jpg 3 笹森 カマイルカと市民ツアーの乗船者たち.jpg
鯨に関する活動を始めて、今回は「継続は力となるか」について。一般には、力となる!ということになっています。勉強もスポーツも人間関係もダイエットも。
「私自身も、愚直にコツコツと続けられる、それが自分の何にも勝る取柄だと思っています。なので、今日は継続のメリット等についてのお話しです。」
7月に、登別の水族館での写真常設展が、今年開始から20周年目を迎えたそう。実は笹森氏のように野生の動物保全を訴える者が、水族館と組むことに疑問視する方も
いらっしゃるそう。10年ほど前に、世界中で動物を捕獲して飼育することの是非を問われる動きがあり、世界的には鯨類飼育は禁止の方向へ。新しく捕獲し売買されることを抑止する動きで、彼女もそれには賛成とのこと。ただ、日本ではこの流れに反対する水族館もあるそうです。
そんな中、彼女はマリンパークでコツコツと野生の鯨類を紹介する活動をなさってきました。なぜなら・・・
「水族館でイルカをみて感動したら、同じ館内で、その熱を持って彼らの本来の生活を知ってもらいたいからなんです。海でジャンプしていたり、コドモを育てていたり、
仲間と助け合ったりしている姿をみてもらいたい。そうすることで海や生き物に興味を持ったりさらに好きになったり、ひいては自然を丸ごと保全する重要さについて
自ら考えてもらう一助としたいからなのです。」
7月にあった学生実習では、館長が同様のお話をしてくれたそうです。学生たちには、私と水族館が同じ目的を共有していると伝わり、いい流れになったと思うと。
この館は、保護施設であり、教育施設でもあります。そこにいるイルカも保護されたもの。ちなみにイルカを買い入れたのは18年前が最後なのだそう。
ここで、本題の「継続は力となるか」について。「たぶん、水族館は私に展示コーナーを渡してくれた時には、さほど小難しく考えていなかったかもしれないのです。
でも私の方は、はっきりと目的を持っていて、今もそれは変わっていません。それがどの様な効果を出せているか、いないかはわからないですが。少なくとも、水族館の
スタッフにはその思いが通じ、今は共有しています。実は、それが継続してきたことで得た、最大の成果かもしれない・・・」と。
また、継続の力と言って、まず思い浮かべるのは、やはり動物観察。釧路で20年ちかく、羅臼は6年、北方四島は足掛け6年、噴火湾は25年あまり。
それぞれ、同時期に同じ程度の回数の船調査をなさっています。そうしなければ、変化が読み取れないから。地道にしっかり努力を続けること、継続が力になるのです。
どの活動も、年数を重ねるうちに、形式や内容、訴える相手も変化しているそうですが、「海とクジラと私たち」という柱は変わりません。
「くりかえし丁寧に訴え続けることで、地面に雨が染み込みように、皆さんの心に浸透していってくれると願っています。」
※写真は笹森琴絵氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/061cPWc2DrsRCHB6GKyiVz

the world of mezzotint [close to you <art編>]

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4.jpg5.jpg 釧路出身のこたかみちる氏。どうしても絵本作家になりたくて上京したのが今から6年前。
その後学校に通い、現在のメゾチントという技法に出会い魅了されました。
今までにも製本なさった絵本は5冊。アクリル絵の具とパステルを組み合わせたもので
カラフルな感じだったそう。今とは真逆の世界です。
世の中に色あざやかな絵本はあふれています。
その中でどう自分らしさを表現するのか・・・。
メゾチントの世界は基本は黒。静かな世界です。
ただ、温かみのある温度を感じる作品。
メゾチントは、まず、銅版などの金属凹版にロッカーという櫛のような刃がついた器具で
版全体に無数の刻みを入れます。
それから、その上をバーニッシャーとか、スクレーパーという金属のヘラのような器具で絵を描き、
刷る際には、インクを細かな刻みに擦り込んだ後に、刻みのない部分から拭い落とすそうです。
刻みが残っている部分はインクの色が濃く現れ、刻みを削った部分は白く浮き出る感じと。
ですから、感覚としては、彫るというよりは描く感じだそうです。
微妙な明暗の感じと立体感、そしてその世界観が魅力的だと感じました。
実はすでにもう1冊の作品とストーリーは完成しているそうです。「この世界を多くの方にご覧いただきたいです。早く次のメゾチントの絵本を世の中に誕生させることが
できたら・・」とおっしゃっていました。
彼女にとってのアートとは・・・自身が戻る、帰る場所。
「幼い頃に見た風景、自分が経験してきたこと、それが意識していなくても知らず知らずに作品に反映される。
伝えたいことも作っているうちに自然と盛り込まれていく・・・
経験したことが全部無駄にならずに生きている。そういう意味で自分の帰る場所」と教えてくださいました。
何より彼女の優しさが絵本からしっかり伝わってくる・・・絵本をご覧になった方はそう感じることと思います。
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