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2022.0922 O.A 洋楽 [chord 5]

・Da Ya Think I'm Sexy? / ROD STEWART
・I Don't Want To Talk About It / ROD STEWART
・You're In My Heart / ROD STEWART
・Tonight's The Night / ROD STEWART
・Sailing / ROD STEWART
~今回の洋楽編、ROD STEWART特集です。
セレクトはToshi氏。今回の出演は、Toshi氏&midoriでお送りします。

温故知新 釧路の海と魚:1970年前後と2020年前後の類似点(黒田 寛編) [fun science]

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今起こっている自然変動を理解する上で、昔はどうだったのかということを改めて思い出すことは大切なポイント。ですから、今回は1970年前後(50年前)の釧路の海や魚の状態を想い出して、2020年前後(最近年)の海の状態と比較していただきました。
なぜ1970年前後なのかというと、釧路沖の海面水温は数十年間隔で「暖かい海」と「冷たい海」を繰り返し、階段を上がったり下がったりしながら変動しています。
具体的には2000年以降が「現在の暖かい海」に対応しており、それ以前の一昔前では、1948~1976年が「昔の暖かい海」に対応しているそう。
ただし、昔と今を比較する中で、注意点が一つあります。50年前の昔では、海や漁業のデータが現在ほど充実していません。海の水温を測る観測機器はアナログ、全球を観測する人工衛星もない時代です。ですから、過去に描かれた水温図のようなアナログデータや、文献に書かれた言葉を頼りに昔の状況を把握する必要があるのです。
まず、黒田氏は、厚岸湾沖のライン上で過去55年の100m水温を復元。100mの水温5℃以下が、親潮の勢力を判定する一つの指標になり、厚岸沖の5℃以下の面積が広い程親潮が強いということに・・・。最近年、2020年前後の特徴は100m 5℃以下の親潮域が殆ど見えない年があること。親潮が運ぶ冷水が釧路沖に入ってこない年があると
いうことを示しているそうです。また、1970年前後をみても2020年前後と同様に100m 5℃以下の親潮域がほとんど見えない年があり、1970年前後と2020年前後の釧路沖の親潮はよく似た「弱い状態」にあったことがわかるとのこと。
さて、その他に共通点はないか古いサンマの文献を調べ、福島氏が書かれた文献をみつけたそうです。1968-1971年にサンマが不漁であったことが書かれていて、最近年のサンマの不漁とも共通していたそう。さらに主漁場が日本の沿岸ではなく、沖合~遠洋であったことや、24~25cmの小型のサンマが多かった記述があり、最近年のサンマを取り巻く状況ともよく似た状況であったことが想像できます。
さらに、釧路市が出版した釧路叢書の中に1972年に桜井基博さん達が共著で書かれた「釧路のさかなと漁業」という文献があり、1970年前後の面白い情報がいくつか
記されていたそうです。「サンマが一匹100円もする」、東京では「サンマ定食のメニューが600円であった」「最近のサンマはかつての大衆魚のイメージからは程遠い存在になろうとしている」と書かれていたと・・。また、様々な珍魚、主に、暖水性の魚が、1970年前後に釧路近辺で漁獲されたことが書かれていたそう。
1969年7月24日には超巨大なマンボウが水揚げされた写真があったり、この他に、北海道以南の日本の太平洋に生息しているマツカサウオが1970年12月3日に漁獲された記録や、1970年にウマズラハギが漁獲された記録も・・・。いわゆる「珍魚」と呼ばれる暖水性の魚が、1970年前後の釧路近辺で水揚げされていたということなのです。
それでは、1970年前後と2020年前後がほとんど同じかというと必ずしもそうではなく、釧路沖の漁業や漁業資源については、いくつかの異なる点もあると黒田氏。
1970年前後には、最近年と異なり、釧路沖にマイワシがほとんどいなかったこと。1970年前後には最近年にも増して、釧路沖でサバが豊漁であったこと。
1970年前後には、釧路沖の公海に最近年増えている外国漁船がほとんどいなかったことなどの違いがあるそうです。
「釧路沖の海は、数十年間隔で「暖かい海」と「冷たい海」を繰り返すので、やはり「何らかの形で海や漁業の記憶や記録を後世に残しておくこと」は
<将来にとっての重要な遺産>になると感じています。特に、50年というと歳月を隔て、過去の記憶や記録が薄れてしまうと、人は初めて経験した事実に対して
『前代未聞』や『前例のない』という言葉を使いたくなりがちですが、そんな時は少し立ち止まって、過去を振り返ることも大切だと思います。」
※写真は黒田寛氏にお借りした資料です。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/5r0REWLFTBo2EZBKDjMT8z

ウチダザリガニと水草の関係?(照井 滋晴編) [nature treasure]

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春採湖で36年間確認されていなかった水草が再発見された。それは、ウチダザリガニの駆除活動の効果かもしれないという新聞記事をご覧になった方も多いはず。
まず、なぜウチダザリガニの駆除と水草が関係しているのかですが、ウチダザリガニは水草を食べたり切ったりしてしまうことが知られています。
実際に、北海道内であれば洞爺湖や阿寒湖の上流にあるパンケトーなんかではウチダザリガニが侵入してから水草がどんどんなくなっているそう。
水草がなくなると何がいけないのでしょう? 第一に、水草に産卵する魚類の産卵環境がなくなり、これは春採湖のシンボルでもあるヒブナについても言えるのです。
ヒブナを絶滅させないためにも水草は必要。 第二に、水草は水鳥たちの食料にもなります。春採湖にはかつて多くの渡り鳥が来て、湖内で繁殖したりしていたそうですが、
近年はその数を減らしていて、その要因の一つが水草の減少ではないかといわれているそうです。
春採湖では2000年頃にウチダザリガニが侵入・定着していることが明らかになり、その頃には水草の種類も面積も減少してきていたと。 1986年の調査で6種の水草が確認されていたのが、2003年には4種となり、2006年には2種にまで減少。 面積は、1986年には約14万平方mだったものが2007年には97%減の3791平方mにまで減少。
ウチダザリガニの駆除活動はウチダザリガニが特定外来生物に指定された2006年からスタートし、2022年までずっと市の事業として継続的に実施されています。
「その成果もあってか、水草が次第に繁茂し、ウチダザリガニの侵入前の状況に少しずつ近づいてきています。 全てがウチダザリガニの駆除活動の成果とは言えませんが、水草の減少がウチダザリガニの侵入定着後に好転した場所は世界的に見てもほとんどないため、とても誇れる成果だと思います。」
2006年に2種まで減少した水草の種数は、その後増減はありながらも確認種数も増え、2019年には、1986年以降確認されていなかった2種の水草のうちの1種である
ヒロハノエビモという種が再確認され、確認種数が5種にまで増えたのです。 加えて、今年度の調査では1986年以降確認されていなかったもう1種の水草であるイトクズモが36年ぶりに確認することができ、かつて確認されていた6種の水草すべてを確認できるまでになったと照井氏。
「ウチダザリガニの捕獲のために仕掛けていた罠を水中から引き揚げた際に罠に付着していたのを確認したのですが、見慣れない水草の登場にびっくりさせられました。 」
この成果は、ウチダザリガニが特定外来生物に指定された2006年から釧路市が本種の防除事業を開始し、今まで継続的に実施してきた事が大きいとおっしゃっていました。
地方自治体の事業としてこれほど長くウチダザリガニの防除に取り組んでいる事例は非常に少なく、かつ結果が出ている場所と考えると他には類をみないそう。
「じゃあウチダザリガニが目に見えるほどに減ったのかといわれると、まだまだたくさんいるのが現状です。 でも、水草がどんどん回復してきているので、水草に与える
悪影響をある程度抑えることができるほどには減っているのだと信じたいところです。 とはいえ、駆除活動をやめれば、再び水草の生育状況も悪化してしまうと考えられるので、まだしばらくは継続していく必要があります。 何年も続けていると心が折れそうになることもありますが、今回新聞記事になった水草の再発見などのいいニュースは活動の励みになります。 今後も、春採湖でのウチダザリガニの防除作業に関わっていき、いいニュースを皆さんに届けることができればいいなと思っています。」
※写真は照井滋晴氏からお借りしました。
※音声はこちら・・・https://open.spotify.com/episode/4yxg3fRm5r7w1iXuojmVbq